テレーゼの報告
続編と言えるのか分からないものが、やってきました。
よく晴れた昼下がり。
アクラウド公国公都は今日も賑やかで、大通りには荷馬車が縦横無尽に走り回り、通り沿いの商店の客引きの声が四方八方から届いてくる。
そんな大通りをゆっくりと進む、立派な箱形馬車。商品を積んだ馬車を御していた商人は、前方からやって来たその馬車を見て慌てて道を譲る。
馬車のサイズはそれほど大きくもないが、一般市民である自分たちとは全く違う、きらびやかな車体の装飾。そして何よりも、馬車の天井には公国内の貴族が己の威厳を示す、家紋が刺繍された旗がたなびいていたのだ。
馬車のサイズは小さめといえど、相手は貴族。爵位で旗の色を分けることになっているので、鮮やかな緑の旗から侯爵家であることがすぐに分かる。
いそいそと道を譲る商人に向かって、御者台の初老の男性が軽く手を挙げる。平民が貴族に道を譲って当然、という貴族が多い中で、丁寧な対応をする御者だ。
商人は馬を停めて、じっと箱形馬車を見送った。あの紋章を持つ侯爵家は、確か――
箱形馬車がこぢんまりとしたアーチをくぐり、立派な屋敷の前でゆっくりと停車する。
地面に下りた御者が段差の小さい階段を馬車の脇に置き座席のドアを開けると、中にいたうら若い女性の相貌が日の光の下に照らされた。
緩やかなウェーブを描く金髪は、ほんの少しだけ桃色がかっている。長い睫毛に縁取られた目は春の小川に咲くスミレ色で、特に口紅を付けているわけでもないのに唇はつややかな赤色に潤んでいる。
御者がパラソルを開き、麗しい令嬢の手を取って馬車から降ろす。一段一段ゆっくりと階段を下りる令嬢。ふわりと、高級品のドレスのフレアスカートが風に舞う。
立派な屋敷に、季節の花が咲き乱れる庭園。おしゃれな馬車。
手入れが行き届いており清潔感と、愛らしさがにじみ出るような屋敷の風景。そこに桃金髪の美少女が現れるものだから、まさに絵になる光景。
……なのだが。
「……ねえ、トーマス。私、トーマスの手がなくても馬車から降りられるわ」
「そうでしょうとも。しかしお嬢様、私がエスコートしなければ、お嬢様は階段を出す前に自ら跳び降りてしまわれるでしょう」
「そっちの方が早いじゃない」
「早さの問題ではありません」
「ちえっ」
「ほら、お嬢様。通行人がこちらを見ておりますぞ。お城でいらっしゃるときのように、しとやかになさいませ」
「はぁい」
令嬢と御者の間でそんな会話が繰り広げられているとは露も思わず、通行人たちは思わず足を止め、麗しい春の妖精のような令嬢の姿に、見惚れていた。
――ねえ、あそこのお屋敷に住んでいる侯爵家の方々。
――リトハルト家だね。
――そう。一年前くらいとは全然雰囲気が違うわね。
――そうだね。屋敷も庭も馬車も、あんなに立派になったよ。さすが侯爵家。僕たち平民とは違うね。
――だって、リトハルト家に次期大公妃様が養子に入られたのよ! ほら、庭にも衛兵がたくさん……。
――そりゃあ、天下の大公殿下の奥方の実家になるんだからね。
――今さっきお帰りになったのって、テレーゼ様よね? 一年前は庭の土をほじくり返してらっしゃるような方だったのに、立派になられて……。
――いやぁ、本当に。大通りの店で値切り交渉をしている姿、もう見られないのかな。
――ちょっと、不敬罪になるわよ!
――君もね。
リトハルト侯爵家。
それは、アクラウド公国で古くから続く由緒正しき侯爵家。
由緒は正しいのだが、一年ほど前まではリトハルト侯爵家の家計は火の車だった。諸事情により数代前から、リトハルト家は質素な生活をせざるを得なかったのだ。
だがリトハルト家一族は代々温厚で、領民や公国民からの評判は悪くなかった。現当主の娘であるテレーゼ・リトハルト嬢も、令嬢でありながら家族と領民を助けるべく、せっせと縫い物をし、買い物に行き、自ら掃除洗濯をするという何とも健気な娘であった。
そんなリトハルト家は、ある出来事をきっかけに大きく持ち直した。
約一年前の、大公妃候補選出事件。様々な人々の思惑によって形作られたその事件により、アクラウド公国は大きな変遷の時期を迎えた。先代大公の代から不正をはたらいていた貴族が罰せられ、貴族体制の見直しが行われた。そして平民生まれの女性が大公妃候補に据えられ、彼女に貴族の身分を与えるため、リトハルト家の養女に迎えられることになった。
さらにテレーゼ嬢が姉である大公妃の専属女官に据えられたものだから、リトハルト家の財政は潤う一方。広さばかりで手入れが行き届かなかった屋敷を改築し、薬草なのか雑草なのか分からないものがすくすく育っていた庭を整備し、馬車やアーチも一新した。
それでも彼らは質素を好み、爵位を持たぬ一般市民に対しても丁寧な対応を忘れなかった。
そんなリトハルト家の応接間にて。
一年前は今にも朽ち果てそうなソファセットがあるのみだった応接間には、かわいらしいパッチワークの上掛けが目立つふかふかのソファが据えられている。
「……え?」
応接間にいた人間たちの動きが止まる。
ソファには、当主の妻である侯爵夫人と三人の子どもたちが並んで座り、その向かいには噂のご令嬢テレーゼ・リトハルトが座っていた。
今し方、テレーゼがあることを家族に告げた。それによって、和やかだった応接間の空気がぴしりと冷え固まったのだ。
「……テレーゼ、今あなたは、何と言いましたか?」
侯爵夫人がやや掠れた声で問う。ほっそりとした指先がティーカップを持ち上げるが、隠しようのない動揺によって紅茶の水面にさざ波が立っている。
対するテレーゼは、眉を寄せる。母ももちろんだが、向き合って座っている弟妹たちも、ぽかんと口を開いてこちらを凝視しているのだ。
(私、そんなに変なことを言ったかしら?)
「えっと、ですから私、先日、あるお方にプロポーズされたのです」
なぜに二度も同じことを言わねばならないのだろう、とやや理不尽に思いつつもテレーゼは同じ言葉を繰り返す。
真っ先に呪縛から解かれたのは、下の妹であるルイーズ。はい、と町の学校で教わる通りに挙手する妹は、いつも通り愛らしい。
「分かった! 肉屋のポールだね!」
「……いや、それは五年前の喧嘩友達よ」
「はいはーい! 配達員のウィリアムでしょ! ウィリアム、姉様のことをずっと気にしてたもの!」
「……マリー。ウィリアムは先月結婚したって聞いたけれど」
「まさか姉様、紅茶専門店のエリンですか? だめですよ、あいつは女ったらしです!」
「エリオスまで言うの? っていうかどうして、城下街の知り合いばっかり候補に挙げるのよ」
好き勝手に相手予想をする弟妹たち。ある意味彼らは通常運転のようだ。だがしかし、誰一人としてテレーゼの相手が伯爵家嫡男だという予想には至らなかった。というか、テレーゼが貴族に求婚されると思われていないのだろう。そう思うと、なんだか虚しい。
「……静かになさい、あなたたち。テレーゼの話は終わっていません」
弟妹たちを制したのは、しばらく沈黙していた母。一年の大半を領地で過ごす父よりも存在感の強い母にたしなめられ、三人は姿勢を正して黙る。
「……テレーゼ、それは大変喜ばしいことでしょう。どのような相手であれ、あなたが男性にプロポーズされると聞いて、私は母として嬉しく思います」
「昔、町の女の子からはプロポーズされましたからねぇ」
「自分で言っていて悲しくないのですか。……まあ、いいです。それで、相手の方は?」
来た、とテレーゼは口内に溜まっていた唾を飲み込む。傍らに置いているバッグには、「彼」から交際の証にもらった髪留めが入っている。
アクラウド公国では、男性が女性に真剣な交際を申し込む際に花を象ったアクセサリーを贈り、求婚の際には指輪を贈る習わしになっている。
テレーゼはふうっと息をつき、まっすぐ母親を見据える。
「……ジェイド・コリック次期伯爵殿です。彼から、結婚を前提にした真剣な交際を申し込まれました」
「……コリック」
さしもの母も目を見開いた。家名に聞き覚えがあるのだろう、弟のエリオスもぴくりと肩を揺らせる。
「コリック家……それは確か、代々優秀な騎士を輩出する伯爵家ですね、姉様」
「そうよ、エリオス。ジェイドはコリック家の嫡男。彼にプロポーズをされたのです」
テレーゼは大きく息をつく。妙だ。ジェイド本人からプロポーズを受けた際には落ち着いた気持ちでいられたのに、家族に報告するときになってこんなに緊張するなんて。
反対されることはないだろうと、馬車の中でも考えていた。なぜか弟妹たちは町の青年の名ばかり挙げるが、相手が次期伯爵でもきっと、認めてもらえる。
(ううん、認められるようにするんだ)
ジェイドとの仲が認められるのか、それはテレーゼの挙動にも掛かっているだろう。
とすれば、テレーゼはジェイドのことを認めてもらえるよう、努力せねばならない。
テレーゼは真っ直ぐ、家族の顔を見つめた。いつも一言余計な弟妹たちでさえ、気圧されたようにテレーゼを見返していた。




