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新たなる就職先、斡旋

 リィナをレオン大公の部屋に送り届けたテレーゼは、開放廊下の中程で立ち止まった。

 風が心地いい。テレーゼの真新しい女官用ドレスの裾がはためき、絹同士が擦れ合う微かな音が耳朶を擽る。


 この女官用ドレスも一級品だ。官僚や騎士と違って女官はこれといった制服がない代わりに、比較的落ち着いた色合いと装飾のドレスにエプロン型の上着を羽織ることになっている。ガウンは支給品だが、ドレスはそれこそ、リトハルト家が得た三百五十万ペイルのうち、リィナの支度金を除いた二百五十万ペイルから支払い、公都随一のクチュリエールで注文した。


 同時に注文したリィナの夜会用ドレスよりずっと安価だが、それでも半年前のテレーゼたちならば購入はおろか、触れることも見ることも叶わなかったような衣服を今、着ている。


「テレーゼ様」


 涼やかな低い声。テレーゼの胸を擽る、優しい声。


 テレーゼは欄干に手を乗せた状態で体だけを捻る。モスグリーンの騎士男性服を纏った青年が片手を挙げ、こちらにやって来ていた。


 彼の詰め襟には、星を象ったバッジが飾られている。彼がコリック伯爵家長男であり、そしてあのバッジが示すのは近衛騎士団士官階級ということを、テレーゼはつい最近知った。


「ジェイド、お勤めご苦労様です」

「テレーゼ様こそ。リィナ様は今日も、レオン大公とお仕事ですね。その、リィナ様が殿下を叱咤される声が階下まで聞こえてきたので」


 ジェイドがわずかに頬を引きつらせて言うので、テレーゼは堪らずプッと吹き出す。


「やっぱり分かりました? そうですの、リィナ……お姉様は、バシバシ大公殿下を扱かれていて」

「……これも愛の形、なのでしょうか?」

「ですね……なんだかんだ言って、お姉様は殿下のことが大好きですから」


 リィナがレオン大公――ノエルのことをどれくらい好いているのか、テレーゼはよく知っている。そして同じように、レオン大公もリィナのことを大切に思っている。


 初めて会ったときは二人とも幼すぎて、レオンは平民であるリィナを無事に迎えることができなかった。だから彼は偽名を――本名の綴りを逆にした名前――を仮に教え、リィナを安全に妻に迎えら得るように努力してきた。


 他人に対してとことん興味のないレオン大公と、冷静にツッコミを入れて軌道修正してくれるリィナ。

 指輪が選んだ通り、彼らの相性は良いのだろう。きっと。


 ふと、テレーゼはジェイドの顔を見つめていて、ふふっと笑いだしてしまう。


「……テレーゼ様?」

「ああ、ごめんなさい。ちょっと、初めてあなたがわたくしの家にやってきたときのことを思い出してしまって」

「……ああ、大公妃候補のお話をしに参上したときの」

「そう。今思うとわたくし、あの時からジェイドの前では素顔を出してしまっていたなぁ、としみじみ感じられて」


 十万ペイルという単語に反応し、女官と側近という再就職先に目をらんらんと輝かせる変人令嬢を、ジェイドは静かな目で見守ってくれた。


(もしあの時ジェイドに受け入れられなかったら……いや、ジェイド以外の人が来ていたら……)


 こうやって、優しい風の中で笑うことはできなかったと思う。

 リィナと出会うことも、リトハルト家の財政を持ち直すチャンスも、なかったかもしれない。


「思えば、全てのきっかけはあなただったように思うのですよ、ジェイド」

「私ですか? ……しかし私は偶然に、あなたの担当になっただけですよ」

「そうかもしれません。でも、あなたがリトハルト家に来てくれたから……こんなわたくしを見てもドン引……いえ、驚いたりしなかったから。だからわたくしは心おきなく、お城で本懐を遂げることができたのです。ありがとう、ジェイド」


 大公妃候補が解散した今、ジェイドはテレーゼの専属護衛ではなくなった。彼は近衛騎士団に戻り、テレーゼは大公妃専属女官になった。


 人生、何が起こるか分からない。分からないが、転機の鍵になってくれたジェイドに、心からの礼を贈りたい。


 ジェイドはしばし、静かにテレーゼを見つめていた。テレーゼが大公妃候補だったときから変わらない、凪のような穏やかな眼差しで。


 ――それを見つめていると、胸が苦しくなるような、真っ直ぐな目で――


 ジェイドの薄い唇が、何かを決心したように開かれる。


「……テレーゼ様」

「……はい?」

「今日、私がこちらまでやって来たのは、テレーゼ様に一つ、提案があったからです」

「提案?」


 テレーゼは体を起こし、きょとんと聞き返す。藪から棒に何を言うのだろうか。

 ジェイドは生真面目な顔で頷く。


「テレーゼ様は今、レオン殿下の婚約者であるリィナ様付きの女官という職を得てらっしゃいます。実はテレーゼ様にもう一つ、就職先のご提示に参りまして」

「……ジェイドが職の斡旋に?」


 わけがわからなくて、テレーゼは首を傾げる。だが彼の言わんとすることが飲み込めてくると徐々に、その顔が険しくなる。


「ジェイド、わたくしはリィナお姉様の専属女官です。申し訳ありませんがどのような職であれ、女官職を退いてまでして再就職しようとは致しません」

「ええ、あなたならそうおっしゃると思いました。ただ、私が今日提案する職は、女官職と兼職できるのです」

「え?」


 いつの間にかジェイドを睨むように見上げていたテレーゼは、目を見開く。


(女官職と兼職? そんなの、できるわけ……)


「……あの、女官になる際にレオン大公の前で契約書にサインしたのですが、いかなる兼職も不可だと……」

「何事にも穴はあるのですよ。それに、兼職といってもいろいろです。言うならば……ある貴族の男性のサポート役、といったとことでしょうか」

「サポート、ですか」


 ジェイドの言葉の意味をはかりかね、テレーゼは腕を組む。


「はい。女官職というだけで十分な給金を得られてらっしゃいますが、こちらの職に就いていただければ、三食の食事代も居住費も、全て控除されます」

「……何?」


 ジェイドの言葉に、ここしばらく胸の奥で鎮火していた炎がめらめらと燃え上がってくる。


(三食住居費付き!? なんて太っ腹な職! えっ、つまり住み込みの仕事!?)


 テレーゼの顔が徐々に戦士の面影になったのに気づいたのだろう、ジェイドは小さく微笑む。


「ああ、何ともあなたらしい表情ですね。……さらに、あなたは今後、姉君でいらっしゃるリィナ様に従属して夜会に上がる機会も増えるでしょう。その際に必要なテレーゼ様のドレスも宝飾品も化粧も全て、費用免除です。しかも、あなたの好みに合わせたものを準備できます」

「ド、ド、ドレスにアクセサリーにお化粧品……っ!」


 三百五十万ペイルのうち、半分以上はリィナの嫁入り仕度代と、テレーゼの女官準備代に費やした。身に纏うものだけでもなかなかの出費だと、母と一緒に家計簿を書きながら痛感したものだ。


 だが、ジェイドの示す雇用主は、テレーゼの衣服代全ても支払ってくれるという。


(……はっ! いけないいけない! 甘い話には裏があるって、お母様のメソッド集にもあったじゃない! 落ち着け、テレーゼ! 情報収集情報収集!)


 思わず「乗った!」といつぞやのノリで答えてしまいそうな自分の本能を殴り倒し、テレーゼは努めてしとやかにジェイドに問いかける。


「そ、それはとてもすばらしい条件ですわね……ただ、それだけ恩恵を受けられるならば、職務内容も相応のものではないでしょうか?」


 貴族の男性のサポート役と聞いている。となると、その男性とやらが非常に扱いにくい偏屈な老人だとか、斜め右上方向の性癖を持っているとか、凄まじい色狂いだとか、そういう決定的なオチがあるのではないか。


(早とちりは身を滅ぼす! テレーゼ、目の前のニンジンに食いつく馬になるな! 遠くにあるニンジンの山を目指す馬になれっ!)

おや? ジェイドの ようすが……?

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