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決意の言葉は、「もったいない!」

 テレーゼはふんと胸を張り、クラリスを見返す。殴られるなら、とことん殴られてやる。以前はリィナが庇ってくれたが、リィナはここにはいない。

 ボコボコされてでもいい。リィナを見つけて、ジェイドと合流して、メイベルと確認を取り合って、明日に臨んでやる。


 レオン大公に対する敬意も、リィナも、何一つクラリスにはやらない。

 ここで初めて、クラリスの表情が歪んだ。庭園でも見た、化粧では隠しきれない歪んだ美貌だ。


「……おまえの付添人がどうなってもいいの?」

「……やっぱりリィナを盾にしたんですね。でも、そうなる前に時間切れでしょう。もうじき騎士団も異変に気づくはず。こんな有り様を見られたら、あなたたちの敗北確定です。それに、リィナはあなたが思っているほど弱くない。私だって、簡単に屈したりしません!」

「お黙り……お黙りお黙りぃっ!」


 ついにクラリスの中で何かが切れたようだ。

 それまで一線を保っていたクラリスががばっと立ち上がって吠えたため、さしもの取り巻きたちもぎょっとする。


「ク、クラリス様!?」

「どうか落ち着いて……」

「お黙り! へつらうしかできない無能の分際で!」


 とうとうクラリスの怒りの矛先は取り巻きにも向いた。


 クラリスはテーブルに置いていた小さな缶を手に取り、一番近くにいた令嬢――くしくも、マリエッタだ――に向かって投げつけた。


 缶は小さいが、中身はそこそこ入っていたようだ。ガン、と鈍い音がして缶がマリエッタの眉間に命中し、マリエッタは悲鳴を上げて倒れ込む。


 クラリスが投げたのは茶缶だった。そう、一缶四十五ペイルもする高級品。それがクラリスに投げられた衝撃で蓋が開き、良い香りのする茶葉がばさばさと宙に舞う。


 愕然と、テレーゼはカーペットに降り注いだ茶葉を見つめる。だがそれもクラリスの暴走から逃げようとした令嬢に踏まれ、テレーゼは思わず呻いた。


(な、なんてもったいない……! 最悪! 四十五ペイルもする茶缶を!)


 マリエッタには申し訳ないが、マリエッタの怪我を心配するよりも四十五ペイルの茶缶の末期の方が気になって仕方がなかった。


「この……ドブネズミがっ!」


 間近で聞こえてきた声に、テレーゼははっとした。見ると、すっかり怒り狂ったクラリスがテレーゼに向かって何かを投げつけようとしていた。本当に、何かを投げること、殴りつけることに定評のある令嬢だ。


 テレーゼは目を見開く。クラリスが持っているもの、それは――


「っ……もったいなーーーい!」


 テレーゼは立ち上がった。両手両脚縛られた状態で、生まれたばかりの子鹿のように、ふらふらになりながら。


 まさかテレーゼが反撃の姿勢を取るとは思っていなかったらしいクラリスが、その格好のまま停止する。彼女が持っているのは――


(あ、あれは間違いなく、私の部屋にもあったモルドール地方のガラス細工! リィナによると一体で最低でも百ペイル!)


 超高級品を粗末に扱うクラリスに、とうとう我慢ならなかった。

 テレーゼはそれほど強くもない脚のバネを最大限にしならせ、思いっきりクラリスの腹部に突進した。姿勢が姿勢なので、半ば頭突きするような形で。


「ぎゃあっ!?」

「クラリス様!?」


 元々軍人でも何でもないクラリスは、テレーゼのタックルを受けても踏ん張ることができなかった。ガタンバタンと椅子をなぎ倒し、テーブルを吹っ飛ばしながらテレーゼもろともカーペットに倒れ込む。その手からガラスの置物が落下し、毛足の長い絨毯に転がったのを見て、テレーゼはほっとした。


 そして――


 バン! と派手な音を立ててドアが外側から蹴り開けられた。


「クラリス・ゲイルード公爵令嬢を捕縛せよ!」

「一人たりと、部屋から逃がすな!」


 ドアに背を向けてクラリスの上に俯せになったテレーゼは、声と音を聞くしかできない。だが、ばたばたと重い軍靴の音と、令嬢たちの悲鳴、そしてきびきびした男性たちの声を耳にし、事態を把握した。


(近衛が来た……た、助かった!)


「テレーゼ様!」


 棒状に伸びるしかできないテレーゼの背後に、焦った声が掛かる。思えば、「彼」のこんなに焦った声を聞くのはこれが初めてだった。


 テレーゼの体が抱き上げられ、ようやっとくるりと体を反転させて頭上を見上げることができた。


「……よかった、テレーゼ様……」

「……ジェイド?」


 テレーゼはぽかんとして、自分を抱き起こした人物を見上げる。

 いつも真面目で落ち着いていて、冷静なツッコミ役のジェイドが息を切らせている。いつもはちゃんと撫でつけている髪が乱れ、走ってきたのか息も上がっている。


 それほどまでジェイドが焦っている。テレーゼのために、焦っている。


 それの、どれほど幸せなことか。


「ジェイド……来てくれたのね」

「……御身をお守りできず、申し訳ありません。リィナ殿も無事です。メイベル殿も、先ほど無事を確認しました」

「そうなの……よかった……」


 テレーゼはほっと安堵のため息をつく。背後では、近衛にクラリスが引きずり起こされ、縄を掛けられているようだ。クラリスは抵抗の声を上げているが、近衛は容赦していない。


 ああそうだ、とテレーゼはジェイドに微笑みかける。


「ジェイド……私、ちゃんと頑張ったのよ」

「っ……ええ、知ってます……よく、頑張られました……」


 なぜかジェイドが涙ぐみそうになっている。

 とくん、とテレーゼの胸が鳴る。


「……うん、頑張って守ったの……」

「テレーゼ様……」

「百ペイル……」


 一瞬、二人の間を沈黙が過ぎる。


 周りではばたばたと近衛たちが慌ただしく部屋の中を制圧し。


「……なんですか、それ」


 ジェイドの虚しそうな声が、ぽろりとカーペットの上にこぼれ落ちた。

後日談

ジェイド「百ペイルって何だったのですか?」

テレーゼ「クラリス様が投げようとしたガラス細工の価値です」

ジェイド「……………」

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