リィナの奮闘
リィナの はんげき!
「……リトハルトの令嬢が捕まったの? 本当にあっさり来たのね」
城内の隅っこに存在する、リネン室。
古ぼけた椅子に座っていた女性はリネン室にやってきた侍女の報告を受けて、小馬鹿にしたように笑う。
「マリエッタ様も頑張られたのね……それじゃあ、私はこの女を見張っていればいいの?」
「そのようです、ローザ様」
侍女は丁寧にお辞儀をして応える。クラリスが懐柔したというこの侍女は、リィナを官僚棟まで呼びだし、その途中の廊下で薬を嗅がせてここまで引きずってきたのだ。リィナは身長があるので、引っぱってくるのは大変だったそうだがなかなか優秀な侍女だ。
マリエッタ・コートベイル伯爵令嬢の付添人であるローザはフンと鼻を慣らし、足元に倒れ伏すリィナを爪先で示す。
「ならこっちもさっさと縛って」
「かしこまりました」
リネン室に鍵を掛けた侍女は、棚からロープを持ってリィナに歩み寄る。
その場にしゃがんでリィナの腕を持ち上げた侍女は、ふと動きを止める。今、リィナの頭が微妙に動いたような――
「……っりゃあ!」
ゴッ、と鈍い音。
退屈そうに爪先をぶらぶらさせていたローザは、はっとして顔を上げた。見ると、つい先ほどまで足元に伸びていたはずのリィナが立ち上がり、右の肘を侍女の腹部に叩き込んでいた。
下方からの、しかもよくも狙いを定められていない攻撃とはいえ、侍女の方も完全に不意打ちを食らっていた。腹をえぐるような肘鉄を食らった侍女が仰向けに仰け反り、蹈鞴を踏んでいる。
ローザは呆然と、自分を睨み付けるリィナを見つめる。見つめるしかできない。
「……どう、して……」
「明らかに怪しいハンカチを口元に宛われたから、気絶した振りをしただけよ」
呂律も怪しいローザに対し、リィナは平然と答える。そしてよろめきながらドアへと向かった侍女を逃がすまいと、自分の頭部に手をやる。
「待ちなさい、この卑怯者!」
侍女が青い顔で振り向く。その瞬間、リィナは自分の頭からもぎ取ったものを侍女の顔面に向けて投げつけた。
それは、髪をまとめていた金属製のバレッタ。片手の中に収まる大きさだが金属製のためにそこそこの重量があるそれは侍女の眉間に命中し、侍女は悲鳴を上げて顔を手で覆う。
すかさず体勢を崩した侍女との距離を詰め、容赦ない回し蹴りを放つ。ぐえっ、と悲鳴を上げて侍女が頽れ、ふらついた拍子にリネン用の棚にぶつかり、そこに乗せていた枕がどさどさと降ってくる。あっという間に、侍女の姿は枕に埋もれてしまった。
「ひっ……!」
がたっと椅子を蹴り倒してローザも立ち上がる。逃げようと辺りを見回すが、残念。リネン室は縦長の小部屋で、ドアに向かうには目の前にいるリィナを倒さなければならない。
その場に棒立ちになるしかないローザにも、リィナは容赦しなかった。
「てぇいっ!」
足元にあった枕をひっ掴み、ローザに向かって下方から投げつける。枕はローザの顔面に命中し、ふらりと倒れかけたローザに向けて、リィナは棚から引っ張り出したシーツを覆い掛ける。そしてローザがシーツの下で悲鳴を上げている間にどさどさと、厚手の毛布やら上掛けやらを引っ張り出しては重ねていった。
数秒の後には、リネン室のほとんどの真新しいシーツ類はほとんど引っぺがされ、床にはこんもりとした山が二つ、できていた。毛布は重いが、息はできる。
「……まさか、こんなに命中するなんて」
リィナはふうっと息をつき、ローザの山を跨いで窓に歩み寄る。侍女に廊下を引きずられている際に気づいていたが、侍女は階段を上がっても下りてもいない。つまり、ここはリィナが拘束された階と同じ、二階だ。
窓の鍵を外し、身を乗り出す。そこそこ高さはあるが、下りられないほどではない。窓の下も裏道になっているので、好都合だ。
リィナは棚に残っていたなけなしの毛布を引っ張り出し、ばさばさと窓から下に落とした。風に煽られていくつかはあさっての方向に飛んでいってしまったが、大半は窓の真下に落ちてくれた。
部屋の中をちらと見たのち、リィナは窓を乗り越え、短めの柵をしっかりと掴んで窓枠を蹴った。高所恐怖症でなくて、小さい頃から庭木に登ったり飛び降りたりした経験があって、本当によかったと思う。
柵に掴まってしばしぶらぶらと揺れたのち、足元に狙いをつけて手を離す。体が宙に浮いたような感覚。
それも一瞬のことで、リィナの体は軽い音を立てて毛布の上に落下した。足元がずるっと滑ったため、顔面衝突しないように慌てて両手で体を支える。少しばかりくらっとするが、歩けないほどではない。
リィナは自分が脱出してきた窓を一瞥した後、歩きだした。
心配なのは、部屋に残してきたテレーゼ。
官僚棟からの報告がリィナを誘き出すための嘘だったとすると、犯人の目的は間違いなくテレーゼだ。あのリネン室にリィナを閉じこめ、テレーゼを呼びだす材料にしたのだろう。
テレーゼは賢いが、いかんせん正義感が強すぎて突っ走ってしまうところがある。テレーゼ自身も自分の猪突猛進ぶりを改善しようと思っていたらしく、リィナもテレーゼに教えてきたところだ。
まずは、騎士団に報告しなければ。
リィナは慎重な足取りで裏道を進む。最初は見覚えのない光景だったが、建物の角を曲がるとひょっこりと、裏庭のエリアに出た。ここなら官僚棟からもそれほど遠くない。後はほぼ黒と言っていいクラリスを始めとした令嬢たちと会わずに、可及的速やかに近衛の騎士団に駆け込むことだ。騎士団に行けば、報告会に出ているジェイドにも会えるはずだ。
「あっ……!」
とたん、ずきっと足首に激痛が走る。
体がバランスを崩し、草地に滑るようにして倒れてしまう。
さきほど二階から着地したとき、一瞬シーツに足を取られた。その時に足首を捻ってしまったのだ。
「くっ……」
「おい、誰かそこにいるのか?」
ばたばたと足音が近付いてきて、間もなくリィナの前に近衛の制服姿の騎士たちが駆けつけてきた。
体は泥まみれで服もしわくちゃの酷い有り様だと分かっているが、ほっと息をつく。
「近衛の方ですね……」
「あなたは?」
「リィナ・ベルチェと申します。近衛の方々にお伝えしたいことがございまして……」
「リィナだって!?」
いきなりリィナの声をかき消してきた、第三者の声。
リィナの手前にいた近衛が押しのけられ、軍服姿の青年が足早にやって来た。日光を浴びて輝く金の髪に、青の目。
リィナは息を呑む。まさか、近衛所属だとは。
「の、ノエル……?」
「リィナだね、どうしたんだ、その格好は……」
「……近衛の方々にお伝えしたいことがあるのです。どうか、上のお方にご連絡をお願いします」
「……分かった。用件は?」
リィナは周りに控える近衛たちを見やる。彼らはどこか不可解そうな目でリィナとノエルを順に見ているが、ノエルの視線を受けて沈黙を貫いているようだ。
「……テレーゼ・リトハルト侯爵令嬢の安否確認をしたいのです。大公妃候補の方との間に問題が発生した恐れがあります。どうか、テレーゼ様の護衛騎士であるジェイド・コリック殿にもお伝えを……」
リィナは唇を噛む。自力で走り、テレーゼの元まで行きたいのに、今になって足首が苦痛を訴えてくる。ノエルに説明している間も、上半身を起こすのが精一杯だ。
ノエルは真面目な顔で頷き、辺りで待機していた近衛立ちに号令を飛ばす。
「……聞いたな。すぐさまテレーゼ・リトハルトの部屋にジェイド・コリックを向かわせろ! 同時に、妃候補たちの確認に向かえ!」
ノエルの命令を受けて近衛たちは敬礼を返し、踵を返した。
ばたばたと近衛たちが行動に移る間、リィナは眉を寄せてノエルの涼しげな横顔を見上げる。
てっきり近衛の一員であるノエルが上司に報告するのかと思ったのだが、ノエルが近衛たちを指揮している。
ぽつり、とリィナの胸にある予測が浮かび上がる。それは、「そうでなければいいのに」と心の奥で思っていたこと。
(……いや、まさかね……?)
辺りの様子をちらちら見ていたリィナだが、いきなり腕をぐいっと引かれ、小さく息を呑んだ。
両足が地面から離れていき、リィナの体は逞しい二本の腕に抱き上げられる。すぐ近くに、ノエルの端正な顔が見える。
わずか数秒の間に、リィナはノエルに抱きかかえられていたのだ。
驚きも瞬時に冷め、リィナはノエルの額をぐいっと押しやる。
「……下ろしてください」
「無理を言わないの。君、服がボロボロだよ。誰に何をされたの? 相手は男?」
逆に質問攻めにされ、さしものリィナも戸惑う。なんとなく、ノエルの機嫌がよろしくないことに気づいた。
「じ、女性です。どこかの侍女とローザとかいう女性二人に廊下で拉致されました。二人は私が倒したから、何ともないですけど……」
「そうか。でも、僕が介抱するから安心してね」
「結構です。下ろしてください。ゆっくりなら自力で歩けます」
「もっと抱いていたいんだけど」
「さすがに怒りますよ?」
リィナが本気で怒っていることに気づいたのか、しばらくしてノエルはリィナを下ろしてくれた。
そんな二人を周りの近衛兵たちが、珍獣でも見るような眼差しで見つめていたことに、リィナは気づかなかった。
相変わらず面倒くさそうな男だ。