侯爵令嬢の覚悟
明日の打ち合わせがあるということで、ジェイドは部屋を出ていった。入れ代わりにメイベルが外出から戻ってきてくれたので、メイベルが買ってきてくれていた品物をテーブルに並べ、二人であれこれ吟味していると。
「テレーゼ・リトハルト様、ご在室ですか?」
きゃっきゃと賑やかな笑い声。ぶ厚い木製のドア越しにでもよく聞こえる黄色い声に、テレーゼはメイベルと顔を見合わせる。
「……どなたかしら?」
「伺って参ります」
そう言ってメイベルがドアに向かう。鍵を掛けたままで、外にいる者と応答しているようだ。
「わたくし、テレーゼ様の使用人でございます。お名前を、ご用件をお伺いしても?」
「わたくし、マリエッタ・コートベイルと申します。テレーゼ様に、お茶会のお誘いに参りましたの」
「マリエッタ・コートベイル様。お茶会……ですか?」
メイベルが応答しつつ、横目でテレーゼの方を窺ってくる。テレーゼは眉を寄せる。
(マリエッタ・コートベイル? コートベイルっていうと、確かどこかの貴族だったけど……だれ?)
少なくとも気軽にお茶会をするような仲ではない。メイベルが戻ってきて、テレーゼにハンドサイズのカードを渡した。
「こちらが招待状だそうです。一読いただけたらと、マリエッタ様もおっしゃっております」
「中に蜂の死骸とか蛇の抜け殻でも入ってるんじゃない?」
「そんなゲテモノを入れている発想をするのはテレーゼ様だけです。少なくとも刃物などは入っておりません」
テレーゼは渋々メイベルからカードを受け取った。いつぞや太后から贈られたカードのようにぶ厚い紙質のカードは、宛先は「テレーゼ・リトハルト様」とあるが、送り主の名はない。怪しい。
「お断りしましょうか?」
メイベルが眉間に皺を寄せて問うてくる。テレーゼは酸っぱいものを食べた顔になりつつ、カードを開いた。
そして――
「っ……!」
「テレーゼ様?」
息を呑んだテレーゼの顔をメイベルが覗き込んでこようとする。
だがそれよりも早く、テレーゼはにっこりと笑みを浮かべ、弾んだ声を上げた。
「まあ! いい意味で予想外れだったわ、メイベル! 私の古い知り合いもお茶会に参加するそうなの!」
「テレーゼ様……?」
明らかに訝しげなメイベル。長くテレーゼを見守ってきたメイベルには、テレーゼの動揺なんてお見通しだったようだ。
(ごめん、メイベル。今は黙って流されて……)
テレーゼはカードを畳み、廊下の外に聞こえる声で言う。
「すぐに仕度して! ああ、マリエッタ様たちにもすぐに向かう、とお伝えしてね」
「テレ――」
「ねえ、メイベル。メイベルなら、私の得意なこと、言えるわよね?」
急にテレーゼが遮ってきたからか、メイベルが気圧されたように目を見開く。
「え? ……ええ、テレーゼ様は鬼ごっこと――」
「そこまで言えたなら十分! 後はよろしくね、メイベル!」
テレーゼはフンフン鼻歌交じりにメイベルの肩を叩き、お茶会に参加するためのドレスを選びにクローゼットに向かった。
ドアの外では、くすくすと令嬢たちの笑い声が響いている。テレーゼもまたくふくふ笑い声を上げているが、そのスミレ色の目はこれっぽっちも、笑っていなかった。
ささっと仕度をしたテレーゼは一人、廊下に出る。予想通り、そこには「待ちくたびれた」と言いたげな表情の令嬢たちが、四人ほど。
テレーゼはそんな彼女らに、朗らかに笑いかける。
「お待たせいたしました。マリエッタ様は、どちらで?」
「わたくしです。急な誘いに乗ってくださり、ありがとうございます」
そう言って一歩前に出るのは、豊かな栗毛の少女。顔の下半分を扇で隠しており、表情が上手く読み取れない。
「早速ご案内いたしますわ」
「ええ。とっても楽しみですわ!」
テレーゼはるんるんと上機嫌でマリエッタの隣に並び、歩きだす。マリエッタ以外の令嬢たちはそんなテレーゼを見てなおも、くすくす笑っている。
(まんまと釣られたと思った? 残念、釣られてあげたのよ)
扇を開いて口元を隠したテレーゼは、マリエッタたちに見えないように小さく唇の端を曲げる。
テレーゼは最初、あまりにも突然なお茶会を欠席するつもりだった。だが、カードの中身を見て事の次第を悟った。
カードの文面は、至って普通のお茶会のお誘い文章。「場所まではコートベイル伯爵令嬢が案内する」とあるだけの、シンプルな内容だった。
だが、テレーゼの心境をひっくり返させたのは内容ではない。カードの装飾だった。
花柄のポップな愛らしい挿絵。それはいい。問題は、カードの隅に描かれた黒い蝶のイラスト。
(お母様直伝のメソッド集にもあったわ。城内でやり取りされるカードや手紙は、装飾やイラストにも注目って。黒い蝶が意味するのは――)
――脅迫。
メイベルやジェイド、リィナでは理解できないだろう、昔からある隠語の一種だ。アクラウド公国の高位女性たちが互いを牽制し合う際に使った隠語。意中の男性や使用人たちにはばれないよう、こっそりと仕込むのがミソなのだ。
つまり、このカードの送り主はテレーゼを脅しているのだ。お茶会に出席しろ。さもないと――
(私を脅す材料になるものといえば――)
テレーゼはこくっと唾を呑む。マリエッタの後頭部を睨みつつ、廊下を歩く。
マリエッタもグルだ。もちろん、テレーゼが逃げないように背後を固める他の令嬢たちも。
だが、覚悟も事前の警戒も何もなしに飛び込むよりずっとましだ。
ようやく辿り着いた部屋の前。マリエッタがテレーゼの来訪を告げ、中から使用人の手によってドアが開けられる。
(大丈夫。メイベルは私の意図を汲んでくれた)
マリエッタと使用人が話をしている中、テレーゼは扇の下で唇を引き結ぶ。
メイベルは分かっている。
テレーゼが得意なのは、鬼ごっこと、もう一つ。
(メイベルはちゃんと、「隠れん坊」してくれる。部屋に鍵を掛けて、ジェイドが戻ってくるまで身を守っていてくれる)
テレーゼは真っ直ぐ、前を向いていた。
ドアが大きく開いた瞬間、後から突き飛ばされて床に転がされても、凪のように落ち着いた心に漣が立つことはなかった。
テレーゼは 「ころばぬさきのつえ」 をおぼえた!