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試された心

皆さんの意見でレオン大公がフルボッコすぎて……夏。

 いよいよ明日は、「指輪の儀式」当日。

 相変わらずクラリスたちはやりたい放題で、護衛騎士も諦めモードだとか。


 最初は三十人近くいた令嬢たちは今、二十人程度に減っている。クラリスの妨害を受けた者たちは、手酷い仕打ちを受ける前にと城を辞したのだ。今でも残っているのは、もうどうにでもなれと諦めている者か、クラリスに追従することで生き長らえている者。テレーゼは前者に当たる。ちなみに先日庭園でクラリスに足蹴にされた伯爵令嬢から昨日、カードが送られてきた。テレーゼたちに庭園で助けてくれたことを感謝していること、しばらくは自宅で体を休めることをしたためたメッセージを添えて。


 相変わらずレオン大公はクラリスたちの暴走には一切関与せず、護衛の騎士たちからの情報だけを受けている状態だという。ここまで彼の無関心っぷりが徹底されると、もう怒りは湧いてこない。


 そもそもテレーゼはクラリスたちの我が儘放題には興味がないのだ。


 庭園での悶着からは、クラリスの報復があるかもしれないということで外出を控えている。翌日は図書館に行くことも諦めていたが、ここ数日で見張りが強化されたらしく、図書館にもジェイド以外の騎士が付いてくれることになった。廊下を歩くときにも立ち番の騎士が目を光らせているので、クラリスからの攻撃を受けることはなかった。








「見て見て! 今度はちゃんと解けたわ!」


 「指輪の儀式」前日ともなれば、大公妃を狙う者にとってはドレス選びやお茶会に忙しいだろうこの時間も、テレーゼは有効に活用していた。


 テーブルに身を乗り出し、テレーゼはリィナに解答用紙を差し出す。昨日も一昨日も全問正解できなかった、アクラウド公国の法律に関するテストだった。


 正面の席で音楽関連の雑誌を読んでいたリィナが顔を上げ、テレーゼのテストを受け取る。紅茶色の目が、見開かれた。


「これは……」

「ど、どう? 昨日は寝る前にちゃんと復習したんだけど……」

「……すばらしいです。全問正解ですよ」


 そう言ってリィナは微笑み、テレーゼの解答用紙に正解を表すチェックマークを入れてくれる。


「よく頑張りましたね。……実はこの問題、官僚試験の過去問の一部なのですよ」

「ええっ、それじゃあ私、官僚試験が解けたってこと?」

「三度目の正直ではありますが、そういうことです。……ここまで覚えるのは大変だったでしょう」

「ええ、大変だったわ。でも、自国のことを知るのはとても大切なことなんだって、再認識できたわ」


 テレーゼは返却された答案を見て、にっこり微笑む。

 貧乏侯爵令嬢として暮らしているときは、アクラウド公国がどういう歴史を辿ってきたのか、どういう法律があるのか、全く知らなかった。興味がなかったのもあるが、学ぶ機会もなかった。幼年学校ではそこまで習わないし、貴族の令嬢の基礎教養でもないからだ。


 だが女官や側近となるならば、知識はいくらでも身につけておいて損ではない。新しいことを学ぶのは、楽しい。リィナが付きっきりで面倒を見てくれるのだから、余計に。


「リィナ殿、官僚棟の方から連絡です。伝えたいことがあるから手が空き次第、官僚棟に来るようにとのことです」


 外から戻ってきたジェイドがそう言ってリィナを呼ぶ。リィナは困ったように眉を寄せていたが、テレーゼは解答用紙をきれいに折りたたんで、リィナに声を掛ける。


「行ってきていいわよ、リィナ。私は算術の宿題をしておくから」

「よろしいのですか?」

「ええ。帰ってくるまでには済ませておくから」


 そう言ってテレーゼは算術の計算用紙を取り出す。リィナの指導のおかげでだいぶ速く計算できるようになった。後は、正確に答えを叩き出せるようトレーニングを重ねるのみだ。


 リィナはテレーゼの言葉を受けて安心したのか、頷いて立ち上がった。官僚ということは、仕事関連での用事だろう。テレーゼの付添人を務めている間は官僚の仕事は止めてもらっているが、至急の手紙などが来たならばすぐに開封して中身をあらためる必要がある。テレーゼも、そこまでリィナを部屋に拘束しようとは思わない。


 リィナがいそいそと出ていった後、ジェイドが歩み寄ってきてテーブルに広げられた本や宿題を見、微笑む。


「儀式前日も勉強熱心ですね。感心します」

「ありがとう。だって、明日は正直やることはないのだもの。大公妃に選ばれるはずもないし、さっさと指輪に触れて退散したいものだわ」


 話しながら、テレーゼは算術用の参考書を取り出す。図書館から借りてきたこの本は非常に分かりやすく、このまま家に持って帰りたいくらいだ。もちろん、明日には返す予定だが。


「儀式なんて、やる気のある令嬢たちに任せればいいのよ。私は速攻で握手会を済ませるから」

「ご自分が選ばれる可能性はないと?」

「そう思っているわ。よくも知らない大公殿下に気に入られるはずもないし、指輪も私なんかに反応しないでしょうよ」


 テレーゼの目標は、はなから一つだけ。大公妃争奪戦からさっさと撤退して、その後の就職先を確保すること。


 そのためにメイベルやジェイド、リィナに協力してもらって日々勉強してきたのだ。侯爵家に帰ってしまえば、こんなに立派な本や参考書を読むこともできない。テレーゼが城にいられるのも明日までなので、時間は有意義に使いたいものだ。


 テレーゼの愚痴を静かに聞いていたジェイドだが、ふと彼は思いついたように唇を開く。


「では……逃げますか?」

「……え?」

「そんなに儀式が面倒ならば、私と一緒に逃げませんか?」


 テレーゼはゆっくり、顔を上げる。手から計算用のペンが滑り落ちるが、拾う余裕もない。


(……今、何て言った?)


 テレーゼは自分の横に立つジェイドを見上げる。ジェイドは、自分の横に座るテレーゼを見下ろす。

 深い、モスグリーンの目がテレーゼをじっと見つめている。


「……冗談でしょう?」

「本気、と言ったら困りますか?」

「困るというか……いえ、私より、それは、騎士であるあなたが困るんじゃないの?」

「レオン大公の目を欺くことくらい、頑張れば何とかなります」

「ええー……」


 あまりにも荒唐無稽な、ジェイドの申し出。いつの間にか背筋に力を入れていたテレーゼは、そっと肩を落とす。最初の驚きの波が去っていくと、すぐに冷静になれた。


(逃げる……それも楽しいかもしれないけど)


「……それは、できないわ」

「そうですか?」

「……だって、私は仮にも妃候補だもの。頭金に十二万ペイルももらっているし、儀式から逃げたらレオン大公の思いに背いたことになるわ。それに、私はただ家に帰りたいわけじゃなくて、これからも城で働きたいの。そうして、安定した収入を得て実家を建て直すのよ。エリオスたちの教育費だって、いくらあっても足りないくらい。マリーやルイーズの季節のドレスも全然足りないのだから、たくさん買ってあげたい。お父様やお母様が楽になるように、領民たちがもっと豊かになるように、領地の方にもお金を回したい」


 一ヶ月間、今までとは全く違う生活を城で送ってきてからも変わらない決意。

 それは誰に何と言われようと、ねじ曲げることはない。


 ジェイドはしばし、テレーゼを見つめていた。だがふっと、その目が笑みを象る。


「……そうですか。それは、よかった」

「え?」

「あなたを試すようなことを言って申し訳ありません。やはり、テレーゼ様ですね」

「……試したの?」


 咎めるというよりは確認の意味を込めて問うてみると、ジェイドは深く頭を下げた。


「……レオン大公からは、担当となった令嬢のお人柄やお考えをよく汲み取り、理解するようにと命じられております。あなたは一月間、この城内で過ごされましたがそのお心も決意も一切揺らいでいない。そのことを確認できて、安堵いたしました。同時に、あなたを困らせるようなことを申し上げたこと、深くお詫び申し上げます」

「……そう。いえ、いいのよ。私も、自分の考えを再確認できたから」


 テレーゼはちょんちょんとジェイドの肩をつつく。驚いた彼と目を見合わせ、静かに微笑んだ。


「一月間を通して、私はやっぱりこれから、自分にできることを精一杯したいって思えたわ。たくさん勉強して、ジェイドやリィナとお話しして……その、クラリス様たちの問題に巻き込まれたこともあったけれど、本当に来てよかったと思えるの。だから、明日も逃げないでちゃんと儀式に臨むわ」

「テレーゼ様」

「私も頑張るから……明日まで、よろしく。ジェイド」


(そう、明日まで)


 固く頷くジェイドを、テレーゼはどこか他人事のように見つめていた。


(明後日になったら、ジェイドは他人になる。私の護衛騎士じゃなくなる。ただの、城の人間になる)


 それは、最初から分かっていたこと。


 それなのに――


 テレーゼはそっと、自分の胸に手を当てた。


 ここがしくしくと傷むのは、なぜなのだろうか。

Q ジェイドさんは、本当に「試す」ために言ったのですか?

A ……そうですね。自分ではそう、思っています。

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