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『女林冲伝』桝田珪赤  作者: 桝田珪赤
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第五話・告白



二日後、聚義庁で、隊長格選抜の為、会議が持たれた。

開始の時刻ぴったりに、林冲と宋万は扉を開けた。付け髭を外した林冲はいつも通り鎧姿だったが。どこからどう見ても、女だった。意を決したように観音開きの扉に手を掛け、中に入った。晁蓋を中心として、席には呉用、公孫勝、阮の三兄弟に、白勝も居た。杜遷と朱貴も居る。どうやら、晁蓋を除く上位十人が呼ばれていたようだ。例外は、魯智深だった。晁蓋の横に立っている。

「豹子頭林冲、馳せ参じました」

報告をする時と全く変わらなかった。腹を据えているのだろう。

「晁蓋殿、会議の前に申し上げたい事があります。よろしいか」

「良い。言ってみろ」

「俺は、女です。今まで隠していましたが、普段は付け髭と前髪とで、人の目を欺いてきました。まずは皆を謀っていた事、それをお詫びしたい」

林冲が、罪人がするように正座をして、手を床に付け頭を垂れた。

「贖えるかはわからないが、この首刎ねて下さっても構わない。ただ、兵となる事を禁ずる事だけは、しないで欲しい。それは、俺にとっては死ねというよりも残酷な事です。兵として死ねるのならば、どんな拷問でも刑でも甘んじて受けましょう」

「待て、林冲。お前を殺しはしない。お前が居なくなれば、誰が騎馬隊を率いるのだ」

流石に、晁蓋も動揺していた。

男だと思っていた豪傑が女であったと知ったのも勿論だが、宋万にはわかった。林冲が美貌だった事に、たじろいでいるのだ。晁蓋ほどの男でも、美人に惑わされるのだと知って、不意に親近感を覚えた。

「確かに、驚きはしたが。罰するほどの事ではない。お前の境遇は耳に挟んでいる。恐らくは女であると隠していた方が良かったのだろう。秘密を明かしてくれて、寧ろ嬉しくさえ思う」

「感謝いたします」

「だが、この先はどうするつもりなのだ。女と明かして暮らすつもりなのか」

「いえ、今まで通りの風体で過ごしたいと考えております」

「そうか。わかった。それで、どうして宋万を伴ってきたのだ」

しゃらん、と魯智深が錫杖を鳴らした。

「この二人は、結婚の許しを頂きに来たのだ、晁蓋殿」

「なに」

晁蓋が声を上げるのと同時に、他の者もざわついた。公孫勝すら目を見開き、呉用は目を白黒させている。だが、それよりも宋万には、杜遷から殺気の籠った視線を向けられているのが、怖かった。耐え切れないとばかりに、朱貴が笑っている。

今度は、宋万が答える番だった。

「はい。晁蓋殿。先日気持ちが通じて、俺と林冲とは夫婦となりたいと考えました。無論、平素は双方一兵卒として働きたいが、形ある繋がりが欲しいと思い、結婚の許しを頂きに来ました」

黙って、晁蓋は暫く唸りながら何かを考えていたようだったが、すぐに口を開いた。一度、魯智深を睨む。

「わかった。結婚を許そう。仲人は俺が務めよう。婚儀は三日の内に。呉用」

「何とか、ご用意致しましょう」

頷いて、呉用が請け負った。もう動揺は見えなかった。

「しかし…」

また、晁蓋が唸った。何事かと林冲が首を傾げる。

「以前から美男子とは思っていたが…まさか、これほどの美女であったとは思わなかった。これでは、お前に見とれて、兵が馬から落ちかねん。林冲、常に顔には付け髭をしていろ」

首を捻りながら、林冲は付け髭を出して、いつものように付けた。

会議は滞りなく進んだ。特に歩兵の小隊長の選抜が急務という事で、杜遷と宋万がめぼしい者の名と、人となりを挙げていった。朱貴の方で入山した者をどんな割合でどこに回すのかを決めて、とりあえずはそれで様子を見ようという話になった。あんな事があったのに、意外なほど、会議らしい会議だった。

だが、会議が終わって、晁蓋と呉用、公孫勝と林冲、それに魯智深が出て行ってからが、酷かった。

残ったのは阮の三兄弟に、白勝、それに杜遷と朱貴である。特に杜遷などは宋万を射殺しそうな目で見ていた。杜遷は敬愛する林冲が宋万と結婚するというのが、驚くやら腹立たしいやら、といった様子だ。

「宋万」

杜遷の声は、いつになく低かった。

「いつからだ」

「いつから、とは」

「いつから、林冲殿の秘密を知っていた」

「初めて、姿を見た時だ。見た瞬間、女だとわかったぞ」

そして、林冲はずっと、宋万が気付いていると知っていた筈だ。

「黙っていたのか」

「その方が良いと思った」

「そうか、お前がそこまで馬鹿ではなくて、安心した。でなければ、斬って捨てる所だ」

どうやら、林冲が宋万を選んで秘密を明かしたのではないというのが、杜遷の怒りを少しは鎮めたらしい。

「騙された事については、いいのか」

「仕方があるまい。あれだけ、美しい方なのだぞ。不埒者が出ても、おかしくはない。到底、並の男では太刀打ち出来ないだろうが…それでも、女だからという理由だけで反発する者は居ただろう。もしかすると、王倫などは、服従の証に床に来いと言ったかも知れない。あれは、そういう男だった」

杜遷は王倫が居なくなって初めて、王倫を憎んでいたのだと知った節がある。

生きていた頃は、必死に自分自身を説得して納得させていたのだ。苦しんでいた、と今だから思える。律儀で義理堅い男だ。だから、苦しみから解放してくれた林冲を慕うのだろう。

「それにしても、宋万の恋の相手が林冲殿だったとはな。幾ら考えても、思い当たる女が居ないから、おかしいとは思ったが」

「本当に。どうやってあんな美人を落としたんだ」

阮小五が相槌を打った。兄の阮小二は黙って頷いている。

「それが、林冲の方も、前から俺が好きだった、と言った。いつからかはわからん。だが、俺は、初めて会ったその日に、林冲に打ち倒されて、惚れた」

「自分を打ち負かした女に?」

白勝が質問を浴びせる。

「そうだ。なんというか、その時の姿がな、信じられないほど美しかった。男のなりだったが、真っ直ぐに立っているのが、良かった。青面獣楊志を襲って積み荷を奪った時は、それ以上に、可愛かった」

正直に語ったが、白勝は信じられないものを見る目で宋万を見た。

宋万は全く気付いていなかったが、白勝も阮の三兄弟も朱貴も、幾ら美人とはいえあの林冲を抱くのは無理だ、と考えていた。それはもう本能的な恐怖のようなもので、閨で粗相をしようものなら、首を飛ばされるのではないかという懸念があった。あれほど強く苛烈な女は、手を触れたくない。例外は杜遷ぐらいのものだ。自分が林冲をどうこうするだとかいう考えを持つ事自体が、天をも恐れぬ蛮行だと思っていた。

阮小五がぽつりと呟く。

「宋万、お前はすごい奴だな」

「何がだ」

「いや、俺なら、自分よりも強い女は無理だ。卑屈な気持ちになるだろうよ」

妻となる女には、自分よりもか弱くあって欲しい。男とはそう考えるものだ。その女を愛したら、守りたいと考える。そういうものだろう。それが、守る余地もない程強い女なら、夫とは、男とはなんの為にこの世にあるのか。

阮小五の言っている意味を理解して、宋万は思わず笑ってしまった。

そうか、俺たちは、そういう風に見えているのか。

「あれだけ格が違えば、競う気にもならん。林冲は俺の師だ。そして、ついこの間からは俺の女だ。あいつは、自分は馬で駆けるから、俺には走って着いて来いと言った。遅れれば置き捨てるとも。あいつが夫に望むのは、それだけだ。他の女のように、金も、簪も、帯もねだらん。追い付けなくともいい、共に戦えというのだけが願いの女だ。姦しい妓女のように、つまらん嘘も吐かない。つまり、俺は死ぬまで兵であり、あいつの背中を見ていれば良いという訳だ。それぐらいなら、俺でも叶えてやれる。健気で不器用な願いだ」

「林冲は、弱い夫でも頓着しないのか」

驚いたように阮小五が声を上げた。余りにも意外だったのだろう。だが、考えてみればわかる事だ。もしも林冲が夫に自分と同等の武勇を望んでいるのなら、最初から宋万を選んだりはしない。

なにしろ、宋万自身が、一番驚いているのだから。

「小五」

阮小二が眉を寄せて阮小五を睨んだ。阮小七も、肘で兄の脇腹を小突いている。

「いいのだ。俺は弱い。歩兵隊の隊長をやっているのも、おかしい位だ」

「長い付き合いだが、宋万、俺はお前という男がわからなくなってきたぞ。こんなに面白い奴だったとはな」

朱貴が腹を抱えて笑っている。

「あの戦の夜には、林冲殿が自分のものにはならないのだと言って散々嘆いて、うじうじとしていた奴は思えん」

「待て、朱貴。お前、知っていたのか」

杜遷が食いついた。

「いや、相手の女が林冲殿とは、知らなかった。さっき言った通りだ。強く美しく、高貴な女だと、そう聞いていただけだ」

「ばらすな」

興味津々といった様子を隠そうともしないで、阮小五と白勝が朱貴に近寄る。

「毎度毎度、何かある度に、わざわざ閉店した店に押し掛けては、抱きたくて堪らないだの、耳の形が美しかっただの何だの…呆れるほどだった。迷惑なほど荒れていたが、余りにも哀れだったので付き合っていたら、この結果だ」

大仰にため息を吐いた朱貴は、意地の悪い子供のような目をしていた。朱貴なりの祝福なのだろうが、これはあと数年は語られるだろう。

「何とでも言え。俺はどうせ、その程度の男だ」



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