第四話・変身
林冲が、それを決意したのが手に取るように分かった。
討ち取った王倫の首を片手に高らかに宣言した。晁蓋という傑物を、主と定めたのだ。
あの豹子頭林冲の上に立つに足る器を持った男だった。意志が強く、公明正大な、虎を思わせる目をした美丈夫だ。
晁蓋ならば良い、と思った。いつか、林冲は自らの主に秘密を明かすだろう。素顔を晒して、主が望なら、あっさりとその身体を差し出すかも知れない。愛も恋もなしに、ただ忠誠心だけでやってしまいそうな、そんな危うさがあった。やりかねない、と思わせるような。
寧ろ、そうであって欲しかった。
せめて誰も、愛さないで欲しかった。あの晁蓋でさえ恋の相手には足りなかったのだと、諦めさせて欲しかった。その心までは誰の手も振れさせない。そんな女であって欲しかった。
だが、宋万の願いを裏切って、林冲は見知らぬ男を選んだ。
人気のない岩場で、男の胸に抱かれていた。
林冲の素顔が見えた。眩しいほど白い顔に、余計なものを何も付けていなかった。繊細な線を描く顎が華奢で、赤い唇が見えた。想像していた以上に鮮やかで、形の良い唇だった。泣いているようだった。いつもの荒々しい迄の強さはなりを潜め、女の顔をしていた。そして、手は男の胸に縋った。
坊主のようだった。梁山泊に坊主は居ない。本物の坊主だったなら、中には入れない。晁蓋の部下だろうか。自分と同じか、それ以上に背の高い男だった。妙に縦長の体型で、決して醜くはなかったが、美形でもなかった。そんな男に、林冲が縋って泣いている。
ふと、男が振り向いてこちらを向いた。宋万の姿を確かめると、にやりと笑った。 かっとした。腸が燃えている。頭に血が上るのが分かった。妬心に駆られている。恥とは思わなかった。怒りが勝った。男と、誰よりも林冲が憎かった。
叶わぬ想いだと、女を買った。
いつもその女だった。鼻の形が似ていたから、選んだ。いつも付け髭を付けているのと、長い前髪のせいで、林冲の顔の中で普段一番目立つ部位が、鼻だった。
毎晩、騎馬隊の調練が終わると林冲は宋万に稽古を付けた。目を掛けられるのは兵として嬉しかったが、苦しかった。
林冲だと思って、女を抱いた。虚しかったが、そうでもしないとやっていられなかった。妓館に通っているのを林冲は知っていたが、当然ながら何の反応も示さなかった。そういう次元の女ではないのだ、と自分に言い聞かせた。
だが、これは何だ。
何故、その男なのか。その男は、晁蓋ほどの傑物ではないではないか。凡百の男で良いのなら、俺を選んでも良いではないか。
打ちのめされた。
見てしまってからは、調練に全く身が入らなかった。ただ気合いも何もなく棒を振るい、ただ疲れ果てる為だけに動いた。
全ての調練を終えると、林冲からの遣いだという部下が、今日の稽古はなしだと伝えて来た。気持ちが荒れた。月が浮かび、手持ち無沙汰になってしまって、気を紛らわす為に、普段は滅多に飲まない酒を煽った。わざわざ朱貴の店に行って飲んだ。朱貴にだけは、恋の辛さを零していた。尤も、相手が林冲とは教えていなかったが。
朱貴は何も言わず、酒を運んだ。一年に渡って常に、血を吐くような宋万の言葉を聞いてきたからだった。多少うんざりしているという風を装っていたが、本気で同情しているだろう。芯では、人情家なのだ。
今頃、林冲はあの男に抱かれている。
そう思うと、堪らなかった。自分か林冲、どちらかを天が殺してくれろと願った。反面、昼間見た林冲の素顔と涙が脳裏にちらついて、凶暴な迄の熱が高まっていた。欲望に任せて、乱暴に女を抱きたかった。
すると、誰かが店の戸を叩いた。
とうに店は閉まっているというのに何事かと思うと、妓館の下男をしている男だった。宋万も、何度か顔を見た事がある。嘗ての盗賊働きのせいで、腕が不自由になり隠居を決めた兵だった。
女の遣いで来たと言う。
黙って宋万は机に銭を置くと、下男の後を付いて行った。朱貴の部下が操る船に乗り、無言のまま梁山泊に戻る。陸に着くなり礼も言わずに、妓館へと向かった。
月が、中天にあった。爪で闇に傷跡を付けたかのような、細い細い月だった。
既に外に人影はなく、建物の中からは陽気な歌や話し声が聞こえる。だがそれもほんの僅かなもので、既に多くの者は寝静まっていた。辺りは闇だ。細い月の光で、辛うじて道が見える。
妓館の灯りが見えた。赤い提灯で、粗末な木目の建物を飾っている。
いつの間にか、下男は姿を消していた。
妓館の中は、明るかった。窓という窓が開け放してあり、肌寒い。風に乗って、僅かに花の匂いがした。人払いがしてあるのか、いつもなら数人は居る妓女も、遣り手も居なかった。こんな時に何の用なのだと苛立ちながら、いつも通される部屋に向かった。
「わざわざ呼び出して、何の用だ」
驚くほど、冷たい言い方だった。普段の自分なら、まずこんな物言いはしない。するような癖もない。
狂っている。冷静に思った。恋に狂っている。
「宋万」
聞き慣れた声が、耳殻を擽った。
白い漆喰の丸窓に、女が腰掛けていた。
赤と白の煌びやかな服を着ていた。豊かな黒髪には珊瑚の簪を刺している。青く艶のある髪が、透けるように白い肌によく映えた。唇は牡丹の花のようで、長い睫に縁取られた瞳は、漆黒だというのに透き通っていた。
昼間見た美貌だった。魂を射抜くような、その姿。真っ直ぐに伸びた背中。
ずっと、欲しくて堪らなかった。
「林冲…」
女の名前を呼んだ。女は真っ直ぐに、曇りのない目で宋万を見詰めている。
「笑ってくれるなよ、宋万」
言葉を失って立ち尽くしていると、林冲は自嘲した。似合わない程、弱々しい姿だった。痛ましいとすら思える。
「こんな醜女でも、男を愛するのだ」
事態が呑み込めなかった。林冲は何を言おうとしているのだろうか。
指が長く、女にしては大きな手が、差し出された。潰れた豆が重なって、堅くなっている。
「見ろ。この手。何人も殺した。血に塗れる事を、恥とも思わん。ただ、殺した。生きたかったからだ。その癖、妻を死なせた。恋はなかったが、良い女だった。友だった。父も、俺の為に死んだ。屍の頂に生きてゆく為の手だ。その癖、仇の一つも取れない」
告白だった。懺悔が尊いもののように見えた。脆いが、強い。これを何と呼ぶのか、宋万は知らない。
「卑しい女だ」
言い聞かせるようでも、あった。自戒しているように見えた。腕が一旦下げられ、そしてまた、躊躇うように上げられる。
卑しくなどない、と言ってやりたかったが、声にはならなかった。
「許せ、宋万。この手をお前が取ったらと、俺は考えているのだ。もしもこの手を取ったなら、一生、離しはしない。魂までも縛りつけて、どこに居ようとも、他の女の事を想うのは許さない。だから、きっと、いつかお前を殺してしまう。身の程も忘れて、嫉妬に駆られてお前を殺す。だが、気持ちだけはせめて、許してくれ。俺にとって、男はこの世にお前だけなのだ」
熱烈な、痛切な口説き文句だった。想う男を殺すと脅すのが、いかにも林冲らしい。兵を鍛える時と同じだ。この女は、大切に思うものに対してだけ、脅しをかけるのだ。だからこそ、この言葉は真実だと思えた。目は潤んでいて、年端も行かない少女のようだった。
「林冲」
名を呼んで、一歩踏み出した。
びくりと、肩をすくませる。細い肩だった。鎧を着ていないからだろう。薄い身体だった。折れそうだ。胸は、殆どない。しかし、柔らかい。柔らかい癖に、他の女とは違って、壊れるのではないかという心配は浮かばない、しっかりとした芯のようなものを感じた。
抱擁すると、耳が赤く染まった。
「殺されても、構わない」
返答はこれで充分だった。
林冲は、この世に男はただ一人だと言った。全く同じ気持ちだった。女は幾らでも居るが、本当の意味で、真実自分にとっての女は、林冲だけだった。他は、なくても構わない。
「俺の妻になってくれ。俺ではお前を殺せないが、もしも心移りしたなら、俺はその相手の男を悉く討ち取ろう。例え、それが誰であってもだ」
「嘘だ」
「信じてくれ。あの女は、お前に鼻の形が似ていた。だから、お前の代わりに抱いた」
息を呑む林冲の顎に手を掛け、口を吸った。指先で触れた肌は練り絹のようで、思わず手が震えた。
舌を入れても、噛まれたりはしなかった。こういった事に慣れていないのか、僅かに唇を開いたまま、こちらに全て委ねてくる。林冲が、身を委ねてきたという事が、泣きたいほどに幸福だった。恋を知らなかったというこの女英雄は、他でもない自分を選んだのだ。
唇を離すと、林冲の白い頬が熟れた桃のように上気していた。歳を聞いた事はないが、二十歳ぐらいだろうか。少女という歳でもないだろうに、少女めいている。背の高い女だが、大柄な宋万とは丁度釣り合いが取れるようで、腕の中に収まる感覚がぴったりだった。うっとりと熱に浮かされた瞳で見詰めてくる。
「林冲」
今度は、無防備に晒された喉に口付けようとした。だが、それは適わなかった。
かんかんかん、と、警鐘が鳴った。一瞬、聞き慣れないそれが何の音なのかわからなかった。
敵襲。
見張りの兵が、敵襲を告げているのだ。
瞬間、林冲の顔は鑞のように白くなり、瞳は剣呑な鋭さを取り戻して爛々と光った。素早く身を離すと、普段からの隙の無い動作で、足早に部屋を出て行く。
「この話はまた後でだ」
踵を鳴らす林冲を引き止めようとするが、手は空振りした。豹変した態度に、未練が残ってしまう。
慌てて、宋万も部屋を出た。
転んだ。
「ふむ、お前が、宋万か」
部屋の扉の横に、大男が立っていた。剃髪した坊主で、人を食ったような男だ。見覚えがある。昼間、林冲が縋って泣いていた男だ。
坊主が錫杖を突き出して足首を引っ掛けたせいで転んだのだった。
林冲の恋の相手ではなかったというのがわかっても、気に入らない。林冲が涙を見せた相手だという嫉妬があった。
「凡人だな」
自分でも分かっていた事だったが、この男に言われるのだけは我慢がならなかった。
「林冲が選んだのが理解出来んな」
「何者だ」
「魯智深という。林冲の兄貴分だ」
さあ、と血の気が引いた。義兄妹だったのか。林冲の兄上に何という口を聞いてしまったのだ。
「妹も、運がない。こんな男に惚れるとは、膳立てした甲斐もない」
魯智深が嫌味を言うのも、尤もだ。あんな素晴らしい妹の居る兄からしたら、面白くないだろう。
「ご無礼を致しました。身の程知らずではありますが…魯智深殿、御妹君との結婚をお許し頂きたい」
跪いて礼の姿勢を取った。全て、今日の事は魯智深が用意していたのだ。宋万が試されていた、と解釈しても良い。
「許そう。あれがな、恋が辛いと泣くのだ。仕方があるまい」
自分のような、つまらない男に焦がれて林冲が泣いた。真実の言葉を本人の口から聞いても、まだ信じられなかった。これは夢なのではないかと。
「もし、結婚を口にしていながら、婚礼の前に手を出すのなら、林冲に恨まれても殺すつもりでいた。あれは、そんなに安い女ではないのだ」
魯智深の言葉は尤もだった。同時に、背筋が冷えた。たった今気づいたが、この男は只者ではない。覇気などは感じないが、薄い殺気を纏っている。その癖、気配がない。恐らくは、かなりの武芸者だろう。林冲とはまた違った種類の、紛れもない達人だった。ほんの一捻りで、この男は人を殺せるのだ。
「俺は、林冲はこの梁山泊を背負って立つ存在になると思っている。晁蓋殿の元でこれからは幾つもの戦が起きるだろう。そこで、林冲が軍神となるのだ。無敗の騎兵隊が必要なのだ。梁山泊には。それがそれであると群衆に知らしめる、旗印がな。そこらの娘にされては、困るのだ」
自分の為に、林冲が凡人になるとは到底、思えなかった。甘い口付けの直後に軍人の顔に戻れる女だ。
「さあ、行け。お前は分別のある男のようだ。分を弁えている。だから生かされているというのを、忘れるな」
魯智深の言葉が終ると、宋万は走り出した。自分は、兵だ。林冲の後を走らねばならない。
兵舎に着くと、部下の歩兵は慌ただしく準備をしている所だった。林冲の騎馬隊は、他のどの隊よりも早く準備を整え、進発したらしい。
「流石だ」
二番目は、譲らなかった。
他にも歩兵隊は組織されていたが、まだ充分な調練をしていない。
他の歩兵隊長は馬を使うようだが、宋万は使わない。
進軍する、という感覚は新鮮だった。今、自分は賊徒だが、賊徒ではないのだ。軍なのだ。軍に、生まれ変わった。そうしたのは、林冲があったからだ。あの女は、人を変える。良いように、変革する。林冲の作った軍が、国を変える。実感した。
時代の生んだ麒麟児なのか。
梁山湖の近くに広がる平原が、戦場になっていた。既に官軍は散り散りに割れており、布陣も何もなかった。
「逃がすな!追え!」
林冲が叫び、縦横無尽に駆け回る。敗走する敵の退路を塞いでいる所だった。宋万は隊を二つに分け、割られた敵軍の塊を一個ずつ撃破していった。
駆ける度に、二つ三つの首が飛ぶ。
乱戦の中、宋万は見た。
雑兵の中に紛れる指揮官の姿を、鷹のように見つけて、林冲が首を刎ねた。首を手にして、掲げる。
勝利の瞬間だった。袖が、返り血で染まっていた。
付け髭に覆われて、顔は殆ど見えなかったが、宋万には林冲が笑っているように見えた。
同時に、落胆しているようにも思えた。楊志ほどの武芸者ではなかったのだろう。そう考えてみれば、林冲にとってこの勝利は当然のものだったのだという事になる。
可哀想に。恐らく、これは得心の行く結果ではなかっただろう。
首を携えて、林冲は戦が終わりと見るや、引き返した。
戦利品は、馬六百頭。大勝だった。林冲が馬を連れて行こうとしなかったので、林冲の部下と宋万の隊がその役目を負った。悪い馬ではなかった。これから、この馬達も林冲の部下を乗せるだろう。
帰還する途中で、別な歩兵隊と合流した。聞けば、梁山湖を渡った所で林冲と出くわして、睨まれたそうだ。
恐らくは「遅い」という叱責だろう。隊長などは顔を青くして震えていた。
朱貴の船で一人、悠々首を携えて戻ったのだという。苦笑して、宋万も部下を残して一人で船に乗った。急いでくれと頼んだので、金沙灘にはすぐに着いた。
晁蓋と呉用の詰める楼閣に入った。
楼閣は一年の前に晁蓋によって聚義庁、と名付けられていた。幾らか王倫の居た頃より改装もしていて、謁見の為の広間もあった。嘗て、林冲が王倫の首を掲げたのと同じ場所だった。
早朝とは思えぬ程の人だった。以前は聚義庁に入るのを普通の兵は控えていたが、統領が晁蓋になってからは誰でも訪れる。
「林冲」
魯智深が林冲を呼んだ。呉用が、板を持ってきて林冲の傍に寄った。おざなりに敵将の首を板に乗せると、林冲が息を弾ませ、魯智深を呼んだ。
「兄上」
晁蓋の横に立つ魯智深の前に跪き、礼を取った。辺りがざわつく。明らかに、林冲の目には魯智深への敬愛が見て取れたからだ。
「どうだった」
「怪我人は出しましたが、一名の犠牲も出ておりません。馬を、敵は潰走。幾らか馬も手に入れました」
「そうか。満足か」
「いいえ。兄上。将校が、必要です。俺の騎兵もまだ甘さがありますが、歩兵が遅い。間に合って役に歩兵らしい動きをしたのは、宋万の隊だけでした」
得心したように頷いて、魯智深は黙り込んだ。
「林冲、見事だった。今日はもう、休んでくれ。そして皆、気になっていると思うが、この男は魯智深といって、俺の手足となって動いている者だ。林冲と兄弟の契りを交わしているとは今知ったが…林冲の兄とあらばどんな男か疑問はあるまい」
晁蓋が前に出た。林冲も、礼を止めて立ち上がり、まるでそれが当然だとでも言うように、魯智深の後ろに控えた。
「皆、戦があったという事は知っていても、何の為の戦であったのか知らぬ者も多い事と思う。戦果を上げた者ですら、知らない者も多いだろう。今日の戦は、俺を狙ったものだ。これは、官軍に梁山泊が脅威であると認められた事を意味する。今日を皮切りに、これから我らは幾つもの戦を宋という国とする事になるだろう。恐れた者は逃げ出せ。止めはしない。覚悟と志のある者は、残れ。そして、林冲を初めとした隊長に従って欲しい。これが、梁山泊頭領である俺からの願いである」
素晴らしい演説だった。兵を鼓舞するにはこれ以上ない。
宋万は、破れそうな心臓を無視して、一歩前に出た。
「晁蓋殿、俺は残ります。そして、先程の戦についてご報告申し上げる。怪我人は何れも軽症。そして得た馬は六百。これは林冲殿に采配を任せた方が良いものと思いますが、いかがしますか」
「そうだな。今回の戦は、林冲騎馬隊の働きが大きい。馬六百頭は林冲に任せよう。また、先程意見のあった、隊長格の選抜についても後日、会議を設ける。ご苦労だったな、宋万」
頭を下げて、また一歩下がり、元の位置に戻った。平素の様子に戻った林冲を、宋万はじっと見つめた。
解散が告げられて、林冲は部屋に戻るようだった。宋万は、それに付いていった。
いつか、林冲が身の上話をしてくれた時と同じく、その位には相応しくない、狭い部屋だった。だが、周囲は気を使って、林冲の部屋の両側を空室にしている。
中に入ると、林冲が振り向いて、こちらを見た。真っ直ぐに。
そっと手を伸ばして、付け髭をゆっくりとはがした。白い美貌が姿を現し、昨夜の事は夢ではなかったのだと実感出来た。怒涛の一夜だった。全てが変革した。革命が、始まる。肌が痛いほどだった。
「兄上…魯智深がな…」
頬を撫でると、林冲がこてんと首を傾けた。撫でる手の上から、更に細い指を添えて包み込む。林冲が、宋万の手に頬擦りしている形になった。
「お前を待っている間に、もしも気持ちが通ったら、きちんと、仲人も立てて、夫婦にしてくれると、言った」
また、白い頬が桃色になってゆく。目覚ましい変化だった。
「宋万、俺は、お前の女になる。だから…」
「それ以上は、俺から言わせてくれ。たまにはお前のように勇敢でありたい。林冲、頼む。俺の妻になってくれ」
「二人きりの時だけだ」
二人きりの時だけ、夫婦で居る。それが一番良いように思った。一歩外に出れば、お互いに一人の兵だ。そういう風にしか、成れない。
加えて、二人きりの時だけ林冲が妻であるというのは、魅力的だった。女としての林冲を、宋万は独占出来るのだ。いつでも、林冲の恋の相手は自分だけでありたい。
「あ」
抱きしめて、そして、白い喉を噛んだ。赤く痕が滲んで、花びらのようだった。くらくらと眩暈がした。小さく林冲が声を上げるので、興奮した。
もう、俺のものだ。
逃がすつもりがないのは、宋万も同じだった。だが、林冲の方が哀れだった。こんな男を選んでしまって、きっと後悔するだろう。
歓喜がこみ上げて来た。豹子頭林冲に、この、目の前に居る美貌の持ち主に、恋されている。ほのかな優越感すらあった。この極上の女を、捕まえたのだ。奇跡だった。平凡な男が。これで明日死んだとしても、全ての人が俺を羨むだろう、と宋万は思った。離したくなかった。
いつまでも、そうやって抱き合っていた。鎧越しの体温がもどかしく、初夜がいつになるだろう、と気が急いてならなかった。
林冲が恋から覚める前に、この女をものにしなくては、と思った。




