1-8
真夜中。
クイは、広いベッドの上で、じっと天蓋を見つめていた。
辺りはしんと静まり返っている。微かにウテリア川の水の音が聞こえたが、それも穏やかで心地いい。暑くもなく寒くもなく、これほど寝るのにうってつけの夜に、クイの目は、なぜか、らんらんとしていた。
(ううううう~。眠れないぃ~。)
寝たいのに眠れない。
体は程よく疲れているのに、それがかえっていけなかったのか。それとも、慣れない場所で寝よう寝ようと言い聞かせるのがいけなかったのか。
眠れないから腹が立つ。
腹が立つから眠れない。
そんな悪循環に捕まって、クイは、行き場のない苛立ちに囚われていた。
(もういいや。)
クイは、考えるのも馬鹿らしくなって、ベッドから跳び起きた。
(このまま起きていよう。)
確か、まだ机の上にクッキーが残っていた。夜更かししてみるのも悪くない。
クイは、それを食べに行こうとして、ふいに何の脈絡もなく、
(あ!)
と、あることに気がついた。
それは、まるで閃光が走ったようだった。
ハッキリ分かったはずなのに、なぜか、なかなか言葉にならない。
クイは、もどかしさに視線を闇に泳がせた。
(ええっと、ええっと、何だっけ。)
話に聞いたことがある、この気持ち。
(あれだ、あれあれ。)
かなり遠回りをして、クイはやっと、その気持ちを言葉にした。
(……恋。……そう、恋だ。)
以前、年頃の女の子たちが話していた感情とよく似ている。
が、それは、とても信じがたい事だった。
(え? 誰に?)
けれど、この辺は間違いがなかった。
自分のモヤモヤとした感情の中心に、あの軍将の姿がある。
(いやいやいや、違う違う違う!)
クイは、身震いした。
(ないないない! そんなこと、あるはずがない!)
ない!って言っているのに、気持ちが高ぶって、落ち着いてくれない。
クイは、部屋の中をぐるぐる回りながら、自分に一つ一つ言い聞かせた。
(そう、そうだよ。私は、ただ、あの軍将の強さを認めてやっただけだ。なにせ、あの体格差だ。正攻法で勝つのは難しい。でも、それは、今だけだ。私は近いうちに、あいつの弱点をつかむ。そして、ボッコボコにする。そうしたら、このモヤモヤは晴れる。うん、そう。だから、これは絶対に恋なんかじゃない。あいつが、ちょっとばかり強そうだったから、挫けそうになっただけだ。要は勝てばいいだけのことだ。)
勝てば自分より格下になり、そういう対象で見られなくなる。
対抗策が見つかると、次第に心が落ち着いてきた。
(そうだ。弱みをつかむまでは、あの軍将に会わないようにしよう。うん、そうしよう。会わなければ、あの軍将のことなんて考えなくてすむし、それに、私は忙しいんだ。結界柱を直して、領主を探して……。それから、それから。とにかく、私は忙しい! 忙しいんだから、あいつの事を考えている暇なんかない!)
そして、クイは、未だ現れない領主についても考えた。
(……まともな人間だという希望は捨てよう。)
自分の花嫁から隠れている領主。
それだけでも変なのに、女官たちは、やたらクイに親切だった。多分、女官たちは、クイを哀れんでいるのだろう。「あんな領主と結婚しなくてはならないなんて、可哀想。」と。
(……仕方ないじゃないか。)
他に代案はない。
領軍と敵対する気はないんだから、結婚しなければ怪しまれる。
ふいに、ありもしない可能性が頭をよぎって、クイは、自分を嘲笑った。
(……馬鹿みたい。……あの軍将が、……私のことを助けてくれるわけ、ないじゃないか……。)