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ウテリア領内の街道に入ると、クイたち一行は、すぐにウテリア領民に取り囲まれた。
「ようこそ! ウテリア領へ!!」
次々に集まる領民たち。
彼らの数は見る間に増え、さっきまで農作業をしていた老人までが、農機具を放り出してついてくる。 気づくと、クイのローブの端っこには、多くの子供たちがくっついていた。
(もしかして、結界士って珍しい?)
クイが戸惑っている間にも、山のように花や手紙を差し出される。
クイたち一行は、よろけるほどの歓迎を受けた。
そして、領民たちに押し出されるように領主の館に案内され、そこでも大勢の領民たちに出迎えられた。
(わわ、すごっ。)
館の前には、一人の男性が立っていた。
女官らが後ろに控えてみるところをみると、それなりの地位にいる人間のようだったが、この男性に、クイの目は釘付けになった。
それは、身の丈二メートルはあろうかという大男。がっしりとした肩に、太い腕。上半身は、逆三角形に引き締まっていて、腰には規格外の大剣を携えている。しかも、その眼光は、明らかに只者ではなく、クイは、
(なんだ、こいつ!)
と、恵まれすぎた体格にイラっとした。
あんな重そうな大剣、どうせ飾りに決まっている。
すると、その大男は、クイに近づいてきて、
「よく来てくださいました。」
と、手を差し伸べた。どうやら、彼は、握手を求めている。
(え? ま、ままま、まさか。こ、こいつが、ウテリア領主?!)
見上げると、至近距離の彼は、思ったよりデカい。
(このやろ!)
試しに、クイは、頭の中で彼に切りかかってみた。下から懐にもぐりこんで、あるいは、フェイントを駆使して後ろに回りこんで。だが、何パターンか切り込んでみても、クイは簡単に弾き飛ばされてしまう。自分の脳内のイメージすら勝てる気がしない。
(やばい、相当強い。)
足の裏から、汗がにじんでくる。
クイは今まで、これほど実力差を感じる相手にめぐり会った事がない。
すると、
「長旅は、大変だったでしょう。我がウテリア領へ、よくいらしてくださいました。」
と、彼が微笑んだ。
(わ、我がウテリア領?! やはり、こいつがウテリア領主か?!)
クイは、ただ、青ざめた顔で彼を見上げることしかできなかった。
圧倒的な体格差。しかも、年齢も一回り上のようで、彼は、落ち着いた大人の色気まで醸し出している。
(こ、こんなやつを、力ずくで追い出せるのか?!)
考えようとすると、頭の中が真っ白になった。
(こ、この私が負ける?!)
もし、負けてしまったとして、その後の自分はどうなってしまうのだろう。
ウテリア領を追い出されるのは、まあ仕方がない事として、それとは別に、そのまま結婚させられてしまうという可能性があるのではないか。
(……え? え?!)
このとき、クイは初めて、差し迫る乙女の危機を感じていた。
結婚式は、一週間後だ。
クイは、本来、結婚が決まった時点でするはずの覚悟を、今日の今日まで考えていなかったのだ。
(あ、あんな腕でつかまれたら、逃げられない!!)
クイは、ふらふらと倒れそうになった。
すると、握手に応じてもらえなかった彼は、それを無礼に思うでもなく、
「大丈夫かい? そんなに緊張しなくてもいいんだよ。」
と、クイの肩に手を伸ばそうとした。
(ひ、ひぃぃぃ~~。)
その時だった。
「軍将!! 軍将!! 大変です!!」
歓迎ムードを引き裂くように、緊迫した声が近づいてくる。
クイが振り返ると、ざわめく群衆を割って、兵が一人、こちらに向かって走ってきていた。
(え? 何?)
兵は、まっすぐ大柄な彼の前までやってきて、
「軍将!! 魔獣です!!」
と言った。
(魔獣?)
大柄な彼は、慌てるでもなく、兵に状況を問いただす。
「数は?」
「十です。」
「わかった。すぐ行こう。」
そして、彼は、領民たちにてきぱきと指示を出した。
「全員、第一防衛線まで退避。皆は、このまま避難所へ向かってくれ。手のあいているものは、逃げ遅れた人がいないか、確認に回ってくれ。」
「分かりました。」
「女官長は、客人を頼む。」
「お任せください。」
見回してみると、おろおろしているのはアムイリア領の人間だけだった。領民たちは皆、きびきびと動き出していて、アムイリア領の侍女と従者の三人だけが、ガタガタと震えながら立ち尽くしている。
(魔獣が十頭って、結構な数だよな~。)
そんな事を考えていたクイだったが、もっと重要な情報を耳にしていることに気がついた。
(あ! 今、この兵士、こいつを「軍将」って言った!!)
記憶をさかのぼってみても、やはりそうだ。
この兵は、この男の事を「領主」ではなく「軍将」と呼んでいる!
(なんだ、そういうことか。)
クイもおかしいと思っていたから、納得するのに時間はいらなかった。
つまり、この大男は、ウテリア領主ではなく、ウテリア軍将だったのだ。
(ということは、ここの領主は、花嫁の出迎えを他人任せにする「ダメ領主」ってことじゃないか!!)
クイの知る限り、領主とは大概そういうものだ。
クイの勝手な持論はこうだ。
まず、第一に、領主にろくな人間はいない。領主は、生きていく上での苦労をほとんどしていないので、働かねば飢え死にするという概念がない。
そして、第二に、領主は、大まかに二つの種類に分けられる。一つは、血筋を鼻にかける見栄っ張りタイプと、もう一つは、領主である事に興味を失っているオタクタイプだ。前者は、血統を絶やさないことだけしか考えていないため、花嫁探しに積極的で、反対に、後者は、どうでもいい趣味に没頭し、結婚さえすれば、領主としての使命を果たしたと、勘違いしている。
この持論から推測すると、ウテリア領主は、後者のオタク系領主に間違いがなかった。
(その方が、こちらもやりやすい!)
その推測に、クイは、気力を取り戻した。
どう考えても、目の前の軍将を倒すより、根暗な領主をいじめるほうが簡単だ。
まずは、根暗な領主をひっ捕まえて手下にし、それから、この領主から軍将の弱点を吐かせればいい。 そうして、軍将をネチネチといたぶってウテリア領から追い出し、最後に、領主も放り出してしまえば、綺麗サッパリ。ウテリア領はクイのものだ。
(うふふ。)
すると突然、大柄の軍将がクイを呼んだ。
「クイ姫!」
「は、はい!」
「慌しくてすまないが、しばらく女官たちと一緒に待っていてくれないか。大丈夫、心配はいらない。ただ、挨拶は後にさせてもらうよ。」
軍将は、そう言うと、さっと戦場へ赴こうとした。
けれど、その後ろ姿に、クイは、
「待って! 待って下さい!!」
と、叫んだ。
「私も参ります! 軍将様! 私も連れて行ってください!!」
クイが手を差し出すと、軍将は、驚いたようにクイの瞳を見つめ返した。
「いいのかい?」
もちろん、クイは、魔獣など恐れはしない。
「はい。」
その間にも、人々は、館の併設されている避難所に流れていく。アムイリア領の侍女たちも、とっくにいなくなっていて、ウテリア領の女官たちは、クイも連れて行こうと気をもんでいたが、軍将は、それを一瞥して、
「いいんだね。」
と念を押した。
「はい!」
はっきり応えると、軍将は、柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。君の勇気に感謝するよ。」
軍将はそれだけ言うと、クイの手を取った。
軍将の手は、大きくて硬くて、ぐいと引っ張られると、体が浮いてしまいそうなほど力強かったが、それも不快には感じなかった。もしかしたら、魔獣の襲来というスリルにワクワクしていたからかもしれない。クイは、足元にまとわりつくローブを引き上げながら、懸命に軍将の後を追って走った。