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4-7

 外に出てみると、とうとう雨が降り始めていた。

 ここ数日、乾燥した日が続いていたからか、辺りは一気に湿気の匂いがたちこめている。オレリアスは、誰が使ってもいい傘を二本手に取って詰め所を出た。一本は自分用、もう一本はクイのための傘だ。

 社の外には、クイの警備にあたっている兵が、皆、雨に濡れながら立っている。

 オレリアスは、彼らに詰め所に戻るように指示してから、社の階段を登った。屋根があるところはごくわずかなので、扉に身を寄せて傘を立てる。すると、扉の奥から、

「ヒュー?」

とクイの声がした。

「……。」

 これだけのことに、心がひやりとする。

 普段なら気に留めないことなのに、まだ腹の中で怒りがくすぶっていたからなのか、自分のことより、ヒューを先に思い浮かべたことが、やけに腹立たしい。

「……。」

 オレリアスは、何も答えないまま、社の扉を押し開けた。

「!?」

 すると、床に腰を下していたクイが、オレリアスの姿に驚いて、とび上がるように壁際に逃げ出したではないか。何も、そこまで驚かなくてもいいのに。クイは、それほどまで、自分から離れたかったのか。

 オレリアスは、そんなクイの行動に、

(嫌われたものだな。)

と、激しく落胆した。

 どうしてこうなってしまったのか。

 今も、何も分からない。

 オレリアスがいくら心を尽くしても、クイは、オレリアスを嫌ったままだった。せめて、その理由を明らかにしてくれたらいいのに、クイは、オレリアスを避けるばかりで、ろくに話もしてくれない。

 それに、彼女は、この四日間で著しい変化を見せていた。

 初めて会った時に感じた幼さは、今はもう見つからない。代わりに、ときどきハッとするほど女らしい顔をする時があって、オレリアスは、その変化を理解できずにいた。

 一体、初日の彼女は、どこに行ってしまったのだろう。

「……軍将様……?」

 クイに問われても、オレリアスは、何も返事をしなかった。

 クイの目は、あの男と同じ灰色をしていて、それを頭では理解しているつもりだったのに、それだけのことが、どうしても許せなかった。

(……あの男。)

 外界を荒らし、今もウテリア領軍を翻弄し続ける、あの男。

 オレリアスは、ずんずんとクイに近づくと、衝動的にクイの頭を鷲づかみにした。逃さないように両手でつかんで、クイの灰色の目を覗き込む。すると、ますます、あの目と同じ色に見えてくる。

 あの目。

 魔獣の上から、オレリアスをじっと見下ろしていた、あの目。

 オレリアスは、その目を鮮明に思い出して、クイを掴む手に力を込めた。

 一度沈めたはずの怒りが再燃する。

「……離して。」

 クイが、嫌がってオレリアスの手を剥がそうとする。

 その行動にも、オレリアスは腹が立った。

(逃げるな!)

 罠を蹴散らして去って行った男。

 怒りの炎に正気を焼かれて、オレリアスは、力ずくでクイの体を壁に押し付けた。そして、クイの頭を首から引き上げると、その唇に乱暴にキスをした。唇から伝わる彼女の震えさえ、強い力で押さえつけた。

 オレリアスは、抵抗する気を失わせるつもりでいた。

 彼女が少しでも、抵抗する力を弱めれば、解放してやるつもりだった。勝手な言い訳かもしれないが、それで気が晴れると思っていた。

 だが、彼女は抵抗をやめなかった。

 オレリアスを押し返そうとしたり、体をねじって逃れようとしたり、オレリアスの指を一本一本剥がそうとした。

 そのうち、指先に生暖かい涙を感じて、オレリアスは、ハッとした。

(してはいけないことをした。)

 オレリアスは慌てて、力を緩めた。

 離れ際、彼女の視線とぶつかって、オレリアスは、息をのんだ。

 彼女の瞳からは、涙があふれているのに、はっきりと拒絶の意思がある。

「出て行ってください。」

 彼女は、かすれた声でそう言った。

 こみ上げる感情に声がかすれていたのに、その言葉にもはっきりとした拒絶の意思が込められていた。

「……。」

 オレリアスは、何も言えなかった。

 何を言っても言い訳にしかならなかったし、自分が何に苛立っていたのか、それを説明するわけにもいかなかった。オレリアスは、混乱する頭で、どうすればいいのか、必死に考えた。しかし、何も浮かばないうちに、

「出て行ってください!」

と、重ねてクイに言われた。

 他に、彼女の怒りを静める方法がない。

「出て行って!!」

 悲鳴のような声に、オレリアスは社を出た。

 外は、雨が激しく大地を叩いていて、その雨の当たらないぎりぎりのところで、オレリアスは、先にも後にも進めず、かといって、冷静にもなりきれずに立ち尽くした。

(今のは俺が悪いんだ。)

 それは分かっていたが、それにしても分からない事が多すぎる。

(クイ姫は、どうしてあそこまで、抵抗するのだろう。)

 戻らないという誓いを立てて、こんなに遠くまでやってきたはずなのに、彼女には、夫婦になるという覚悟がない。何事にも相性はあるだろうが、それにしても、見ず知らずの男性と結婚する覚悟をしてきたのなら、もう少し観念していていいのではないか。

(……分からない。)

 雨音が激しくて、オレリアスの考えは進まない。

 結局、とことんまで話し合うしか、分かり合えないのかもしれない。

(……謝ろう。)

 ひたすら頭を下げれば、どうにかなるかもしれない。それに、謝るなら早い方がいい。

 オレリアスは、やしろに戻ろうとした。

 しかし、社の扉に手を触れようとして、オレリアスは、その手を止めた。

 雨音に混じって、すすり泣く声が聞こえてくる。

(……。)

 その声は、彼女の声だった。

 彼女は、社の中で、声を潜めてすすり泣いている。押し殺した声は、痛々しいほど弱々しくて、オレリアスの胸を後悔が突き上げた。

(これが、俺のしたことか。)

 オレリアスは、閉ざされた社の扉を見つめたまま動けなくなった。

 さっきまで、彼女の覚悟が足りないと思っていた自分が情けなかった。

 オレリアスは、扉を開けようとした手をきつく握り締めて、天を仰いだ。

(……優しくするつもりだった。……優しくするつもりだったのに、俺は、彼女を傷つけた。)

 今さら、やしろには戻れない。

(……。)

 オレリアスは、腹を決めると、扉を背に傘を広げた。

 クイのための傘は、そのままにしておいた。

 社から一歩踏み出ると、激しい雨が傘を叩き、オレリアスは、その圧力に押されて足を速めた。

 頭上に響く、雨の音。

 それは、言葉のない非難のように、オレリアスの罪を責め続けていた。


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