4-3
三人の若い兵たちは、社の外で護衛をするようだ。
(やった~! やっと、くつろげる~。)
浮かれる心を隠して、クイは、ゆっくり社に入ろうとした。
が、そのとき、あるものを見つけてドキリとした。
(あ!)
それは、あの軍将の姿だった。
まだ距離がある、遠くの農道。
軍将は、五人ほどの兵を引き連れて、あれこれ指示をしながら歩いている。
(やばい!)
クイは、慌てて社に跳び込んだ。
軍将は、こちらに向かっている。
社に来るとは限らないが、あの軍将のことだ。クイの姿に気づいていたら、必ず社に顔を出すだろう。そうしたら、クイは逃げ場がない。逃げる口実もなくなった。こんな狭い部屋の中で、クイは一体、どう切り抜ければいいのだろう。
クイは、閉じた扉にもたれかかって、胸に手を当てた。胸が苦しくて息もできない。出入り口は、背にある扉ひとつだけ。今出れば、あの軍将と鉢合わせる。
(どうしよう、どうしよう。)
焦って、何も考えられない。
ひたすら外の音に耳を澄ませると、壁越しに軍将の声が聞こえてきた。
複数の人の声と混ざり合って、喋っている内容までは分からなかったが、確実にこちらに近づいてくる。
(あわわ。)
クイは、頭の中が真っ白になった。
もう、どうしていいのか分からない。
息を殺してじっとしていると、ある瞬間から、軍将の声は次第に遠くなっていった。
(あれ?)
軍将の声は、もう聞こえない。
どうやら、軍将はクイの姿に気づかなかったのか、社ではなく、詰め所に行ってしまったようだ。
(なんだ、……来ないのか。)
それが分かると、クイは、床にへたりこんだ。
(そっか。……今日は、何かの訓練があるんだっけ。)
そういえば、スフィアも忙しそうだった。他の兵も忙しそうだったし、軍将が一人、暇ということは、ないのだろう。
すると、クイの心の中に、寂しい気持ちが湧いてきた。
(そういえば、今日は、一度も会っていないな。)
最後に会ったのは、昨日の夕方。
夕食の誘いを断ってから、軍将は、一度もクイに会いに来ていない。
(明日も、そうなのかな。)
今日来なかったのだから、明日も来ない。
明日も来ないんだから、明後日も来ない。
(……もう、来ないのか。)
その方が都合がいいはずなのに、なぜだか、チクチクと胸が痛む。
(嫌だな、この気持ち。)
来なければいいと思っていた。
来たら、自分の心が揺れるから。
なのに、来るなと願ったその裏で、自分は一体、何を期待していたのだろう。
(嫌だ。)
クイは、両膝を引き寄せると、膝の間に顔をうずめた。
(私、あの軍将の事、……待っていたんだ。)
すると、急に胸が熱くなった。
辛いとか、寂しいとか、そんなこと少しも思いたくないのに、勝手に涙がにじんでくる。今だって軍将に近づきたいとは思わないのに、軍将が遠ざかっていくのが苦しいだなんて、何て思い通りにいかない心だろう。
(嫌だ、嫌だ!)
もう他人に振り回されるのは嫌だ。
絶対に軍将の事を好きにならないって、自分で決めたんだ。
これから先の事だって、自分で決める。
クイは、別のことを考えようとした。けれど、まるで引力があるかのように、思考がそちらに引っ張られる。
(ああ、もう!)
クイは、だんだん腹が立ってきた。こんな狭い場所でじっとしているから、いけないんだ。考えなくてもいい事を考えないようにするには、体を動かすのが一番いい。そう、無心になって何かをすれば、軍将のことなんて忘れられる。軍将の事を忘れてしまえば、本当の自分を取り戻せる。
クイは、きょろきょろと社の中を見回した。
しかし、ここは、何かをしようにも狭すぎるし、異変があれば、外の護衛兵がとび込んでくる。
(ううう、外に行きたい~。)
クイは、外をのぞこうとした。
護衛兵の死角をつけないか、と思ったその瞬間、
「お~い。聞いたか?」
と、兵の声がして、クイは動きを止めた。
「聞いたって、何を?」
扉のすぐ外で、護衛の他に、若い兵が何人か、集まって来ている。
「だからぁ~、ここんとこ、人手不足だろ?」
「ああ、今週は皆、休みなしだ。」
「そうそう、それでさ~。とうとう爺さんたちまで、借り出されることになったんだってよ。」
「へぇ~。」
「へぇ~、じゃないんだよ! いいのか?! お前!」
「何が?」
「何がって、ロッカーの上のエロ本!! お前のだろ?!」
「うお!」
クイは、ぴたりと壁に耳をつけて、息を殺した。「人手不足」という話をしているようだが、そんなことより、「エロ本のこれから」の方が気にかかる。
「考えてもみろよ。爺さんたちに見つかったら……間違いなく……。」
若い兵たちは、しばらく沈黙した後、
「……パクられるな。」
と言った。
(怒られるんじゃないんかい!)
クイの心のツッコミをよそに、兵たちの話し合いは続いた。
「そうだな。水車小屋のとこの爺さんはスケベだから、あのじいさんが来たら、馬車を横付けして持って帰っちまうな。」
「お、俺のコレクションがぁぁぁ~!!」
「おい、手分けして、俺たちの宝を守ろうぜ。」
「そう言ってもな~。他に隠し場所はあるか?」
すると、候補地は、次々に浮かび上がってきた。
「俺のとこは、大丈夫だぞ。うちは良くできた嫁だからな。」
「俺のベッドの下は、まだ余裕がある!」
「うちは納屋があるぞ!」
「俺は、地下に秘密基地を作った。」
既婚者から大きな少年まで、彼らの思いは一つだった。
「よし! じゃあ、今すぐ行動だ!」
「お~!」
「一冊たりとも欠けることなく、宝を死守するぞ!!」
「お~!」
それを最後に、兵たちの声は聞こえなくなった。
何やら、秘密裏に大掛かりな作戦が展開されることになったらしい。
クイは、彼らの成功を祈りながらも、そっと外の物音に耳を澄ませた。
もう人の気配は感じられない。
思い切って、扉をじわりと開けてみると、その隙間から、外の新鮮な空気が入ってきた。物音はない。恐る恐る頭を出してみると、外に誰もいない事が分かった。
(おおっ。)
三人の護衛兵どころか、他の兵たちもいない。
たぶん、訓練か、あるいは、エロ本の隠蔽に行ってしまったのだろう。
(チャ~ンス!)
クイは、突然舞い降りた自由に嬉しくなった。
これなら、誰にもバレずに社を抜け出す事ができる。そういえば、結界柱を埋める作業も、あと少しだけ残っていた。無心に穴掘りをしていれば、軍将の事を考えなくてすむ。
(ようし~! 結界を完成させるぞ~!!)
クイは、さっさと結界士のローブを脱ぎ捨て、踊るように外界に跳び出した。
だが、このとき、外界には軍将オレリアスがいた。
軍将オレリアスは、細身の男を生け捕りにするために罠を張り巡らせていたが、そのことを、まだ、この時のクイは知らないでいた。