3-2
夕方。
オレリアスは、親友ブラッドの元を訪れていた。
ブラッドは最近、結婚を期に独立した開業医だ。
自宅兼診療所は、オレリアスの希望もあって、詰め所の近くに建てられており、こうした地理的要因も手伝って、オレリアスは、よく仕事の帰りに、この診療所に立ち寄っていた。
「ブラッド、いるか?」
扉には、すでに「診察終了」の札が掛けられている。
奥に進むと、薄暗い待合室はきちんと片付けられていて、看護師をしている新妻の姿も見つからない。たぶん、もう裏手の自宅の方にいるのだろう。オレリアスは、受付を覗き込んでから、診察室の前でもう一度声をかけた。
「おい、ブラッド、いるのか?」
一応、新婚なので気は遣う。
すると、中から、
「どうぞ。」
と、ブラッドの声がした。
入ると、ブラッドは、窓際で一人、医療器具の消毒をしていた。火を使っているようで、まだ手が空きそうにない。ブラッドは背を向けたまま、
「もうちょっと待ってくれ。」
と言った。
「ああ、分かってる。」
オレリアスは、勝手に患者用の椅子に腰掛けて、診察室を眺めた。ここは前から物が多かったが、オレリアスの記憶より、医療器具や薬の小瓶が増えている。こんなにごちゃごちゃしていて、ちゃんと診察ができるのか、
「また、狭くなったんじゃないか?」
と、オレリアスがあきれて言うと、
「お前が来ると、余計にね。」
と、ブラッドは、それを大柄なオレリアスのせいにして笑った。
「それより、オレリアス、どうしたんだい? 花婿が一人でこんなところに来るなんて。」
片付け終わったブラッドは、振り返ってようやく、オレリアスの憮然とした表情に気がついた。
「ふふ。」
「笑うな!」
「ごめん、ごめん。聞いたよ。彼女、ウテリア領見物を断って、一日中結界柱を直しているんだって? 少し根を詰めすぎてないかい?」
診療所には、領内の噂が集まってくる。
すでにクイの行動は筒抜けのようで、もう少し休んだ方がいいのでは、と、大半の領民が思っているらしい。
「結界柱の事は、ヒューに一日ぐらい任せてさ、食事にでも誘ってみたらどうだい?」
ブラッドの提案に、オレリアスは、頬杖をついた。
「ああ、そうしようとして断られたから、ここに来た。」
その反応に、ブラッドは、声を立てて笑った。
「あはは。手ごわいね。」
「ああ、手ごわい。助けてくれ、ブラッド。」
珍しいオレリアスの弱音に、ブラッドは、余計に面白がって笑った。
「あははは。」
それから、ブラッドは、自分の椅子にゆっくりと腰掛けた。それは、まるで問診でも始めるかのようで、オレリアスは、お医者家業が板についてきたなと、旧友を眺めた。今のブラッドは、一緒に剣を振り回して遊んだ、あの頃の面影はない。
「……でもな、ブラッド。」
「ん?」
「最初は違ったんだ。」
「最初?」
「ああ。最初は、素直そうな良い子だと思ったんだ。俺が迎えにいった時もな、俺の顔を見てポロポロ泣き出して。ああ、頼られているんだなって、正直嬉しかった。それがな、昨日の朝からだ。突然、人が変わったようにおかしくなって、明らかに俺を避けるようになったんだ。理由は分からない。俺が話しかけても、今は、ろくに顔も向けてもくれない。」
「……。」
何か言おうしたブラッドに、オレリアスは、
「ああ、言っとくが、俺はまだ、何もしてないからな。」
と、付け加えた。
「ふふふ。別にそんなこと、疑ってないよ。僕はね、彼女は若いんだから、難しいのは仕方がないよって言おうとしただけなんだ。……ま、こればっかりは、気長にやるしかないと思うよ。」
「気長に……か。」
そんなことは、ブラッドに言われなくても分かっている。が、
「俺は、結婚式までに、もう少しなんとかしたい。」
と、オレリアスの心情もまた切実だった
「ふふふ。花婿は大変だね。」
「簡単に言うなよ。」
「それに、もう一つ、気がかりな事があるんだ。」
「なんだい?」
オレリアスは、大きくため息をついてから、ここ数日の事件を話した。
最初の事件は二日前。破れた結界で、見知らぬ男がやってきて魔獣を切って倒した。それから今日になって、外界に延々と魔獣の死体が転がっているのが見つかった。これらは同一の人物の仕業に間違いなかったが、その男が、何の目的なのか、仲間がいるのか、どこに潜んでいるのか。その辺りが、全く見当がつかない。
「なるほどね。彼女と同じ日にやってきた不審な男か。」
ブラッドは、白衣の前を重ねせて腕組みをした。
「うん、つまり、お前は、そいつが花嫁泥棒じゃないかって、疑っているわけだ。」
花嫁泥棒。
それはあくまで可能性の一つだったが、そう短い言葉にすると、本当にその男が花嫁泥棒のような気がしてきて、オレリアスは腹が立った。
「分からない。だが、早めに捕まえて、目的を聞き出す。」
「うん、それがいいだろうな。」
「あ、この話は他言無用な。」
「そんなこと、分かっているよ。」
この話が噂になるのは時間の問題だったが、まだこの話を、彼女の耳に入れたくはなかった。彼女に無用の心配をかけさせたくなかったし、その不審者が彼女の恋人という可能性も残されている。
オレリアスは、立ち上がると、
「邪魔して悪かったな。」
と帰ろうとした。しかし、それをブラッドが呼び止める。
「なあ、オレリアス。」
「ん?」
「……その、不審者なんだが……。」
「何か、心当たりでも?」
「……いや、その、なんだ。」
はっきりしない口調。
オレリアスは、それだけで大体の事を察して、
「違うよ。」
と断言した。
「お前は、あの不審者が、あいつじゃないかと言いたいんだろう?」
「……ああ。」
「だけど、あいつじゃない。」
その可能性は簡単に否定できた。
「あいつとは背格好が違うし、もし、別の人間に協力させていたとしても、これは、あいつのやり口じゃない。あいつなら、間違いなく直接花嫁を狙ってくる。こんなまどろっこしいことはしない。」
あいつの性格は知り尽くしている。
「それに、あいつは、今のウテリア領の情報を知りようがないんだ。あいつは、俺が領主になっていることも知らないし、俺が結婚する事も知らない。だから、あいつが自分からウテリア領に戻ってくることなんて、絶対にあり得ないんだ。」
事件への関係性がなくなると、懐かしさの方が強くなった。
「それに、ブラッド。あいつももう、大人だ。あいつだって、もう少し、まともな人間になっているよ。」
「ふふふ。そうだな。」
そして、二人は顔を見合わせて笑った。
「……想像できないけど。」
「だな。」