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そのころ、クイを含めた一行は、結界を整えるため、ウテリア領最東端の結界柱をめざしていた。
結界柱は、障壁の内側に植えられている柊の木の根元に刺さっている。この結界柱を引き抜いて、適当な場所に刺し直すのが今日の仕事だ。
だが、ウテリア領の結界柱は、領内に二百本以上ある。
その結界柱を全部さし直すとなると、一体、何日かかるか分からない。
クイは、延々と続く低い障壁を眺めながら、
(あ~あ。)
と、重い足取りで、トボトボと歩いた。
ローブは相変わらず、うっとうしい。単純作業も面倒くさい。だが、それ以上に、朝からあの軍将に会ってしまったことが、クイの心を憂鬱にした。
(なぜ、あの軍将は、私のところにきたのだろう。)
自分が結婚するわけでもないのに、彼は、ウテリア領を案内するつもりで、クイのところにきたらしい。なんで、未来の領主夫人が、軍将と領内を巡らなければならないのか。だいたい、そんなことを他人に頼む領主も領主だ。不甲斐ないなさすぎて腹が立つ。
(あ~あ。)
嫌な事に、あの軍将は今日も紳士だった。
かなり一方的に断ったというのに、あの軍将は、結界を直したいと言うクイの話を真摯に聞いてくれていた。結界柱の案内役にと、結界士長ヒューを呼び出し、さらには、護衛役として、女兵長スフィアを付けてくれたのだ。たぶん、同性がいた方が、気が楽だろうという配慮からだ。
聞くところによると、今日スフィアは見張りの当番だったらしい。しかし、あの軍将は、それを聞くとその見張りの仕事を代わりに引き受け、「あまり無理をさせないように。」とスフィアに頼んでくれたらしい。
(なんで、あんなに親切にしてくれるんだろう。他人の花嫁なんだから、もう少し放っておいてくれればいいのに。)
クイは、そんな事を考えながら、先導する二人の後ろに付いて歩いた。
すると、ふいに、
「あのさ~、地脈って何?」
と、ヒューが問いかけてきた。
「地脈ですか?」
「うん、そう。俺さ~、こう見えても結構、本で勉強したんだよ~。でもさ~、分かんないものは分かんなくてさ~。」
笑うヒューに、クイはう~んと唸った。
地脈が見えない結界士は、まずいない。地脈に関する事項は、結界術の初歩の初歩で、それができないということは、ヒューは結界術の教育を受けていないという事になる。
もしかしたら、先代の結界士長がろくに結界術を教えないまま早世してしまったのか。素質だけで言えば、ヒューは中級結界士ぐらいにはなりそうなのに、結界術を何も学んでいない今は、明らかに下級結界士のクイよりも劣っている。
(だから、こんなテキトー人間なのかな~。)
教育の機会を失ったということは、ヒューにとって大きな不幸だった。
ウテリア領で唯一、結界士の才能があったがために、ヒューは、ウテリア領の結界を押し付けられ、しかも、たった一人であったせいで、他の領地に学びに行く機会まで奪われてしまっていた。なのに、結界術は、感覚の伝承を伴うため、独学では学びにくい。その、少しも分からない結界術と、ウテリア領の命運とを任されて、ヒューはとても苦しんだだろう、ということは想像に難くない。
誰にも理解してもらえない苦しみ。
かといって、低くも扱われない環境。
ヒューは、たぶん、それらに適応するために、こういう性格になったのだ、と、クイは思う。
(私と逆だな……。)
恵まれた教育環境に生まれながら、その才能を持たなかったクイ。
その才能があったのに、教育環境に恵まれなかったヒュー。
二人を比べると、境遇こそ真逆だが、そのどちらも不幸に違いがなかった。
「ヒュー様は。」
「ヒューでいいよ。」
「では、ヒューとお呼びしますけど、ヒューは今まで、地を這う結界の光を見た事がありますか?」
「ああ、それ!」
ヒューは、クイを指差すと、
「俺、それが分かんないんだよ~。」
と言った。
「そうじゃないかと思いました。」
クイは、にこりと微笑むと両手を差し出した。
結界術の初歩の初歩なら、クイにも教えられる。
「まずは、手を出してください。私がキッカケを作りますから、慣れるまで何度も練習しましょう。最初は誰でもパニックになりますから、私が手を握っている感覚を忘れないでいてください。」
なりゆきで始まった結界術教室に、スフィアも足を止めた。遠巻きにそれを眺めながら、スフィアは、黙ってそれが終わるのを待っている。
「こうか?」
「ええ、足を肩幅に開いて、軽く目を閉じます。」
ヒューは、言われたとおりに、クイに向かい合って手を取った。
すると、時間をおかず、
「うわぁ!」
と、ヒューは悲鳴を上げた。クイの手を握り締めたまま、キョロキョロと周りを見回している。
「おい! 何も見えなくなったぞ!」
「でも、私の声は聞こえるでしょう?」
「聞こえるけど、うわわ、落ちる!」
「いいえ、大丈夫です。ヒューは、ずっとここにいますよ。私の手は動かないでしょう? 足元の感覚も、じきに戻ってくるはずです。さあ、心を落ち着かせて。何か見えるまで目を凝らしてみましょう。」
すると、ヒューの動きがピタリと止まった。
「あ、見える! すごい、光の渦だ。」
その反応にクイは感心した。ヒューは、かなり飲み込みが早い。
「見えすぎていますね。では、もう少し絞って調節しましょう。」
「……調節?……えっと、どうすんだ?」
しばらくすると、ヒューと目が合って、クイは驚いた。
「あれ? もう戻っちゃいましたか?」
「ん? いや、両方見えている。」
ヒューは、そう答えながら、クイの手を離した。
一度のキッカケで、ここまで感覚を掴むことはありえない。よほどのセンスの持ち主か。あるいは、幼少時にできた事が、何かのキッカケで出来なくなってしまっていたか。
ヒューは、ゆっくり周りを見回すと、興奮気味に、
「あああ~、そういうことか~。俺、見えるよ~。すっげ~。あれが領礎結界石の光だろ? そして、あれが地脈。そんであの点が結界柱だな~。」
と、あちこちを指差した。
が、急に、
「なんじゃこりゃ~。」
と、自分の足元を見て固まった。
「穴だらけじゃないか!!」
うん、その通り。
ヒューは、何も見えないまま、内在する結界を構築しようとし続けていたから、結界紋が穴だらけになってしまっていたのだ。
結界紋というのは、人が誰しも内在している結界が地表に紋様として現れたものだ。一般人の結界紋は、ただの輪だ。しかし、結界士として結界術を学び、複雑な結界が構築できるようになると、その輪が、さまざまな模様の入った円状の結界紋へと変化していく。
ヒューの結界紋は、目隠し状態で構築していたため、ところどころ穴だらけで、せっかくの術力がダダ漏れになってしまっていた。
「うへ~、恥ずかし~。そっか~、これが結界紋ってやつなんだな~。よくわかったぜ~。あれ?」
ヒューは、クイの結界紋を見て笑った。
「なにそれ。」
グサリと刺さる、この言葉。
(うううう。)
同様の言葉を、何度言われてきた事か。
結界紋の直径は、通常、結界士の術力と比例している。
クイの結界紋が小さいのは、クイの術力が少ないことを表していた。
「あはは、ごめんごめん。冗談だよ~。上級結界士さまってのは、結界紋の大きさと術力が比例しないんだろ? それぐらい俺だって知っているよ~。」
上級以上の結界士になると、結界紋も立体に構築できるため、結界紋の面積と術力とが比例しなくなる。
だが、クイは、ただの下級結界士だった。
クイがいくら頑張っても、この結界紋の大きさ程度の術力しかない。
(ここにきて、また嘲笑われようとは。)
立ち直れていないクイをよそに、ヒューは、
「あ、そうだ、いい事考えた!」
と、小躍りした。
「結界柱を直すのをさ~、二手に分かれてやろうぜ~。その方が、効率がいいだろ? 俺は、西から直していくからさ~。どっちが早いか競争な~。最初に社にたどり着いたもん勝ちな! 俺、絶対負けないからな~。そいじゃ、スフィア、クイを頼んだぜ~。俺も軍将に護衛をつけてもらわなくちゃ~。あ! そうだ、俺がスタートしてからスタートな~。絶対に、フライングすんじゃねーぞ~。」
言い終わらないうちに、ヒューは小走りに駆け出している。
クイが呆然とヒューを見送っていると、後ろから、
「ああ、これでやっと静かになったわ。」
と、スフィアが呟いたのが聞こえた。




