1-6
「いやー、おかげさまで昨日は久々に楽しませていただきました。ごちそうさまでした」
「そのおかげでこっちは死にかけたんだけどな」
「まあまあ、たまにはいいじゃないですか」
「定期的に死にかけるなんて、お前俺に冒険者家業をやめろと言いたいのか?」
「あははー、そんなんじゃないですよー」
俺がスープをすすりながらそう愚痴っても、セレスはただ微笑を浮かべるばかり。
ため息をついた俺がまたスープを啜ろうとしたとき、それまで沈黙を貫いていたミーシャがここへ来て口を開いた。
「全く、これだからセレスは・・・」
なにを言い出すのかと訝しむ俺をよそに、ミーシャは「やれやれだぜ」とでも言い出しそうな大仰な様子で肩をすくめ、おもむろにこんな爆弾を投下してきた。
「そんな事に頭が回らないなんて、どこぞの吸血鬼サマはそのじゃまくさい胸ばかりに栄養が行ってるんじゃないかしら?」
ぴきっ。という音が聞こえた気がした。俺の近く、具体的には俺の左隣に座る吸血鬼から。その証拠として、湯気を上げるほど暖かいスープであったまったはずの俺の左半身が凍てつくような殺気と怒気におそわれている。
ミーシャの言葉に数秒間挙動を停止していたセレスが油を差し忘れた機械さながらの動きでこっちを振り返ると、その顔には満面の笑顔と隠せない青筋が同居していた。
思わず背筋を冷たいものがかけ上がったような感覚におそわれた俺をよそに、セレスが静かに、だがよく通る声を発した。
「あらーそこにいつの間にいらっしゃったんですかミーシャさん。あんまりにも、とっても小さかったもので発見が遅れてしまい申し訳ありませんねぇ」
なぜだろう。俺の視界には、強風の吹きすさぶ荒野にたたずむセレスが、同じく仁王立ちをするミーシャの足下に手袋を投げつける様子がありありと幻視できるんだが。
「――誰が、」
――あ、ミーシャが手袋を拾った。
「誰 が 小 さ い で す っ て ?」
「あらーそこの小さい方、私に頭に栄養が行ってないとかいいながらそんなことも分からないだなんて、人のことを言ってる余裕があるんですかー?」
怒りを隠そうともしないミーシャとは対照的に女神のごとき笑顔をたたえたセレスは、その笑顔と裏腹に猛毒にまみれた言葉をミーシャにぶつけていく。
「じゃあこの際ですし、はっきりと申し上げて差し上げましょうか? そうした方がお互いの格差をはっきりさせるのに役立つかと思われますよ?」
そしてミーシャは宣戦布告を受けてたつかのように不敵に笑い、キッとセレスを見据える。
「いいじゃないの。こっちも日頃から言いたいことがあるから、いい機会だしちゃんと教えてあげるわよ」
そんでもってその二人に挟まれて食事をとる俺の心境といったらない。両側からつき刺さる殺気に、体の芯から凍り付くような感じがしていた。
二人の間に漂い始めたただならぬ雰囲気に気づいた俺が、食べかけの朝食を手にその場を離れて近くの円卓型のテーブルにつくのと、二人がめいめいに煮えたぎる怒りの片鱗を見せるのは全く同時のことだった。
「そんな断崖絶壁の男性とも変わらないようなうっすい胸を体の前に取り付けて、まったく恥ずかしくないのですか? まあ結論を言いましょう――そこが貧乳、女性間のヒエラルキーのなんたるかを知らないおさるさんは目障りです。未来永劫黙っていて下さいまし」
「そんな重たそうな脂肪の塊を二つも胸の前にぶら下げて歩いてるなんて、あなたもたいがいかわいそうよね。なんならもらってあげるけど?――黙んのはそっちよ、淫乱吸血鬼モドキ。今ならまだ間に合うから、その邪魔な双丘を自分の手で切り落とした上で私に泣いてわびなさい」
一瞬の静寂。当事者の二人をのぞいた酒場にいる全員が固唾をのんで事の成り行きを見守る中、極限まで張りつめた緊張を破って、二人の戦鬼が爆誕した。
「「――――――――――あぁ?」」
俺がさっきまでいた空席一個を挟んで交わされた絶対零度の視線。半分喧嘩腰になっている二人の背後に、どんな魔物もおびえて逃げ出す阿修羅の姿が浮かび上がったような気がした。現に、何人かの冒険者が顔面蒼白になって今にも倒れそうになっている。
そこまでの成り行きを確認した俺が再び朝食に取りかかるのと、後ろのカウンター席で席を蹴り倒す音、ついで打撃音のようなものが響き始めた。時折「この痴女め!」とか「黙れ貧乳!」とかいう叫び声が混じって聞こえるが無視だ。
「なあアンタ、あれほっといていいのか? 連れじゃないのかよ……?」
ふと顔を上げれば、全身を軽い鎧に包んだ冒険者が不安そうな表情をしてこっちを見ていた。その様子から察するに、常連といえるほどこの酒場を利用していないのだろう。
「いいんだよ、ほっとけば勝手に収まるからな」
「勝手に、ったってよ……」
「もし迷惑ならアンタが仲裁に入ってみてもいいぞ? もっとも、あの二人だから命の保証はできないがな」
「…………うっ」
俺の最後の一言が存外に効いたらしい。体が資本の冒険者にとって、無駄な戦闘で無駄にけがを負うのは禁忌といっても過言ではないことだからだ。クエスト先でのけがと違い、この男が仲裁に入ろうとしているのはただの喧嘩なので、保険もきかなければギルドからの補償金などあるはずもないのも理由だろう。
「ま、まあ、アンタがそういうんならよしとくよ」
そう言ってすごすごと引き下がった男を尻目に喧噪の中心たるミーシャとセレスに視線を向けてみると、いつの間にか周辺には軽い人だかりができていて、この見苦しい取っ組み合いを応援したりヤジを飛ばしていたりした。ちなみにセレスを応援しているのは男性冒険者が大半で、ミーシャを応援しているのはミーシャ同様胸のつつましやかな女性冒険者の方々だ。
「ほい、ごっそさん」
その人だかりを尻目にカウンター席を迂回して厨房にいたバルツに声をかけると、バルツはあきれたような顔をしていた。
「おまえさんな、なんつーかこう、潔いまでに無関心なんだな」
「昨日のイノシシのことをギルドに報告しなきゃなんねえんだよ。あんまりうかうかしてると死人がでるかもしんねえから急いでんだ。俺だって普段ならこんなに冷たくはねえぞ?」
バルツに空き皿を渡して二階に上がる直前、「ならもっと早く起きろよな」というバルツのつぶやきが聞こえた気がしたが、それも戦況に変化があったのかワッと沸き上がった野次馬の歓声に一瞬でかき消されてしまった。
「――お前らな、ものごとには限度があるってことは知ってるか?」
昼間の商店街。さっきまでいた酒場とはまた違った活気にあふれるこの通りを、俺に並ぶ形で頭を軽くさするミーシャとセレスがギルドに向かって歩いていた。
「そ、それぐらい知ってたわよ!」
「もちろんわかってましたわ!」
「ほーぅそうか。取っ組み合いで埒があかないからといって自分の獲物まで抜こうとしてもなお、おまえらにとってはやりすぎじゃないんってんだな?」
「「うっ……!」」
全く同じような表情をして黙り込む二人の様子は見ていておもしろいものがある。が、ここで笑ってはだめだ。
「――ったく、ぎりぎり間に合ったからよかったけど、あのままお前らがほんとに剣を抜いてたら、殺陣でしたじゃすまないんだからな? 今日のこれとは別件でギルドに呼び出されることになるぞ」
「まあね……」
「そうですわね……」
身支度を整えた俺が下に降りたとき、こいつらはちょうど自分たちの得物に手を伸ばしていた段階だったが、もしあのまま斬り合いの大喧嘩に突入していたなら、警備隊にしょっぴかれていた可能性も大いにあった。そしたら事情徴収から始まって果ては罰金の請求まで、めんどくさいあれやこれやに巻き込まれることになる。そんなのは俺個人としても冒険者の一パーティーメンバーとしてもごめんだ。
「まあ別段喧嘩するとは言わないが、自分の得物には手をかけないこと。いいな?」
「りょーかーい」
「はいですのー」
不承不承といった様子の二人だが、とりあえず自分たちがやらかそうとしていたことの重大さに気がついてくれたらしい。
思わず小さくため息をついて安堵したが、しかし残念ながらこいつらはそんなことでおとなしくなるような玉ではなかった。
「――で、それはそうと、ユースケ様」
ふと、左腕が柔らかい感触に覆われた。声の方に視線をやると、俺の腕をとって自分の豊かな谷間に埋めたセレスが小悪魔めいた笑みを浮かべてこっちを見ていた。
「……お、おう、なんだ?」
思わずしがみつかれた左腕が硬直し、若干うわずった口調で返してしまったのはなにもセレスの色気にやられたからだけではない。今は必死にそっちを見ないようにしているが、俺の横に並んでいるミーシャからまたもや重く冷たい殺気が一瞬で流れ出したからだ。
「今日は私たち、ギルドに何しに行くんでしたっけー?」
たいていの男は一撃で籠絡できるであろう反則級の笑みを浮かべてそんなことを聞いてくるセレスだが、俺のすぐ後ろに濃縮された殺気が人の皮をかぶって控えているこの状況下ではなんとも反応しにくい。
おまけにたちの悪いことに、セレスは俺にしがみついたまま視線を外すと俺の後ろにいるミーシャに視線だけで「ほらほら、あなたがバカにしたこの脂肪の塊にはこんな使い方もあるのですよ?」的な暗い笑みを向けていた。どうやらその意図は余すところなくミーシャに伝播したらしく、ミーシャの内包する殺気がさらに跳ね上がった気がするが気にしたら負けだ。
「ほら、昨日大量のイノシシにあったろ? あれの報告に行くんだって」
「あー、思い出しましたぁ。ということは、今日は特にクエストに行ったりすることはないんですよね?」
瞬間的に、セレスの目がキラーン! と怪しい光を宿す。それとなくいやな予感におそわれた俺だったが、セレスを押しとどめるよりも早く、セレスはそのいやな予感をドンぴしゃで打ち抜いた。
「実はですねぇ、最近またすこし体重が増えちゃったらしくって、すこし下着のサイズが合わなくなっちゃったのですよ。つきましてはユースケ様に、新しく下着を選んでいただきたく存じまして」
――お前、この状況を見てそんなことをほざいてんのか!? という理性の訴えと、――マジで言ってんの!?だったら是非ともご一緒させてください! という発言が即死亡につながる本能の叫びをのどの奥に押しとどめ、後ろでさらに一回り大きくなった殺気を刺激しないようになんとか理性的な答えを選択する。
「いや、俺も今日は一日ゆっくりしたいし? それに、下着を男である俺に選んでもらうって言うのはちょっとまずいかなーなんて思ったりしちゃったり……」
「ああ、確かにそうですわね」
思い当たる節があるのか、ぽんと手を打つセレス。それに呼応するかのように後ろの殺気が収まるのを感じた俺がほっと胸をなでおろすが、地獄はここからが本番だった。
「――昨日、私の裸を見て軽く興奮したユースケ様からそれなりの量を吸ってしまったのは私としても非常に申し訳なく思っているのですが、そうですか、疲れているのなら仕方がないですね。また今度の機会ということにさせていただきましょうか」
「――――ッ!!?」
最悪だった。
何が最悪って、この公衆の面前で昨日のやりとりを適当にごまかして暴露しやがったセレスのタイミングの悪さもそうだし、さっきまでの量を軽々と凌駕して一気に倍加した後ろの殺気の迫力も救いようがなかった。
ついでに言えば周りから集まっている好奇と侮蔑の目線も地味に無視できないダメージを俺の心に与えつつあったが、この状況下では大したこともないものなので割愛する。
最悪の状況で最悪の言い方で最悪なことを持ち出すセレスの手練手管に舌を巻きつつ、不満を目一杯込めた目線をセレスにぶつけるも、セレスはニコニコと笑顔を崩さない。
そこまできたとき、俺の脳裏にハッと去来する考えがあった。
――これは、取引だ。それも、選択肢がはじめから決まっているような。
もしこのままセレスの下着を選ぶのについていく要望を呑まなかった場合、セレスに関する誤解を解くこともできず、後ろで膨れ上がっている膨大な殺気に俺は押しつぶされる。
でももしセレスの要望をのめば、おそらくセレスは何かしらの方法でミーシャの殺気を鎮め、誤解をとく手伝いをしてくれる可能性がでてくる。
冒険者が無駄なけがを負うのは、断じてあってはならない禁忌。俺に突っかかってきた男が引かざるを得なかったその禁忌が、俺に襲いかかってくる。
俺がチート級の能力を持っていたりしてこの状況を強引に解決できない以上、答えははじめから一つしか決められていないのだ。
やばい……!
執筆に更新ペースがおいつきかけてるw
テストでずっと書いてなかったですからねーww
それと一つ連絡です( ・ω・)ノ
8/1より夏休みに突入しますので、ためしに更新ペースを一日一個に引き上げようかと思います^^
どこまで維持できるかはわからないですが(((おい
生暖かい目で見守っていただければと思います。