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1-5

「むにゃ……もう食べられない……」

「おい、そんな寝言のテンプレみたいの言ってないでとっとと起きろ。もうすぐ閉店だから俺たちも上で寝るぞ」

「うゅ……」

「おーい、起きろってば……」


 人がいなくなって静まったカウンター席に突っ伏したままのミーシャの肩を軽く揺さぶるも、なかなか明確な反応が返ってこない。


「アバレイノシシが一匹、アバレイノシシが二匹……あ、柵壊された」

「……もうそれお前絶対起きてんだろ」


 ここまで明瞭な寝言を口にするヤツなんて元の世界で見たことは無かったが、ミーシャという人間はこれでも爆睡を貫いているというのだから不思議な話だ。


 時刻はだいたい夜中の1時半、客も引き払って店じまいをすませた酒場に残っているのは、カウンター席に突っ伏したまま最後まで起きなかったミーシャ、踊り子もかくやのパフォーマンスで男性冒険者を悩殺していたセレス、そしてそのセレスのパーティーメンバーということで滅茶苦茶恨みのこもった目線を投げかけられ続けた俺の三人だった。


「……セレス、生きてるか?」

「セレスは――うっぷ、これぐらいの酒なんて、目でもないのですよー」


 かたやセレスはまだ酒が抜けないのか相変わらず陽気な口調だったが、さすがにバク宙だのロンダートだのを繰り返して胃の中身をひっかき回したせいか、心なし顔色が悪い。


「う……さすがにおふざけがすぎましたわ……」

「そりゃ飯を食って酒を飲みながらあんだけとんだり跳ねたりしたらキツいのは当たり前だわな」


 でもそう言っている俺も、少し意識がふわふわとしている。こっちの世界では俺の年でも飲酒ができるとはいえ、すこし調子に乗りすぎたかもな。


「ではユースケ様、約束のお時間ですよー」

「ん? なんか約束なんてしたっけか」

「お忘れですかー? 私、いくらでもユースケ様の血をいただけるっていうお話、今の今まで忘れてなんかいませんでしたよー?」

「アー、ソウデシタネー」


 ちなみに無限に血を吸われたりしようものなら、俺は間違いなく帰らぬ人となる。セレスはそこんとこを理解してるのだろうか。


「……んじゃわかったよ、死なない程度に頼むわ」

「はいですのー♪」


 とつぶやいて首が見えるように後ろを振り向いた俺の耳に、しゅる、しゅるりという衣擦れの音が――


「ってお前、なにやってん――」


 だ、とは続けられない。


 振り返ったその瞬間に目に留まった上半身裸のセレスの姿に、思わず俺は息をのんでいた。


 わりと色白な肌にうっすらと浮かぶ鎖骨と、そのすぐ下に並んだ双丘に完全に俺が目を奪われて沈黙していると、ほんのり顔を赤らめたセレスの方から先に説明があった。


「ちょっと心拍数を跳ね上げてから血を吸わせていただいたら、普段よりも勢いよく飛び出てくるのかがとても気になりまして」


 笑顔でそんなありがたい解説をしてくれるセレスだが、そんな格好でそんな説明をされてる方は気が気でない。なんだこのムードは。


「いや、だからっていきなりそんな格好をされてもだな……」


 俺はといえば、熱を持ったかのように錯覚できる顔を必死に背け、セレスのもくろみ通りに加速してきている心拍数を必死に押さえつけているのに必死だった。視線はとっくにセレスからはずれて、宙をさまよってる。


「別段黙ってじっくり観察でも視姦でもしてくださっても私は何も言いませんし思いませんのに、意外なとこでユースケ様は純真なのですね」

「うっせ、童貞にそこらへんの度胸なんざ期待すんじゃねえよ」


 クスリ、としのび笑いを漏らしたセレスの動作は本性の変態性とかを全部置き去りにした魅力をはらんでいて、俺は、またもやドキッと高鳴る心臓を押さえつける努力をする羽目になった。


「まあ、あまりユースケ様の心拍数が加速してしまって多量出血で死んでしまうことがあっても悲しいですし、そろそろ失礼しますわね」

「……ああ」


 なんだか謎の敗北感を抱きながらもうなずくしかない俺がしぶしぶ後ろを向くと、今朝セレスをおぶった時のような、ただしもっと生々しい感触が背中に生まれ、無意識に肌が泡立つのを感じると同時に、首筋にチクリと刺すような感触が生まれた。


「……っ」


 その触感は何度経験しても慣れるものではなく、ビクリと背中が小さく痙攣するのを押さえられない。


 血が少しずつ体の中から減っていくペースが若干速く感じるのあたり、やっぱりセレスのあの裸にも少しは効果があったのかもしれない。



 そういえば、静かに自分の命の源が抜けていくのを初めて実感したときも、セレスは確か全裸だった。


 ――セレスに初めてあったときは、どんな状況だった?


 そう自問したとき、まず最初に思い出すのは暗くだだっ広い部屋。


 ついで怪しげに光を放つ、部屋の広さにあわない数本だけたてられたろうそく。


 筋骨隆々といった感じの、柄の悪い男たち。


 その男たちに囲まれるようにして、生まれたままの姿のセレスが床にうずくまって震えている。


 男たちの一人がどこからか取り出した武器を構えたのを確認した俺は部屋の中にいるセレスの裸には一瞥もくれずに、手にした剣を握り直し、その男のこめかみに鋭い刃を一瞬でーー


「――――ッ!」


(何思い出してんだか、俺は……)


 無音の悲鳴とともにゆるく頭を振り、思考を白紙に戻す。


 セレスとあった頃の俺、ミーシャが高く評価した俺というのは、はっきりいって生きながらにして死んでいた。心を忘れた機械として生きるだけのニンゲンだった。


 あのときにセレスの裸を見ても、俺の心拍数は不気味なくらい変動しなかったと思う。


 人間味の増して代わりに不真面目になった今の俺と、ミーシャとセレスが見込んだ方の俺。どっちがパーティーメンバーとしてふさわしいかということを考えて、ふと怖くなるときが俺にもある。今がまさに、そのときだった。


「――なあ、セレス」

「はい、なんでしょう」


 俺の首筋に牙を突き立てていたセレスが口をはなすと、首筋のあたりがすっと冷えたように感じた。


「今の俺と、セレスに出会った頃の俺とさ、どっちがいい?」

「どっちがいい、と言われましても、とらえようの難しい質問ではありますが――」


 やや難解な質問ではあったのだろうが、俺の口調からそれなりに真剣な話であることを察してくれたのだろう、セレスはしばし沈黙した後にこう答えてくれた。


「そうですね、仕事仲間としてなら、確かに昔のユースケ様の方がいいかもしれません」

「……そっか」


 ある意味予想できてた回答。誰だってそりゃ、仕事をこなすのに相方が不真面目より真面目な奴がいいに決まってる。


 でも、決して思うところがないわけがない。――そんな風にやや後ろ向きに思考が傾いていたせいで、その次のセレスの言葉は俺にとって完全な不意打ちになってしまった。


「――ですが、その仕事が終わった後に飲む酒がおいしく感じるのは、今のユースケ様でしょうね」

「――!」


 無言の驚きが、密着したままの背中を通してセレスにも伝わったのだろうか。


「ご満足いただける回答でしたか?」


 そう言って軽くとぼけてみせるセレスには、俺の胸中はすべて筒抜けになっているようだった。たぶん、昔のことを思い出して思わず背筋が凍り付いたあたりから。


「…………その言い方じゃ、結局どっちがいいのか分かんねえじゃん」


 憮然とした態度で切り返したその言葉も、口調がやや跳ねてしまっているのでは照れ隠しにしか聞こえないだろう。


 そう分かっていても、微妙に口角があがってしまうのを抑えられない。


「セレスはあくまで、ユースケ様に命を助けていただいたしがない一吸血鬼にすぎませんので、その判断に口出しすることはできません。ですが、わたくし個人としては一般の方と同じく、仕事よりもその後の一杯の方が好みですね」

「そっか…………うん、サンキューな」


 どこか神妙な感じでうなずくと、セレスは「何の話ですか?」ととぼけてみせた。ここらへんの気遣いも、俺にはとてもありがたいんだけどな。


 そんなことを考えている俺の耳を、がしゃこん、という何かの駆動音が遮った。


「……んっ?」


 俺の思考を邪魔したあまりにも場に合わない音に首をひねって後ろに振り返った俺の視界に、なにやら巨大な半透明の円筒が目に入った。二、三度目をしばたかせてからようやく、それが身の丈ほどもある注射器だということに気がつく。


「…………なあセレス、それなんだ?」


「本日はいくらでも血をご提供していただけるということでしたので、少しばかり下準備に本気をださせていただきました♪」


 笑顔でそう言い放ちやがったセレスの表情には、さっき見せた包容力たっぷりの女性という雰囲気などみじんも感じられんかった。むしろ、そこに仁王立ちしていたのは俺の血に異常なまでの執着を見せる変態だった。


「いや、本気の出しどころをどうみても間違えてるからな? 今ちょっと心拍数上がってるのにそんな量の血を吸われたら、たぶん俺失神を通り越して二度と目覚めなくなるからな? ……って待て、笑顔のままこっちにそれ向けんじゃねえよ、待てそんなぶっといの刺されたら俺昇天しちゃうからやめアッ――――――――――」


 その瞬間、夜の帳を突き破って向こう三軒に轟きわたるおおよそこの世のものとは思えない悲鳴が夜の宿屋にこだました。


 ちなみに俺はといえば、注射器の中身が一割もたまる前に意識を手放していたらしい。それまでの苦しみを思えば、早々に意識を手放していて正解だったと思う。


 そして次の日。


「――まー、昨日はずいぶんとお盛んだったようで」


 自室のドアから半ば倒れ込むようにしてでてきた俺に、ミーシャの開口一番の容赦ない口撃が突き刺さった。


「やめてくれミーシャ……貧血の今は頭に響く……」


 床に伏したまま今にも蒸発してなくなってしまいそうなかすれた声でむなしい抵抗を試みるも、目の前に仁王立ちして俺をにらみつけるミーシャにはそんなことは些末事にしかすぎないらしい。


「ふん、あれだけ騒いどいてずいぶん身勝手な話ね」


 ミーシャが酒で酔いつぶれて早々に寝落ちすると、次の日に二日酔いをするとかいう事にはならない代わりにこんな感じでものすごいふてくされるのだ。


 俺だって健全な男子高校生、ミーシャは自分にかまってくれない事が不満なのではないかという自意識過剰もいいところな妄想を膨らませたこともないでもないが、さすがにそれは妄想がすぎるというものだろう。


 あの変態は俺(の血)に対して好意を寄せているのを隠そうともしないから別にしても、やはり女心を察するのは俺には困難な芸当らしい。


「今、何時だ……?」


「もうすぐ10時ってところかな? それより、今日はギルドにいかなきゃいけないでしょ。もうすぐ出かけるから、さっさと準備しといてね」


 それだけ頭上から素っ気なく告げると、地面に伏しているせいで半分地面に占められた俺の視界からミーシャの足が離れていく。


「……くっそ、そんなこと言ってたなそういや」


 全身の血が圧倒的に不足しているせいで、なかなか思考の回転数が上がらないのに耐えて、力の入らない体を何とかして持ち上げる。


 細い通路にもうけられたいくつかの部屋のうち、俺の部屋以外の住人はすでに部屋を後にしたらしく、もやのかかったような目を動かすとめいめいの個性が発揮された「外出中」の板がドアにかかっている。ちなみに、この酒場の2階は貸部屋になっていて、俺、ミーシャ、セレスの三人が住み込んでいる。ちなみに酒場の主であるバルツが寝泊まりしているのは一階だ。


「ちくしょう、セレスのやつ容赦ってモンがありゃしねえんだからな……」


 そう悪態をつきながら軽い頭痛を我慢して一階に降りる。いくら酒場に行くからといってもちろん朝から酒盛りをするなんていう大胆な真似をするわけではなく、単純に朝食の確保が目的だ。酒場と言ったって何も酒を出すだけが仕事ではない。


「あ、ユースケ様。おはようございます」


 最低限の着替えをすませて一階の酒場に降りた俺を迎えたのは、いつにもまして機嫌の良さそうなセレスの笑顔だった。俺から半殺しもいいところな量の血液を吸い取ったためか、皮膚につやと張りがでているような気がする。


「…………はよっす。いきなりで悪ぃけど、なんか食うもんない? 軽めのものでいいんだけどさ」


「了解です。少し待っててくださいね」


 そう残して厨房へと姿を消したセレスから視線をはずして酒場に目をやれば、今日が休みの奴や怪我を療養中の冒険者、果ては働く気のないらしいニートどもが朝からひしめき合ってひとつの喧噪を作り上げていた。


 店の奥の階段から眠そうな表情で出てきた俺に気がつくと、ここの常連の奴らはそれだけで昨夜なにがあったのか察したらしく、同情と羨望の混じったまなざしをぶつけてくるので軽く手を振り、ゆっくりと歩き出す。


 伸ばしっぱなしの髪を手櫛で梳きながらカウンター席に着くと、すでに外出の用意を整えたらしいミーシャが隣の席で水の入ったコップを手でもてあそんでいた。俺が来たことに気がつくと、開口一番に文句をとばして来やがった。


「もー、今日はギルドに行くってのに、いつにもまして覇気がないってどういうことよ」


「……文句ならセレスに言ってくれよ」


 ため息混じりにそうごねても、ミーシャはカウンター席に肘をついて手でコップをもてあそぶだけで、これといった反応は返さない。


「ユースケ様、簡単な朝食をお持ちしましたよ」


「……お、サンキューな」


 そういったそばからセレスがパンとスープを俺の目の前において、自分も俺のとなりの席に着いた。

やっと期末試験が終わりましたので本日久々の投稿となります。

先週投稿できなかった分も含め今日は二つほど更新すると思いますん

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