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「――にしても、あれからもう1ヶ月も経つなんてな」
俺がそういいながら木製のコップに入った飲み物をあけると、すぐさま隣から反応があった。
「そりゃ、最初の方はこんな安定した生活なんて送れてなかったしね。やっと落ち着いてきたのも、つい最近のことじゃない?」
そういって隣に座り、俺と同じようにコップを傾けるのは、ミーシャという名前の少女だ。
さっき自分でも言ってはいたが、幼なじみからの話なにやら訳の分からないこの世界にとばされてから、そろそろ一ヶ月の月日がたつ。
ちなみに、幼なじみを助ける方法は未だにわかっていない。あんまりにも手がかりがなかったものだから、昔は悪夢とかもしょっちゅう見てたりもした。
「それにしても、最初ユースケにあったときはほんとにびっくりしたな。今まで全く見たこともないような格好の人が、うつろな眼をして店に入ってくるんだもん」
「ああ、ほんとにあのときはさんざんだっな……」
そのときのことを思い出した俺がひとつ大きなため息をつくと、ミーシャはなにが面白いのかしのび笑いをはじめた。
まあ、ミーシャの笑う気持ちは分からないでもない。俺だって、こっちの世界の人みたいな格好をした人がうつろな目をしてそこらへんを歩いていたら、そりゃ奇異の目線を向けたくもなるし、笑いものにしたくもなる。でもまあ、笑っていられるのはそれが他人事だからなんだろうけど。
「最初は私、あなたのこと道化師かなにかかと思いこんでたんだけどなー。まさかこうして冒険者になるとは全く思わなかったよ」
そういってまた笑い出すミーシャに、その態度と「冒険者」という単語に俺はまたため息をもらしてしまう。
昼間っから笑い声と食器がぶつかり合う音が耐えない喧噪の固まりみたいな店にも、動きやすい軽金属のブレストプレートを身にまとって小振りのナイフを腰に差した自分の格好にも、違和感を覚えなくなる慣れとは本当におそろしいもので、こうして自分の置かれている状況を客観的に見つめることがない限りは普段通りの生活を可能にしてしまうのだ。
どうやら俺の放り込まれた先の世界というのは、俗に言うところのファンタジーや異世界と言ったものの要素をこれでもかという感じに内包していたらしい。要するに、俗に言う召喚系の小説とかの舞台みたいな感じだな。
お飾りではなくて生きるものを斬るための剣があり、空想の産物ではない魔法があるなんていうのはあたりまえで、クエストやその斡旋所であるギルド、鍛冶屋や両替商なんていう存在までこの世界には存在していた。俺たちがこうして話をしている賑やかな酒場も、そのいい例だろう。
「それよりユースケ、お昼ご飯食べ終わったら、また何かクエスト受けに行こーよ!」
「えー……お前、よく疲れないな。まあいいけどさ……」
なんて会話ですら、平気でこなせてしまう始末だ。
「ユースケこそ、そんなんでヘバってたらいつまでたっても魔王討伐なんてできないよ?」
「ま、そうだけど……」
今の自分を客観視したような状態だと、普段はすんなりと受け入れられるその言葉にもどこか引っかかる非現実感を覚えてしまう。
言われてみれば、魔王討伐が冒険者を含む人類の最終目的地というベタきわまりない”設定”も、この世界においては至極当然のこととして人々に受け入れられていた。理由でも試しに聞いてみれば、「魔王はこの世の悪である魔族からして倒されてしかるべき存在でありうんぬん」というこちらもテンプレな返答が返ってくることだろう。まあ、俺がこの世界の数ある職の中で冒険者を選んだのはちょっと違う理由だけど。
「そう言ってまたユースケは、クエストサボろうとするじゃん。出会った頃のやるきはどこ行ったのさー?」
「や、それはだな……」
ミーシャに出会った最初の頃の俺は、ものすごいがむしゃらにクエストを受けて回っていた。怖かったんだ。あのときの結衣の様子が毎晩悪夢となってよみがえるもんだから、もしかしたら俺は結衣に恨まれてるんじゃないかと思って、眠れない夜が続いたから。
周りのことを一顧だにせず、今から見れば狂気の沙汰としか思えないようなペースでクエストを片っ端からクリアしていく俺は、当時クエストマシンなんていうあだ名までつけられていたくらいだったらしい。今のこの装備は、そのときの血と汗の結晶だと言っても過言ではない。
そこまで考えてふと、カウンター席のとなりに座るミーシャが非難がましい目つきを向けてきたので、諦観したように返事を投げ返す。
「ハイハイ、わかったっつーの。行きゃあいいんだろ? あ、でも、こないだお前が受けてきたアレはカンベンな。死ぬほどメンドかったから」
「えー? あれ割とお金もらえたのに……」
「知らんな」
そう言ってしょげかえるミーシャだが、俺にここで「わかったよ、じゃそれ行ってやるよ」なんて言ってやるだけの優しさは、あるいは甘さはない。かつてミーシャという少女の向こう見ずなところを知らなかったころに受けたクエストで、死ぬほど痛い目を見た経験があるからだ。
「ちぇ、やっぱ引っかかんないか。ってか最近ユースケ、妙に悪賢くなってきてない?」
「気のせいだろ」
ミーシャがまたもや何かを言おうとしたが、その声はカウンターの向こうに構えられた厨房から聞こえた声に出鼻をくじかれてしまった。
「へい、揚げ物盛り合わせお待ちどうさん!」
威勢のいい声で俺たちの前に大量の揚げ物が乗った皿を置いたのは、この酒場の店主にしてミーシャの保護者、バルツその人だった。ちなみに言うと、この世界で行く宛の無かった俺にすみかを提供してくれた人でもある。
「ねえバルツさん、聞いてよ! ユースケがね、またクエストに行きたくないって言ってるんだよ?」
短くお礼を言って俺が揚げ物に手を伸ばすのをよそに、ミーシャはバルツになにやらグチをこぼしているらしかった。
「行きたくないとは言ってねえだろ。だいたい、お前はなんでそう人に告げ口をするのが好きなんだよ! おまえはあれか、年の近い妹か何かか!」
「妹? 子供扱いしないでよ! 言ったのはだいたいそんなことでしょ! それに私だって、ユースケがクエストに行くたびにグチをこぼしたりしなきゃ、こんな話なんかしないからね?」
「まあ二人とも、とりあえず落ち着けって」
にらみ合う俺たちの頭上から降ってきたバルツの重厚な声に、俺とミーシャはしぶしぶ口を閉ざした。
「俺からすりゃ、今のユー坊だって立派にクエストをこなしてると思うが? むしろ、今のペースが一般的なぐらいだし、大体的なクエストも休んでないしな」
「ま、角が取れて丸くなったってことですよね」
バルツの意見に賛成するそぶりを見せると、ミーシャは「でも……」と不満そうな様子を見せた。
「私だってそれぐらい知ってるって。でもさ、私があなたとこうしてパーティーを組んでるのは、角が取れる前のあなたを尊敬していたからなんだけど」
「……耳に痛い話だな」
悪夢に駆り立てられて、結衣を助けてもとの世界に戻りたい一心で生きていた頃の俺に尊敬を抱かれても、俺としてはただ困窮するほか無い。そのころの俺はなにも知らず、知ろうともしなかったんだから、そのころに比べて幾分人間らしさを取り戻した今の俺の方が何かと進歩しているはずだ。
「魔王を倒すんだって言ってクエストをひたすらクリアして、前に進んで、まるで冒険者の鏡みたいな新人が現れたっていうからほかの誰でもないあなたとパーティーを組んだって言うのに、今じゃこのていたらくよ。これじゃほかの冒険者と、なんにも変わらないじゃない!」
「俺はそのほかの冒険者と同じになりたくて、この生き方を選んだんだけどな……」
俺はそういってコップに残っていた飲み物をすべて飲み干す。こうして仲間と食べる飯のうまさや人と会話することのおもしろさを知ったのも、一つの進歩として捕らえていいと思うんだが。
「ま、そうつんけんすんなや。だいたいユー坊だって、あんなペースでクエストをこなし続けてたら、いつぶっ倒れてたかもわかんなかったぞ? 俺としては今の方が安心できるんだがな」
「つまりあれか、ミーシャはぶっ倒れるまでクエストをこなし続ける俺の方がお好みというわけだ」
バルツの言葉を適当に曲解してミーシャに放り投げてやると、予想通り彼女はとたんにアタフタとしだした。体の健康が資本とされる冒険者がそこをないがしろにして行動するのは、あまりよくないこととされている。無論、それを推奨するなんてもってのほかだ。
「わ、私だって別にユースケに倒れてほしいとか思ってなんか・・・」
だが、ミーシャの弁解の言葉は突如響いた引き戸が開く音に阻まれてしまった。
「あづい、ですの~……」
戸を開ける手間ももどかしそうにフラフラと危なっかしい足取りで店内に入ってきたのは、俺たちのパーティーの3人目のメンバー、セレスだった。夏場だというのに流麗なドレスのようなものに身を包み、
「おういらっしゃい。なんか飲むか?」
「なんでもいいので冷たい飲み物を一つ、お願いしますわ~」
そうして俺たちが見ている間にも、セレスがつく名前=お嬢様という俺の勝手な先入観をみじんも裏切らない口調で注文をすませたセレスが、流れる金髪を右に左に揺らしながら危なっかしく俺の隣の席に軟着陸してきた。
「お前……こんなに陽が照ってるのに外をほっつき歩いたりして、大丈夫なのか?」
「わたくしもこんな日に外に出るなんて考えたくも無かったのですが、どうにもクエストの一つでもこなさないと家計が厳しいのですわよ……」
力なくげんなりとした様子でカウンター席に突っ伏すセレスの顔には、「めざすは自宅警備員」の文字がデカデカと書いてあったように見えた……かどうかはさておき。
俺らのパーティーメンバーの中でもダントツの貧弱さを誇るセレスだが、その理由は超ド級サイズの胸が邪魔だからでも、本当にお嬢様育ちの箱娘で体力が皆無に等しいからでもない。
「――そういえばユースケ様、今日はずいぶんと顔色がよろしゅうございますね」
ふと横合いからかかった声に、俺はあげものを摘む手を止めてあきれたような視線をセレスに投げかけてやった。
「その言い方だと、俺が普段から血行の悪い貧弱なヤツみたいに聞こえるんだが」
「では訂正いたしましょう。ユースケ様は日頃に増して血行がいいように見受けられますわ。そして今わたくし、この炎天下の中を艱難辛苦を乗り越えて非常に疲れてますの。――そこでもしよろしければ、ユースケ様の生命のの証、あの熱く煮えたぎる液体をどうかわたくしめに――」
さっきまでのぐったりとした様子はどこへやら、疲れも明後日の方へ吹き飛んだとでもいいたそうに目を輝かせるセレスが、俺にグイグイと迫ってくる。生前の俺ならば頬を赤く染めてしどろもどろになりながら目をそらしたりしたようなシーンだが、さすがにこれも何回もやられれば案外慣れてしまうものだった。
「コラそこの変態吸血鬼もどき、めんどくさいお膳立てをいくらしても無駄だからやめときなさい」
「なんッ――吸血鬼、もどきですの? ミーシャあなた今、そうおっしゃいました!? 変態のそしりならいくらでも甘んじて受け入れますが、吸血鬼もどきという表現の方にはいささかわたくしも寛容ではいられないですのよっ!?」
まあ、なんだ、見たとおりだ。端的に言って魔王とその配下の魔族の物を片っ端から狩り尽くすことを天命としている冒険者にも、その魔族の血が流れてることもあるってわけだな。
今本人の口から説明したとおり、セレスの体には少しだけ吸血鬼の血が流れている。といっても、別段セレス自身が魔王の手の者ということなどはなく、普通に魔族を討つ冒険者として生きているんだけど。
だけどやっぱり血には逆らえないところがあるのか、本人にも一応吸血鬼としての身体的特徴がいくつか薄く現れている。日差しの強い日には体調が低下する、一般人より強靱な肉体と生命力を持つ、吸血行動によって体力の回復を少しだけ図れる、夜目が効く、などだ。
ただし困ったことにいかんせん本人に流れる血がうすいため、これらの特徴はすべて効果が薄くなって現れてしまっている。ここまでくるともう、セレスの身体的特徴になんらプラスの要因に働く物はないといっても過言ではない。百害あって一利なし、というやつだ。
さてノーゲームノーライフを見ようか