2-8
今週はちゃんとやったぞ……!
という文章をその週の月曜日に書いているという不思議。
予約投稿って便利ですね。
「ユースケ、また会ったね」
その声が耳膜を介さずに脳裏を揺らすと、それを合図にして俺の意識のピントが合った。
「――結衣?」
俺はどうやら、どこか地面のようなところに座り込んでいるらしい。その俺の目の前には、笑みを浮かべた結衣が俺をのぞき込むように背を曲げ、微笑みかけていた。
結衣はぽかんとした様子の俺をしばらく見ていると、不意にくすっと笑い、ついでこう尋ねてきた。
「ユースケ、まだ私を助ける方法は見つからないの?」
「……え? い、いや、なんつーか…………悪ぃ、まだ時間、かかりそうだ」
開口一番というにはあまりふさわしくない話題に疑問を感じながらも、おぼろげな記憶の中にこれといって結衣を助ける方法がないことを感じ、反射的にそう回答していた。
「……そっかー」
どこか陰のある声でそう呟いた結衣は、座り込んだままの俺に手を差しだし、「立って?」と告げてきた。
「あ、ありがと…………なんつーか、ごめんな。方法、まだ見つからなくて」
まだふらつく足下を確かめるようにその場で数回足踏みし、頭を振っても意識をクリアにさせようとする。
「…………そっかぁ」
どこかもやがかかったような視界の中、結衣の表情は簾のように顔を覆う髪のせいでよく読めない。
だが、なぜか俺はその表情の中に、人の背筋を凍らせるような成分が多分に含まれていると気がついた。気がついてしまった。
その途端に思考がクリアになり、視界が一気に鮮明になる。
「まだ私を助けてくれないユースケには、」
桃色の花びらが散る桜並木。太陽に照らし出された道を歩く結衣。
そして俺は今、結衣より少し前の、T字路の分岐点に立っていた。
そこは本来俺ではなく、結衣が立っていたはずの場所。
「――――おしおき、しなきゃね」
迫る轟音。鳴り響くクラクション。こっちに手を振る結衣の笑み。
俺の右半身に不意に冷たい感触が押し当てられたかと思うと、それは瞬間的にものすごい熱と痛みに変わる。
腕が裂ける。わき腹が潰れる。腸が引きちぎられる。視界を舞う赤いナニカは、俺の体だったもの。視界の半分が消え、聴覚が消え、俺がkkkkkきsgdrgbchclpkjhnfwsあxc――
「――待ってるよ、私」
俺の聴覚ヲ打つソのコエが、聞コエた気がシタ。
「――――ぃ、おいっ、――――!」
耳を打つ。耳障りな高周波が、俺の安寧をさまたげる。
「おいっ、しっかりしろ!」
……喉が痛い。何でだ?
「――ぅしたのっ!?」
「――でもいいっ! こいつの目を――!」
「っ、〈ウォーターボール〉っ!」
瞬間、頭からつま先に至るまでに電流が走ったような感触があり。
「――――――があッッ!? 冷たっ!?」
掠れてガラガラになった声の俺が、そう叫んだのだった。
「ったくお前さん、明け方に何するかと思えば、いきなり叫び出すか。ある意味強姦魔とどっこいだぜ、こりゃ」
「ほんと、すんません……」
「ちょっとバルツ、さすがにそれは言い過ぎだって。ユースケもめちゃくちゃ脂汗かいてたし、悪夢でも見たんじゃないの……?」
「冗談、冗談だ。にしてもまぁ、あんだけ叫んでよく喉が潰れなかったもんだよな。見た目によらずユースケ、実は結構頑丈なんだなぁ」
バルツが感心したようにそう言っても、今の俺には『こっちに散々迷惑をかけといて、てめぇは何の被害もないってか、あぁ?』と遠回しに皮肉られているようにしか感じなかった。
時刻は、だいたい明け方の四時半といったところか。
俺は今、人気のほとんどない酒場でカウンター席に座り、毛布を肩にかけたまま呆然としていた。
昨日から今日にかけて俺が見た悪夢。自分を救出する方法はないかと迫る結衣と全く同じようにトラックにより轢殺されるという悪夢は、現実世界の俺が喉を壊す寸前まで叫ぶほどの恐怖を与えてきたらしい。
その様子を聞きつけたバルツとミーシャのおかげでなんとか俺は正気を取り戻し、こうして酒場に座っているというわけだ。
「ユースケ、顔が真っ青だよ? いったいどんな悪夢を見たら、そんなに……」
「…………まぁ、いろいろ、な」
トラックの概念などあり得るはずもないこの世界で、ましてや自分が助けると約束した少女と全く同じ末路をたどる俺の悪夢など、理解してもらえる自信がなかった。
しばし場に沈黙が流れた後、不意にバルツが大きくあくびをし、頭を掻きながらこう提案してきた。
「ま、ユースケはとりあえずもう一回寝る……ってのはちときついか。だったら、そこでゆっくりしててくれや。俺はちっと眠いからな、しばらく寝てくるわ。ミーシャはどうする?」
ミーシャはどこか困窮したような様子で俺をしばし見つめた後、何かを決意したように表情をぐっと引き締めた。
「私は、もう少しここに残る。ユースケのことが心配だもん」
「おうおう、ユースケも愛されてんなぁ」
「なっ……!? そういうんじゃないんだからね!? ただもう一回叫ばれたりしたら私が困るってだけの話で……」
「んじゃ、また朝飯のときなぁー」
「あ、逃げたっ!? …………ったく、もう」
ちょっとした冷やかしの言葉を残してバルツが姿を消すと、ミーシャはカウンター席に座る俺の隣に腰を下ろし、手元にある暖かいハチミツ酒をくいと飲み、ため息を一つついた。
「ミーシャ……ありがと。あと、叫んだりして、ほんとにごめん」
他人の家にお世話になったその日の夜に叫び出すという奇行の後始末をやらされたミーシャに、俺はただそう謝意を伝えることしかできなかった。
「ううん、いいの。困ってるときはお互い様、でしょ?」
「ほんとに……ごめん……」
背もたれがないカウンター席では、うかつな体勢をとると、それだけで後ろへ転倒する可能性がある。
そうわかっていても俺は、足に突っかけていたスニーカーを脱ぎ捨て、表面積のやや少ないカウンター席の上で小さく固まらずにはいられなかった。
それなりに気持ちの落ち着いた今でも、夢で味わった苦痛を思い出せばそれだけで俺の四肢は言うことを聞かなくなる。
結衣を助けられなかった自分への不甲斐なさに指先が震え、あの狂気の表情に肌が粟立ち、総身を押しつぶす金属の感触に血の気が失せる。
そういう具合に顔面蒼白になって縮こまる俺に、ミーシャがややためらいがちにこう尋ねてきた。
「聞いていいのかわからないけどさ……ユースケが見た悪夢って、いったいどんなものだったの?」
「……この世界に、轢死っていう概念はあるか?」
「轢死? 馬車とかの下敷きになったり、はね飛ばされたりしてっていう事故はあるけど……」
「じゃぁ、その馬車と、なんでもいい、石の壁なんかに挟まれてなくなった人っていうのは?」
「あまり聞かないけど……想像するのも怖いわね」
そう言って二の腕をすりあわせて見せたミーシャの様子を見てから、俺は本命となる言葉を慎重に紡いだ。
「その馬車の何倍かはあるような、高速で動ける物体に押しつぶされる夢、だった。なんつーかな……石壁との間に挟まれて、そのまま気づいたら――」
「無我夢中で叫んでた、ってわけね」
俺のあとをついでミーシャがそう結論づけると、ミーシャはまたおし黙ってしまった。
「わかった。じゃ、今日は少しゆっくりしよう」
「……え? なんで?」
「なんでもなにも、ユースケ、そんな状態でまさかまたクエストに行こうとしてたの?」
「い、いや、まぁなんつーか……」
「キミねぇ、それでクエストなんて行ったら、ころっと死んじゃうよ?」
「そんな状態っつったってな……」
そう呟く俺の脳裏によみがえるのは、二度俺の夢に現れた結衣の存在。早く助けてと懇願し、狂気の混じった笑みとともに俺を殺した――二回目は違うかもしれないが――あの結衣のことが、俺は忘れられない。
もとの結衣があんな存在だったとは思いたくないにせよ、俺の夢枕にたった結衣は俺に早く助けてほしいと願った。もしあれが結衣の魂という奴で、それが俺の夢にきてまでして助けを求めているのだとしたら。
「……それでも、今は、一分も惜しいんだって……」
力の入らない腕で膝を囲い、感覚の薄い手をすりあわせる。それだけで、俺が全力とはほど遠い精神状態なのはわかった。
そんな俺の様子を見ていたミーシャはふと俺の手を取り、無言のまま眉値を寄せる。
「ミーシャ、何を……」
「――気づいてないのかもしれないけど。顔は真っ青で、手は冷たい。おまけに今にも泣きそうな顔をしている奴をクエストなんかに出してくれるほど、ギルドの職員も人がなっちゃいないよ。今日はゆっくり休んで、明日からにしたほうがいいわ」
「…………そう、だな」
ここまで言われてしまえば、俺としても反論の余地などありはしない。渋々といった感じでうなずいた俺に、ミーシャは軽くほほえんでみせた。
「じゃ、ちょっと早いけど朝ご飯にしよっか――」
そう呟いて席を立ったミーシャにつられるようにして、俺も席を立つ。
――――その胸の中に去来していた、一抹の不安を置き去りにして。
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「ほぉ少年、実はそのころからあの少女と知り合いだったのかぁ。女は男の弱い一面に落とされるとは言うが、少年にしてみればこれが攻略の足がかりだったわけだね」
「おいそこな魔王、攻略だのなんだの、この現実にくだらんものを持ち込もうとすんじゃねぇよ」
話に一区切りをつけた俺が一息ついて手元のコップをあおると、すでに頬をやや赤らめた魔王がそんなロクでもないことを口にした。
「夢の中に現れる少女に心を乱される男と、その男に惚れる女……いやぁ、これが噂の三角関係というものか。竜族だとあまりないからの、いい話を聞いたのぅ」
「そうなのか?」
「横恋慕も略奪愛も、力で優位を示したものがのし上がる。わらわ達竜族はそういう種族じゃからの」
「あーあー、そういや竜族はそんな感じのノーキン共だったなぁ」
観察のつもりがうっかり竜族を殺しちゃった、的なかつての思い出が俺の脳裏によぎる。代償のでかい魔法を使わされたことと言い、リズという少女が増えたことと言い、ほんとうにロクでもない思い出だが。
「にしても、少年。その当時はまだ、クエストマシーン(笑)とか呼ばれてたわけじゃなかったみたいだね?」
「おい、今ぜってー余計なこと考えたろ。お前じゃないが、それぐらいはわかるぞ」
「気のせいだ」
「はぁ……」
頑として俺の指摘を受け入れようとしない魔王にそうため息をついていると、隣にいたリズがちょいちょいと俺の服の袖を引っ張ってきた。
「そうだお主、そのくえすとなんちゃらとか言うのもそうだが、それよりもあの宿でともに暮らしておるあの不思議な少女はどうなのじゃ? 馴れ初めがなんだったのか、気になるのじゃが」
「お前ら、何でも馴れ初めって言葉使えばいいとか思ってんじゃないだろな? っつかその少女って……ああ、セレスか」
「そうじゃ。体に魔の血を引く娘、それもほんの少し。ということは、何代か代を重ねてきておるじゃろ? これが不思議でなくて、何が不思議だというのじゃ」
「そうだな、言われてみれば確かに不思議なのか……」
「じゃ少年、その話をさっさとしてくれよ。さぁ、早く」
もはやこちらの意図などガン無視で指図してくる魔王に今日んかいめかのため息をこぼしながら、俺は手元のグラスをもう一度煽った。
「わーったよ、話すから。えーと、とりあえず俺が悪夢を見て飛び起きたってとこまでは話したよな……」




