プロローグ 2
――同時刻、日本。
「ねえ、早くしないとおいてっちゃうよー?」
「…………そっちが歩くのが早すぎるんじゃないのか?」
アスファルトで舗装された道路を、制服姿一組の男女が歩いている。
といっても、女の子の方はさっきからせわしなくあちこちをせわしなく移動しているので、実際に歩いていると表現できるのはおそらく男の方だけかもしれないが。
とか言ったりして、その男の方は俺なんだけどね。名前は神谷祐輔、今日から高校生になる。
そんでもって俺の目の前を笑顔でとんだり跳ねたりしている女の方が、いわゆる俺の幼なじみってやつで、信楽結衣って名前だ。
俺とは小学校から高校までずっと一緒に過ごしてきたという、なんちゃってとかではない筋金入りの幼なじみというヤツでもある。……筋金入りってなんだよ。
「いやーでも、ユースケと同じ学校に入れてほんとによかったなぁ」
「そっすか」
わざわざ志望校まで変えたんだからほんとにご苦労さまなことだとは思うけどな。若干照れくさいのは、まあ、ここだけの話だ。
「でも高校は中学と違って義務教育じゃないからな。うかうかして気を抜いてて落第したとかいったら、洒落にならないぞ?」
「うえー、そーいやそうだったね……」
苦笑いをする結衣に先導されるようにして、俺たちはちょうど大通り付近のT字路に差し掛かろうとしていた。
桜並木である大通りに近づくに連れて、桜の花びらが風に乗ってこっちに飛んでくる。
「ユースケー、見て見て。ほら、桜の花びら捕まえたよ?」
どうやら結衣は、その中の一枚を手にしてはしゃいでいたらしい。確かにその手を見れば、一枚の桜の花びらが結衣の手の中で風に揺られて軽く動いていた。
「あのなぁ……お前はガキか」
「えー? 別にこれぐらいいいじゃん。この時期しかできないんだしさ」
幼なじみのアホっぷりに思わずため息をつくが、結衣はそのため息に気がつく様子もない。
「あのね、私ね――」
歩くのが遅い俺より結衣が何かをいい、眠たい俺があくびをしながらそれを聞き流す。ここ最近のよく繰り返される光景が、ちょうど展開していた。
――だからこそ、なのだろう。俺は幸いにも眼に涙を浮かべていて、そのときのことをはっきりと見ることができなかったのは。
結衣が何かをいいかけた直後、一瞬の間俺の目の前を強い風が通り過ぎた。
そして、それとほぼ同時に俺の聴覚を強打する轟音。
その音の正体を探るべく反射的に閉じていた目を開けると、俺の目の前にあったのは赤だった。
その正体は真っ赤に染まった、トラックの側面。
「……は?」
どうやら不注意にも、T字路から突っ込んできたトラックが壁に轟音とともにぶつかり、ひしゃげた音だったらしい。道を完全にふさぐような形で沈黙したトラックにしばらく俺はあっけにとられていたが、やがてその運転手の不注意について話を付けなくてはと思い歩き出す。
……ってか、あれ? あいつはどこ行ったんだよ。さっき俺に、なんか言おうとしてたじゃん。
「…………?」
運転席に向かって行くに連れて色濃くなっていく赤色には目もくれずに運転席に向かっていった俺の視界に、何かが写った。
細かく罅が入って中の様子が伺えないトラックのフロントガラスの向こう、一面に赤く塗りたくられた石垣と、トラックの間からのぞく白く細長いもの。
日の光をほとんど浴びてないんじゃないかってくらい色白で、きめこまやかな表面には一切の傷もシミも見られない。つまるところ、これは人の腕。
……いや、待てって。どう見てもこれ、運転席から飛び出したにしても限度があるだろ。運転手、あのフロントガラスの向こうでどんなびっくり人体ショーをやってるってんだ。
一歩踏み出すと、にちゃ、ぴちゃ、という音がする。足下を見れば、さっきの赤いもの。くっそ、この靴後で洗わないとな。
「――ん? なんだこれ……」
よく見たらこの手、なんか握ってんじゃん。
桜の、花びらか? でもなんで、この手が? …………ってか、この花びら、どっかで見たことないか? それも、つい、数秒、ま――――――
――――――え?
イヤ待て。あれはおっちょこちょいな運転手の腕だ。色白できめ細やかな腕をしてるってことはたぶん女性で……
……あれ? なんで俺はさっき見たおさななじみの腕のことをこうも連想するんだ? いや、違う、チガウ、そんなことはない。さっきのトラックは俺の目の前をものすごいスピードで通りすぎただけで……
――ソノ、トラックガトオッタトコロニハ、ダレガイタ?
「…………ぁ」
アんまりにも、簡単に。
イまさっき、つい数秒前。
ツみなんて、あるはずも無いのに。
ハじめから、わかってた。
シ
ン
ダ。
「――ぁあああああぁぁあああああぁぁぁああああああああああああッ!!」
トラックの赤。地面にいっぱい撒き散らかされた、赤。ネズミ色の壁を一瞬で塗り変えた、赤。暖かくて、鉄臭くて、失ってはいけない赤。
――あれは、ヒトの赤だ。
瞬間的に、むせかえるような鉄のにおいが鼻を突き刺す。よみがえった聴覚いっぱいに、自分の悲鳴が幾重にもこだまして反響する。
俺の意志と一切関係なくゆがむ視界の中、トラックのフロントガラスの先にあるものを、俺は、思わず見て、しまった。
赤い壁にところどころ飛び散って彩りを加える、白く小さい破片や、ピンク色のナニカ。
ヒトのナカミが、これでもかとばかりに散らかされているその中央。トラックと壁にプレスされて奥行きを失った、その塊。
その、塊は、つまり、元を正せば、さっきまで無邪気な笑みをふりまいていた――
「――――ッッッ!!」
ひきつった喉の奥から、熱く喉を灼く液体がせり上がってくる。赤く染められた地に膝をつけ喉を溺れさせる液体をぶちまける。
そうした後は、荒い呼吸を繰り返しながら、焦点の合わない視界をかすませながら、ただしゃくりあげることしか俺にはできなかった。
なんでだ。
なんでダ。
なnデダ。
あいつだって、まだ、これからがあったのに、その、これからがもう永遠に来ないなんて。
向こう数十年は生きたであろう人生が、たった一瞬の出来事だけですべて無かったことにされてしまった。
その事実に開けっ放しでも乾かない瞳から熱い滴が落ち、そのうちに視界がどんどんぼやけてゆがみ出す。
ぼーっと靄のかかった意識の中で、あきらめにも近い感情がにじみだしてくる。
…………もう、いい。
もう、あいつは、この世に、いない。
……何だ? なんか、急に、眠くなってきた。いいや。少し疲れたし、休もう。
今はもう、疲れた――――
その思考だけを残して、俺の意識は闇に沈んで消えた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――ねえ。あの子を助けたい?
もう、あいつは死んだんだろ。もう、この世にいない。
――まあ、そうだけどさ。それでも、あの子の命を救える手だてがあるかもしれないっていったら、どうする? 私にその手段があるかも知れないっていったら?
…………助けたい。
――そのために、かなりの対価を支払うことがあったとしても?
俺にできうることなら、何だってやる。だから、あいつを助けてくれ。
――わかった。それじゃあ、これから君を、一つの別世界に送らせてもらう。そこには、君の常識を越えたさまざまな現象が存在しているはずだ。私なら、その方法で彼女を救う手段を探れるかもしれない。その世界で、君がその方法を聞きにくるのを待ってるよ。
……今ここで教えてくれるってのは無理なのか?
――まあ、教えてすぐにどうこうできるような代物でも無いしね。それに言ったろ? それなりの対価が必要だ。こんな状態の君じゃ、せいぜいその命ぐらいしかもらいようがないからね。
こんな状態、って言われてもだな……それより、ここはどこなんだ? 俺はどうなってる?
――まあ、なんて言うか、今はちょっと移動中なんだよね。体はどっかへポイしちゃって、精神だけ残ってる感じ。
待て。そんなことをして、俺の体は大丈夫なのか?まさか、移動先の世界で魂だけで戦えとか言わないよな?
――まっさかぁ。そんな縛りプレイなんかして、なんの意味があるのさ。ちゃんと体もついてくるよ?
や、ならいいんだけど……
――……っと、そろそろ着くみたいだよ? まあ、あの子を失った悲しみは大きいかも知れないけど、私のとこまでくれば、その悲しみも含めてなんとかできるかもしんないわけだから、頑張ってねー。
その声が聞こえたのと同時に、俺の意識が一瞬フェードアウトし、ついでゆっくりと鮮明になってきた。
ついで、それまでずっと感じられなかった五感がだんだんとよみがえってくる。
まず、耳を打つ人の会話がおりなす喧噪が耳に入る。
ついで、風に運ばれて感じられた草のにおい。
そしていつの間にかつぶっていたらしい目を開けると、やや高いところを木の枝らしきものがわっさわっさと揺れている。
「ここ、どこだ……?」
そこまできたところで、バッと体を起こして周囲を見渡す。
まず目に入ったのは、目の前にそびえ立つ木。そして、その周りに歩く、人。
ただし、その人たちは日本ではまずみないような格好で露天を開いていていたり、談笑したりしている。風景からして、さっきまでいたところはおろか、日本とも思えないんだが……
俺が寝転がっていた場所を見下ろすと……青々と茂ったこれは、芝生か。俺の近くに生えた木を中心にして、円状に生えているみたいだ。
およそ俺の人生の中でも見たことのない、ファンタジーチックな世界。でも、この世界にはさっきのトラックも、血塗れのアスファルトも、そしてあいつも、今の俺の視界のどこにも映ってはいない。
よく考えたらさっきのままなら自分は血塗れになっているはずだと自分の体を見下ろすと、さっきまで着ていた真新しい制服が目に入った。ただし、その制服にはさっきまでと大きすぎる違いがあった。
血が、ついていない。
バッと自分の両手の手のひらを見てみるも、やっぱりその見慣れた手のどこにも赤い液体は確認できない。
おおかた自分の体を確認しても、あの惨状を想起させるような跡はいっさい見受けられないようだった。
「……っは、は」
喉の奥から、乾いた笑みが漏れる。
「――これ、夢かよ?」
そうに決まってる。ここは、夢だ。あいつが死んだのが信じられない俺が見ている、別の世界の夢。
そうとでもしておきたいほど、自分の身の上に起きていることが信じられなかった。
『あの子を助けたい?』
ぼんやりとした意識の中で行われた謎の話のうち、他の話より際だってそこは鮮明に覚えている。
この世界が夢なのだとしたら、あの会話にも意味はないことになってしまうというのに。でも、これはおそらく現実。そういうことにしておけば、俺はまだ生きていられる。
「――当然、だ」
俺はそうつぶやいて、人の行き交う方へと足を一歩踏み出した。
まだ投稿しますよー