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第三章 結婚したい……


   第三章 結婚したい……


 文江は、今日もパソコンを立ち上げる。

 昨日、「恋人探し。必ず出会えます」といううたい文句のサイトに登録したばかりだ。女性の入会金無料。ホームページのデザインからして怪しげなサイトのようにも見えた。けれども、相手さえ見つかればなんだって……、という気持ちもあった。

 早速、そのサイトからメールが届いていた。五件も来てる。[すぐに会わない?]なんてのもあった。相手の歳もわからない。相手もこっちの年齢を知らないはずだ。初めてメールする人にタメ口で品のない言葉で……。若者言葉を使ってるけど、たぶんいい歳のおじさんだろう。目的は結婚じゃないことぐらい文江にもわかる。こんな男と会うつもりはない。たぶん相手だって文江と会えば……、そのことを想像して文江は苦笑した。

 やはりこのサイトは怪しかった。結婚情報を隠れ蓑にしたいわゆるその系統の出会い系サイト――。文江は登録したことを後悔した。文江はメールを読みもせず削除した。

 何日か、このサイトからひっきりなしに届くメールに悩まされた。文江は、サイトの運営会社に電話して、間違えて登録したことを告げた。先方は声の調子で文江の歳がわかったのか「あっ、いいすよ」と言ってすぐに解約に応じた。


 その日の夜、新着のメールリストに、このサイトからのものもあった。たぶん手続き上、解約が間に合わなかったものだ。いつものメールだと思って削除しようとしたのだが、メールの文章の言い回しが気になった。ていねいでどことなくおちついた印象を受ける。今までの血まなこになって女を求めるような文面と比べると、月とすっぽんだった。

(この人も間違えて登録したんじゃないかしら。本当に結婚を望んでる人なんじゃないかしら……)

 文江は、どうせ解約したんだから、という気持ちも手伝って、直接この人に返信してみることにした。変な人だったらすぐにやめれば、いいのだから。


 何回かメールのやりとりがあった。メール文の丁寧な言葉遣いの中に、誠実な人柄が感じられる。「おつきあい」という単語が何度か出てきた。結婚を前提とした、という意図が込められているように見えた。相手は写真を送ってきた。抱かれたい男性ランキングの上位に食い込んだ俳優にどことなく似ている。文江も写真を送り返した。三十代後半に撮った最高傑作の写真を。

 どうしよう、会ってみようか――。文江は悩んだ末、ついにその男性と会うことにしたのだった。


 駅の南口、噴水の前で、文江は目印の緑のハンドバッグを持って相手を待っていた。横ではパンツ一枚になった二歳ぐらいの男の子がパチャパチャと水遊びしている。近畿地方は今日にも梅雨明けかと言われる日、強い日差しが頭から照りつけていた。文江は肌という肌に日焼け止めクリームを塗り、幅の広い帽子をかぶって、UVカットのサングラスをかけた格好をしていた。

 待ち合わせ時間までまだ一時間もある。こんなに早く相手が来るとは思えないが、文江は通り過ぎる人波の中に俳優似の中年男性を探した。相手は週刊誌を手にしているはずだ。三十分前、二十分前、十分前……。相手はあらわれない。時間になった。十分過ぎた、二十分、三十分……、待ち続けたが、結局、相手は来なかった――。

 思い起こせば、待ち合わせ時間の二十分ほど前、改札口あたりから噴水の方を見ていた男がいたように思う。文江は、頭髪の薄いその男が、持っていた週刊誌をカバンに入れて改札を抜けていくのを、何とはなしに記憶していた。


 文江は、地元の結婚相談所に出向いた。「結実するまでお見合い料無料」とはいうものの、そう何度も相談できるものではない。アドバイザーは、商売上笑顔で応対するが、常連の文江の相談に対しては、手短に済ませようとする態度が見える。

「やはり、四十代で初婚の方をお望みですか――」

 一度はほとんどの条件を「問わない」に緩めたのだが、どの結婚相談所からも、どの結婚情報サイトからも、まともな男を紹介されたことがない。ならばと文江は、もう一度「四十代初婚」に条件を絞って探して欲しい、と望んだのだ。

「はい……、できれば」

 男性アドバイザーはファイルを繰りながら文江に言った。

「ほとんどの方は、四十五歳以下のお相手を求めておられるんですよね……」

 アドバイザーの左薬指に指輪が見える。確かこの前は、はめていなかったはず。

「ええと、この方……、相手の方のご年齢は問わないと――」

 アドバイザーはファイルからフォルダを抜いて文江に示した。そこには顔と全身の写真とともに男性自筆のプロフィールが書かれていた。


   氏名   太井 浩一

   生年月日 一九六五年八月三〇日(四七歳)

   学歴   大阪付立××工業高校キカイ科率

   趣味   DVDカンショウ、テレビゲーム


 お世辞にもハンサムとは言えない男。酒樽のような体型で、はち切れそうな赤い上着と裾の短いズボンをはいている。字もへたくそで誤字もある。漢字もろくに書けない男――、なんでこんな男と……と文江は思った。

「一応、この方にも麦山様のプロフィールをお見せしてはいかがでしょうか。もちろん、その後に、お断りしていただいても結構ですので」

 アドバイザーの強い勧めで、一応、先方にも示してみることにした。なんでもいいからまとめたい、というアドバイザーの思惑が見えた。

 数日後、アドバイザーから連絡があった。

「先方の意向をうかがったんですが、やはり麦山様のご年齢がネックになりまして……。今回はご縁がなかったということで……」

「はあ、わたしもまあ、気が進みませんでしたので……」

「実は、本日ご登録いただいたお客様なんですが、麦山様にピッタリの方がいらっしゃるんです。四十代初婚という条件の方ではないんですが、一度プロフィールをご覧になってみてはいかがでしょうか」

 アドバイザーはいつものように「ご覧になってから断っていただいて結構ですので」とつけ加えた。文江は「ではまあ、一応……」と返事した。

 文江が結婚相談所を訪れて、受付カウンターまで行ったとき、奥の方で男が怒鳴っている声が聞こえてきた。

「いくらなんでも、あんなばあさん紹介するって、どういうこっちゃ。わし、なめとんか。こんなとこやめたるわ。入会金も会費も返せ」

 数人の男性社員が盛んに頭を下げて男をなだめている。わめき散らしているぶくぶくの男……、横顔しか見えないが文江には覚えがあった。前回、アドバイザーが文江に紹介した男だった。


 田森豊は、プロフィールどおりの男だった。

「ともかく、一度お会いになってみればいかがでしょうか。会ってみれば印象がまったく違う方というのもいらっしゃいますので……」

 文江は、アドバイザーの勧めに従って田森との見合いに応じたのだ。

 ホテルの一角で向かいに座る赤茶けた丸顔の男、六十二歳の田森豊は、三年前妻に先立たれ、今は娘夫婦と大衆飲食店を営んでいるという。

「その耳飾り、なかなかしゃれてますなあ。なんや若々しいて、麦山さんによう合うてますわ」

 会話の糸口をつかもうと田森は盛んにしゃべる。女性の外見など久しくほめたことなどないのだろう。ほめ方がさまになっていない上、ほめる場所もわかっていない。文江は素っ気なく答えた。

「そうですか。どこにでも売ってるものですのよ」

 田森の隣に娘が座っている。三十代半ばに見えるその娘が文江に質問した。

「今まで独身通してきはったんは、何か理由があってのことですか」

 田森は「これ、失礼なこと聞くもんとちゃう」と娘をたしなめたあと、文江に笑顔を作って「すみませんねえ」と言った。

「いえ、なんとなくこの歳になってしまった、というだけでして……」

 アドバイザーが「麦山様は、ニッポン紡績にお勤めなんですが、お仕事に専念されたあまりに、婚期を逃されたということです」とフォローした。

 文江は娘の方を向いて言った。

「わたし、なにがなんでも結婚したい、ってことでもないんですよ」

「あら、そうなんですか。せやったら、なんで父と会おうと思いはったんですか」

 売り言葉に買い言葉、娘はとげのある言葉で返した。田森は盛んに、やめなさいというように娘の前で手を振った。アドバイザーは、苦々しい顔をしている。

 見合いはなんとか終わった。後日、双方がアドバイザーに気持ちを返事することになった。


 文江はマンションの玄関ホールでエレベータを待っている。二、三か月前までは、運動のためにも三階の自分の部屋まで階段を使うようにしていたが、ここのところエレベータを使うことが多い。長く歩くと右膝に痛みが走るためだ。横の階段を小学生ぐらいの女の子がダダッと駆け下りてきて、文江の目の前を端って横切っていった。文江はうらやましそうな表情で女の子の後ろ姿を追った。エレベータが到着した。文江は右膝をかばいながらエレベータに乗り込んだ。


 文江はマンションの扉を開けて真っ暗な部屋の中に入った。だれもいない部屋、この歳になって、無性に寂しさを感じるようになってきた。馬場洋子が「犬でも飼ったら」と勧めてくれたことを思い出す。

「かわいいわよ。ペットは文句言わないし、真っ黒な目で見つめられると、なんか癒やされるって感じ……」

 馬場の言うこともわからないではないが、文江はその気にならない。ますます家に閉じこもったままになりそうな気がするからだ。

 パソコンを立ち上げてメールをチェックする。すてきな人からのメールなんてあるわけがない。惰性の毎日――。


 今日もリジュブネイト・ラボラトリーからメールが届いていた。

[出会い系サイトに登録してしまったり、結婚相談所での意に沿わないお見合いをしたり……。お年ゆえにご希望の結婚が叶わないことにいらだちを感じませんか]

 この会社、文江のことを監視してるのだろうか。いつも文江の心を言い当てるようなメールを送ってくる。

[ベイザー脂肪吸引、サーマクール、ハイアコープ……。世間にはあまたの若返り手術がありますが、当社の施術はそのどれでもありません。麦山様がいつかお見えになることをお待ちしています]

 施術? 美容整形の会社なんだろうか……。文江は、この会社のメールは残したままにしておくことが習慣になっていた。


 何日か経った。文江は悩んでいた。

 田森との見合いの返事をしなければならない。まじめそうな人だった。しかし――、六十二歳で再婚、孫も三人いるという――。「耳飾り」と、古めかしい単語を使う田森――。おそらくピアスとイヤリングの区別もついていないだろう。

 文江が求めていた人ではない。五十八の文江――、ぜいたく言える立場ではないが……。やっぱり、やっぱり――、断ろう……。

 文江がそう決心して受話器を取ろうとした、ちょうどそのときに、電話が鳴った。アドバイザーからの電話だった。

「先日は会われた田森様からお返事がありましたので、お伝えさせていただこうと思いまして……」

 アドバイザーは言いにくそうな口調で続けた。

「田森様のおっしゃるにはですね――。自分には過分な方でした――と。ご本人は麦山様のこと、すばらしい方だとおっしゃっておられるんです。ですが……、ちょうどあのとき同席しておられた娘さんがですね、強く反対なさったようなんですね。ええ、ええ。ご縁がなかったということで……。本当に申し訳ありません。わたくしの方からお勧めしたお話でしたのに……」

 アドバイザーは、「きっと、またすばらしいご縁があると思いますので」と言って電話を切った。

 もともと断ろうと思っていた話――。ただ、こっちから断るのと先方から断られるのでは大きな違いがある。文江は、もう少し前に連絡しておけばよかった、と後悔するのだった。

(それにしても悔しい――。あんな男にもふられたなんて……。北里くん、どうしたらいい?)

 文江は、「係長、こんな結婚しないでくださいよ。ぼくがいるじゃないっすか」という声が聞こえたような気がした。


 今日もメールを開く。リジュブネイト・ラボラトリーからのメールがまたあった。

[結婚相談所からのお話は結実しましたか。自分に妥協する前に、まず若返ってみませんか。わが社の若返り技術を体感してみませんか]

 この会社からメールが届くようになって、三か月。婚活で玉砕を続けている文江は、意味深なメールを送り続けてくるこの会社に、ついに出向いてみることにしたのだった。


(つづく)



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