第91話 閑話 数字遊び
完結後の閑話です。本編の時間軸の中の、もう一つの視点。
かつて「数字遊びする場所じゃねえ」とレインを切り捨てた、戦士バルド。
声の大きかった男が、静かになるまでの一話です。
訓練場の土の匂いは、昔と変わらない。
変わったのは、その上で動く連携の方だった。
バルドは、前線を外された身で、その隅に立っていた。
剣を振るうでもなく、ただ見ている。かつて自分が一番嫌っていた立ち方で。
「……容赦ないな」
誰に言うでもなく、口の中で呟いた。
昔、あの男がそうしていたように。
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若手の前衛が、号令より半拍早く飛び出す。
悪くない判断だ。敵は崩れ、戦闘は勝利で終わる。
だが、勝ったあとの隊列が、わずかに伸びていた。
補給の荷が、想定より早く尽きている。撤退路の左が、一人分だけ手薄になっている。
致命的ではない。
それが、かえって目についた。
「気のせいだ」
以前の自分なら、そう言って肩をすくめただろう。
“悪くない”で十分だと。
今は、言えなかった。
“悪くない”が“最適ではない”という意味だと、もう知ってしまったからだ。
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その夜。
作戦室の片づけを言いつけられて、バルドは古い棚を漁っていた。
補助枠に落ちた部隊に、整理する人手は余っている。
束ねられた書類の底から、一枚、見覚えのある筆跡が出てきた。
補給表。
行軍予定。
魔力消費の推定値。
あの男が、訓練場の隅でいつも書き込んでいた、あれだ。
「……数字遊び、か」
かつて自分が吐き捨てた言葉が、口をついて出た。
戦場は、数字遊びをする場所じゃねえ、と。
その紙を、初めて、最後まで読んだ。
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読めなかったわけではない。
読もうとしなかっただけだ。
補給表の右端に、見慣れない列があった。
“今日”の消費ではない。
三日後、五日後――まだ起きていない戦闘の、消費予測。
数字は、戦いの終わった後を見ていなかった。
戦いの、始まる前を見ていた。
バルドが剣を担いで「楽勝だ」と言っていたとき。
あの男は、誰がどの順番で消耗し、どこで撤退すべきかを、もう書き終えていた。
声を、一度も張り上げずに。
「……これを」
指が、わずかに震えた。
「これを、遊びだと言ったのか。俺は」
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「バルドさん」
戸口に、エレナが立っていた。
回復役の彼女は、昔、言いたいことがあるときほど黙っていた。
今は、黙らなかった。
「その人は」
彼女は、紙の筆跡を見て言った。
「私たちが死なない順番を、先に決めていた人です」
「……順番」
「ええ。誰を、いつ下げるか。どこで退くか。
私が回復を間に合わせられたのは、間に合う配置に、最初から組まれていたからです」
バルドは、何も言えなかった。
「私、知っていました」
エレナの声が、少し掠れる。
「知っていて、目を伏せました。あの会議の日も」
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あの日、引き止める者はいなかった。
バルドは、その「いなかった者」の、一番声の大きい一人だった。
戦えない、と切り捨てた。
数字遊びだ、と鼻で笑った。
切った判断は、当時の基準では正しかったらしい。
国家監査官とやらが、そう結論づけたと聞いた。
だが――正しかったのは、判断ではなく、基準だけだった。
そしてその基準は、とっくに有効期限が切れていた。
残ったのは、噛み合わない隊列と、誰にも再現できない一枚の紙だ。
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バルドは、紙を畳んだ。
破り捨てることも、机に戻すこともしなかった。
謝りに行こうか、と一瞬思って、すぐにやめた。
あの男は、もう辺境にいる。
評価される場所を、自分で選び直した。
今さら声の大きい男が頭を下げに行ったところで、戻りはしない。
謝罪は、届くのかもしれない。
だが、届いたところで、何かが元に戻るわけではなかった。
それくらいのことは、さすがに分かる歳だ。
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翌朝。
訓練場で、若手がまた半拍早く飛び出した。
「待て」
バルドは、初めて、止める側に回った。
「補給が、完全じゃない。左が手薄だ。――退き方を、先に決めておけ」
若手が、怪訝な顔で振り返る。
「バルドさん、らしくないっすね」
「ああ」
バルドは、剣を担がなかった。
代わりに、畳んだ紙を、胸の内側に押し込んだ。
「らしくないのが、正解だったらしい」
声は、もう、大きくなかった。
本編をお読みくださった皆さま、最後までありがとうございました。
切った側にも、顔と名前があります。
その一人が、自分の切ったものの正体に、遅れて気づく――
そんな“もう一つのざまぁ”を、本編の余白に置いてみました。
閑話をいくつか書き足していく予定です。次は別の視点から。
引き続き、戦えない参謀の世界を見守っていただけると嬉しいです。




