料理への冒涜
宴会中にいつの間にか寝てしまったが、魔物に襲われることなく朝を迎えられた。それはきっとロードウルフのおかげだ。
眩しい朝日と共に、僕とサラサは街に向かった。なんとか近くの街についたのは昼ごろで、ひとまず目についた酒場に転がり込んだ。街の入り口にある店は良い時間なのに誰もいない。
席につくと、サラサは不安そうな顔を浮かべて言った。
「ところでシロさん。ここでとても残念なお知らせがあるのですが」
「な、なんでしょう」
「実は私、ほとんどお金持ってません。つまり、早くお金を稼がないと、また野宿になります」
それは現実的かつゆゆしき問題だ。
サラサは貴族とはいえ、家出のように出てきたわけだから懐事情も芳しくないのだろう。
「そうだ!」
僕は餞別を貰ったことを思い出した。小袋をサラサに差し出す。
「これでなんとかならないかな? 一緒に脱出したときにタルーノから貰ったやつ」
「え! そんな、悪いですよ。それはシロさんのお金じゃないですか」
「でもその口ぶりだと、サラサは僕の宿のことも考えてくれたんでしょ? どうせこの世界のことはわからないし、僕がお金を持ってても無駄だ。どうか有意義に使う方法を考えて欲しい」
「で、でも……」
「頼むよ。これは僕の希望だから」
僕が頭を下げると、サラサは遠慮がちに小袋を受け取った。
「いずれ絶対にお返しします」
そんなことを言うサラサ。二人のために使おうと言うのだからそんな必要はないのにな、と思うのだけど。
彼女は小袋から中身をテーブルに出した。
サラサは息を飲んだ。
「シロさん」
「何かな」
「一緒に仕事を探しましょうね」
少なかったようだ。
気を取り直したようにサラサは両拳をぎゅっと握ると、自分を励ますように言った。
「私たちは冒険者ですから、ギルドに向かいましょう。そこでできそうな依頼を探して、達成できればその日のうちにお金が貰えますよ」
「すごいな。本当にゲームの世界みたい」
「げえむの……世界?」
「ああごめん、なんでもないよ」
「——とにかく、たくさん依頼をこなせば私たちの名前が世に轟きます! そうしたらきっと、私の両親も、兄も……褒めてくれると、思うので」
サラサの表情は少し影を帯びた。
タルーノの言葉を信じるとすれば、彼女はガブリエラ家の出来損ないで不要な存在だ。だからこそタルーノに命を狙われた。
本当だとも信じ難いが、サラサ自身が有名な冒険者になれば家名を汚すことはない。難しい依頼をこなし、サラサの名声をあげることこそがきっと彼女に必要なのだろう。
「そうだね。頑張ってサラサの名をこの世界に轟かせよう!」
「はい!」
「盛り上がってるとこ悪りーが、ほらよ」
スキンヘッドで筋骨隆々の店員が、テーブルにきゅうりの漬物のようなものを出してきた。
お通しだろうか。これは料金が必要なものか、この世界の文化がわからない。
「これは……なに?」
「きゅうりのピクルスだろどう見ても」
そういうことを聞きたかったわけではないが。
しかしきゅうりのピクルス……か。そもそも言葉も通じるなぁと思ったけれど、野菜や料理の名前も元の世界と同じなのだろうか。
「そんで、注文は?」
店主がさらに促すと、サラサは「す、すみません、ミルクを。あ、この子にも」とアミノにも気を使ってくれた。
「シロさんは、お酒は飲まれますか?」
「ああ、じゃあせっかくだし。なるべく安いやつ」
その注文で出てきたのは黄金色のアルコール。発泡しており泡があるので、ビールのようなものだろう。
僕とサラサはジョッキをぶつけ合う。乾杯のような文化もあるみたいだ。
一口含むと、これはどうもだいぶアルコールは薄そうだが、人間社会に帰ってきた気がして力が抜けた。
ピクルスも気になる。フォークで突き刺し、口に運んでみる。
「お、うまい」
野菜の酢漬けで、ようするにピクルスだ。
酢がキツめで、他の味の印象はないがシャキシャキとした食感はアルコールのアテには良い。
「おう、わかるじゃねーか。他にもなんか食うか?」
「そうだな。じゃあ……何か肉類のおすすめをもらえる?」
「任せな!」
なぜかノリノリの男が厨房に戻っていくかたわら、サラサもピクルスを口に運んだ。
つんとした刺激が強いためか、彼女の表情は微かに歪む。
「口に合わない?」
「い、いえ、おいしいんですけど、ちょっと味が濃い目かもしれないです」
刺激が強めで大人の味だ。
「まぁ、酢の物は好き嫌いがあるよな」
僕は召喚したアジノ乇卜をピクルスに振りかける。
「食べてみて」
細かい白い粒の振りかかったピクルスをやや怪訝そうに眺めていたサラサは、思い切った様子ではむっとそれにかぶりついた。
咀嚼咀嚼。ごっくん。
「え、味の角が取れました。すごい美味しいんですけど」
「やはり!」
おそらくこのピクルスは酢で漬けただけのシンプルなものだ。だからこそ舌はその味のみを強く感じとり、刺すような酸味となってしまう。
しかし、そこに旨味が加われば酸味は覆い隠される。脳において酸味と旨味は別系統のためだ。二つの刺激を曖昧に感じる脳は、酸っぱいばかりの酢の物をまろやかで味わい深い漬物へと変えた。
「これなら、いくらでも食べられちゃいます! 私、酢漬けってあまり得意じゃなかったんですけど、やっぱりシロさんはすごいなぁ」
笑顔で酢の物を頬張るサラサ。
本当に料理の作り甲斐のある相手だ。まぁ、アジノ乇卜を振りかけただけなのだけど。
と、僕が温かな気持ちでサラサを眺めているときだった。
「おい、いま、何した?」
さきほど厨房に向かったはずの店主がそこに立っていた。
恐ろしい視線で睨みつける先にいるのは僕だ。
それで僕は、とんでもないことをしでかしたのだと気がついた。
ここは、飲食店だ。
そしていま、丹精込めて作った料理に僕は手を加えた。
もはや、冒涜である。
マイ七味唐辛子をこだわりのラーメンに振りかけるようなもの。
江戸前寿司をマヨネーズにつけて「こってりして美味しいですね」とのたまうようなものだ。
もしここが日本の飲食店であれば、それくらいは気がついたはずだった。
しかし僕は異世界転生と寝不足でハイになっていたのかもしれない。
まさかそんな礼儀知らずなことをしてしまうだなんて。
「……い、いえ、すみません。出された料理を台無しにするようなことを——」
店主は僕がアジノ乇卜を振りかけた酢の物を摘み上げる。
そのまま鬼のような形相で僕を睨め付けた。
「ほほ、本当に悪気はなく——」
「何言ってんだテメェ」
そして、店主は酢の物を自身の口の中に放り込んだ。
シャキリと咀嚼音を鳴らしたかと思うと今度は固まってしまい、今度は飴玉のように酢の物を舐め始めた。その間、店主の表情は一切動くことはなかった。
が、次の瞬間店主の目がカッと見開いた。
「おいテメェ」
「——は、はい!」
「おまえ俺のピクルスに、何をした」
「いえ本当に申し訳ございません。決して、こちらのピクルスを否定するようなつもりはなく——」
「そうじゃねぇよ! 何したんだよ!」
「……へ?」
「何を振りかけたらこの味になるんだよ!」
彼の表情には懇願のような悲哀があった。
勘違いをしていたようだ。
彼は単純に、アジノ乇卜が気になっただけらしい。




