希望と幻想のダンジョン
手のひらから溢れた砂がなんなのかわからずじまいだったが、僕は少女に連れられて馬車に乗った。
そのときに振り返った邸宅はまるでお城のようだった。もしかすると少女はお姫様なのかもしれない。
「あたしはテレコ・ピンクブラッド・エクシミリティ」
窓の外を眺めながら自己紹介する少女は本当に美しかった。
日差しを受けて輝く彼女は抜けるような白い肌と腰にまで届くような薄桃色の髪が特徴的だ。白っぽいローブには細かな刺繍が施されておりとても高価に違いなかった。肩に乗っている謎のカタツムリ——名前はメビルリムザというらしい——さえも彼女の魅力を際立たせた。
「エクシミリティさん?」
「テレコで良いよ。あんたは?」
「僕は山奥城男。ええと、シロオでいいですよ」
「ふーん、シロ、ね」
シロオなのだけれど、まぁいいか。
進む山道には尻尾の三本生えた猿だとか、頭が二つあるスズメだとか、日本では見たことのない動物が生息していた。いわゆる魔物というやつだろう。そんな光景の中では呼び名なんて些細なことだ。
「ところでシロ。少しこの世界の話をするね。いまこのコンバレトは、百年に一度の魔王期が近づきつつある」
「魔王期?」
「そう。この世界には魔王が周期的に現れる。世界に魔力が溢れて魔物が活気づき、人々の生活が脅かされることがその兆候となる。そして世界に魔力が溢れ切ったときに魔王が暗黒領へ降り立ち、さらなる力を集め続ける。野放しにすれば人類は滅ぼされ、世界は魔族のものになる」
テレコの瞳に力がこもる。
「その魔王を倒せるものが、勇者よ」
「……勇者」
「勇者はなるものであり、同時に選ばれるものでもある。その対象は有力貴族のこともあれば、王国最強の騎士のときも、はたまた辺境の農民が見出されたこともある。しかし、一番多い例は召喚戦士なの」
召喚戦士。
それは間違いなく自分を指す言葉だろう。
「召喚戦士は、その名の通り召喚師が異世界から呼び出した戦士よ。様々な異世界からこの世界に呼び出されてね、その過程でスキルと呼ばれる異能を会得するの。スキルの多くはこの世界の上級魔導士でも解読不能で、召喚戦士固有の能力。その能力は魔族からしても脅威よ」
「僕の……この白い砂が……魔族に対する脅威に……」
「なるといいね」
「どうだかぬ」
馬車は揺られ、僕たちは山奥の洞窟の入り口へと到着した。
「魔物はどこにでもいるけど、ダンジョン内は特に多いわ。ダンジョン内はより純粋な魔力が滞留してるから、それを吸って魔物は強力になるの。それに、魔力は様々なきっかけでアイテム化することがある。つまりダンジョンのより深部にはレアアイテムが見つけやすい。さぁ、シロの武器を探しに行こう」
テレコが躊躇うことなくダンジョンに踏み入るので、僕はついていくしかなかった。
ダンジョンの中は暗かったが、しかし所々に発光した石があるので何も見えないということはない。時折犬のような魔物に出くわすが、それはテレコが腰の刀で対処した。
細身の剣が犬の魔物を切り裂くと、犬の魔物は光の粒となって消えた。
「テレコは……ひょっとしてすごい剣士なの?」
「まさか。剣術は嗜み程度。本職は召喚師よ」
簡単に言うが、テレコの剣技は流麗だ。剣先の線が滑らかで、動きにどこもぎこちなさがない。
それに見惚れていたら、僕の腕に強烈な痛みが走った。
「——痛ッ」
腕に犬の魔物が噛みつき、目を赤く光らせて僕を睨んでいる。牙は腕に食い込み続け、骨は割れそうなほどきしむ。
「た、助け——」
僕はテレコの方を見た。
しかし、テレコは僕をぼうっと見ていた。
——え?
なぜ?
そしてついにばきりと折れたときにやっと気づいたとでも言うように、彼女は犬の魔物を切り裂いた。
「ちょ、ちょっと! 早く助けてくれないと」
肘から先が真っ赤に染まり、あらぬ方向を向いている。
「ああ、うん。そうね」
しかし大怪我と呼べる僕の腕は、彼女が手をかざして発光すると次の瞬間には痛みが引いていた。
「……すごい。回復魔法も使えるのか」
「嗜み程度は」
真っ赤に染まった僕の腕はしかし、振ってみるとまったく問題ないことがわかる。
「テレコは……何をさせても凄いんだな」
「否定はしないわ。あたしもあんたと同様に勇者候補だから。それで勇者になるために魔王討伐のパーティメンバーを探してるってわけ。期待してるよ、シロ」
期待している、と言われても。
ダンジョンを進めば進むほど、僕は不安に駆られた。
なにせテレコはあまりにも凄すぎた。
迫りくる魔物たちを剣技で払いのけ、遠隔魔法でダメージを与え、防ぎきれない攻撃も瞬時の回復で事なきを得る。僕の目から見れば、テレコが勇者だと言われても違和感はまったくない。
一方で、自分はダメだ。
剣も使えないどころか格闘の心得もなく、使えるスキルといえば指先から白い砂を出すことだけ。これでいったいどう魔物と戦えばいいのか。
「あんたはぜんぜん動けないみたいだけど、前の世界ではなにやってたの?」
なんなら日頃の不摂生が祟り、ただテレコについていくだけで息が上がる始末。だからそんなふうに言われるのも当然だ。
「毎日料理を作ってたんだ」
「料理人?」
「そんなとこ。そうだ! こんどテレコにもなにかご馳走させてよ。好きな食べ物とか、ある?」
テレコは視線を宙に泳がせる。
「お肉。ステーキ」
なんとも端的な答えだ。
しかしテレコは、続く言葉をつまらなそうに言った。
「でも、硬くて疲れちゃうから少ししか食べられないんだけどね」
赤身の肉を豪快に食べるステーキが頭に浮かぶ。
この世界の肉は和牛のような柔らかいものではないのかもしれない。
もし僕がステーキを振る舞うとすれば、どんなものが良いだろう。飾り切りを細かく入れれば、テレコがたくさん食べられるステーキを作れるだろうか。
最深部に向かう途中、僕はなんとも呑気に彼女の先頭に見惚れながらそんなことを考えていた。
そして。
「見つけた」
やや開けた場所の真ん中には宝箱が置かれていた。
テレコがそれをあっさりと開くと、その中の何かを僕に放り投げた。慌ててそれを受け取った。
「けっこう良いダガーじゃん。当面の武器にしなよ」
両刃の短剣だ。
その柄を硬く握り、僕はまっすぐテレコを見つめた。
「あのさ……テレコ。思い知ったよ、自分の弱さを。ここに辿り着くまでさ、僕はテレコに守られているだけだった。でも、ダンジョンから出たらたくさんトレーニングを積んで、テレコに負けないような戦士に絶対になってみせる」
僕は弱い。
魔物の群れに放り込まれたら何もできやしない。
元の世界だってそう。居場所なんてどこにもなかった。
一人で誤魔化し誤魔化し食いぶちを探していただけだ。
そんな僕を、テレコは勇者候補だと言った。
魔法に僕が選ばれたのだと、彼女は僕に期待をかけてくれている。
テレコは僕に、生まれて初めてのチャンスをくれた。物語の主人公になるチャンスを。それはまだ蜃気楼のように実態のないものだ。
しかし、たとえそうであったとしても。僕が挑まない理由にはならない。
それなのに。
「——ま、無理ね」
酷薄な表情を浮かべたテレコが、乾いた声を吐き出した。
とっさに意味がわからなかった。
「無理? 無理ってどういうこと?」
「あんたが勇者になって魔王を倒すのは、どう考えても不可能でしょ」
新しい希望に満ち溢れた世界。
遠いが確かに存在する、憧れていた理想。
それを裏打ちしてくれたのが、凄絶なまでに美しい目の前の少女で。
その彼女はたったいま、僕に対してつまらなそうにため息を漏らした。
「不可能って……ちょっと待ってよ。僕は勇者候補なんじゃなかったの?」
「もちろんこの世界には無数の勇者候補がいるからね。召喚戦士は特殊なスキルもあるし過去によく勇者になったっていう実績もある。でも召喚戦士であれば誰でもいいって、そんなわけないじゃん」
希望を打ち砕く彼女の一言一言に、僕は吐き気さえ覚えた。
「あたしは戦闘能力の高いスキルを持った戦士以外は用なしなの。だって勇者パーティの足手纏いでしょ? あとね、あたしの召喚魔法には重大な制約がある。一人召喚している間は、新たな戦士を召喚できないってやつ」
テレコは指先を僕に見せた。
その指先が、光ながら徐々に透明になっていく。
「……え? テレコ?」
「もし能力があるならさ、一人でこのダンジョンから出れるでしょ? でもそんなこともできないならさ——」
待ってくれ。
僕は彼女に手を伸ばしたが、それは宙空を掻くだけだった。
彼女の肩に乗るカタツムリが笑った。
「——死んでね?」
テレコはまるで蜃気楼のように消え去った。
魔物の溢れるダンジョンの深部に、僕は一人取り残された。




