第9話 王国の崩壊と新しい時代
「革命だ! 王城が民衆に包囲されたぞ!」
情報部員が飛び込んできたのは、早朝のコーヒーを淹れている時だった。
もたらされたニュースは、予想通りであり、同時に呆気ない幕切れを告げるものだった。
王国でクーデターが発生した。
主導したのは、軍の一部と、飢えた民衆。
そして、裏で糸を引いていたのは、帝国の経済封鎖による物資不足だ。
「……終わりましたね」
私は湯気の立つカップを置き、窓の外を見た。
遠くの空は晴れ渡っている。
あちら側で起きている動乱が嘘のように、帝国の朝は静かだった。
「ああ。ジェラルド王子は拘束され、廃嫡が決まったそうだ」
ジークフリート様が、報告書を片手に淡々と言った。
逃げ帰った王子を待っていたのは、暖かな出迎えではなく、怒れる国民の石つぶてだったらしい。
彼が「ゴミ」と見下していた者たちによって、彼自身が「不用品」として処分されたのだ。
「彼、どうなるのでしょうか」
「幽閉だ。一生、塔から出ることはないだろう。……殺されなかっただけ、温情かもしれんがな」
その言葉に、胸が痛むことはなかった。
あるのは、一つの時代が終わったという静かな納得だけ。
かつて私を追放した広間での出来事が、遠い昔のことのように思えた。
◇
数日後。
帝国の会議室には、新しい王国の暫定政府代表団が訪れていた。
彼らの顔色は悪く、着ている服も質素だ。
国の再建には、金も、物資も、そして何より人材が足りていない。
「……というわけで、我が国は帝国に対し、緊急の人道支援を要請します」
代表の男が頭を下げる。
かつて私を無視していた貴族の一人だ。
今は見る影もなく憔悴し、私の方を見ようともしない。
「支援か。タダで助けてくれと言うのか?」
ジークフリート様が冷ややかに問う。
慈善事業をするつもりはない。
これは国家間の交渉だ。
「い、いえ! 鉱山採掘権の譲渡と、関税の撤廃を条件に……」
「甘いな。そんなものは既に価値がない」
陛下が一蹴すると、代表団が凍りつく。
そこで、私の出番だ。
「陛下。私から提案があります」
一歩前に出る。
代表団の視線が集まる。
「『人材育成プログラム』の輸出を提案します」
「……なんだそれは?」
「我が帝国の教育システムと、人事評価制度を王国に導入するのです。教官として帝国の文官を派遣し、復興の実務を指導します」
私は手元の資料――ハンスが徹夜で作った試算表――を配った。
「その対価として、今後十年間、王国で産出される魔石の優先購入権を帝国が保持する。これなら双方に利益がある契約になります」
ざわめきが起きる。
これは実質的な「経済的併合」だ。
王国の心臓部である人材育成とエネルギー資源を、帝国が握ることになる。
しかし、今の王国に拒否権はない。
それに、民衆にとっても、無能な貴族に支配されるより、帝国の合理的なシステムの下で働くほうが幸せなはずだ。
あの国境での兵士たちの投降が、それを証明している。
「……承知いたしました。その条件で、契約をお願いします」
代表が震える手でサインをした。
その瞬間、私の『眼』には、彼らの頭上に【所属:帝国の経済圏】というタグが追加されたのが見えた。
◇
王国の復興支援事業は、私が総指揮を執ることになった。
ただし、現地には行かない。
帝国の執務室から、通信機と書類を通じて指示を出すだけだ。
「現地へは行かないのか? 凱旋すれば英雄扱いだぞ」
ジークフリート様が、不思議そうに聞いてきたことがある。
「行きません。私の居場所はここですから」
私は即答した。
過去の栄光や、故郷への未練なんてない。
私の価値を最初に見出し、磨いてくれたのはこの国だ。
この城の、この執務室こそが、私のホームなのだ。
その判断は正しかったらしい。
大陸中から、「帝国には『神眼』を持つ稀代の女性補佐官がいる」という噂が広まった。
「聖女」ではなく「冷徹で有能な管理者」として。
その評価のほうが、今の私には心地よかった。
◇
季節が巡り、春が来た。
王国の混乱も収束し、世界は安定を取り戻しつつある。
あのスラム街で拾った少年、ルカ君の発明した魔導具が量産され、街の生活は便利になった。
ハンスが整備した物流網のおかげで、市場には他国の珍しい果物が並んでいる。
平和だ。
仕事に追われる日々は変わらないけれど、そこには確かな充実感があった。
「ふぅ……。今日の決裁はこれで終わりですね」
夕暮れの執務室。
最後の書類にサインをして、私は伸びをした。
窓の外には、オレンジ色に染まる帝都の街並みが広がっている。
あの一角に、私たちが救い、育てた人々の暮らしがある。
「お疲れ様」
ジークフリート様が、私のデスクに温かい紅茶を置いてくれた。
「ありがとうございま……きゃっ」
受け取ろうとした手が、彼の手によって捕らえられた。
そのままグイと引かれ、私は立ち上がらされる。
「へ、陛下?」
「イリス。仕事は終わりか?」
「は、はい。一応」
「ならば、これからはプライベートな時間だな」
彼の瞳が、真剣な光を帯びて私を見下ろしている。
いつもの冗談めかした雰囲気ではない。
心臓がトクンと跳ねた。
頭上の文字を見る。
【名前:ジークフリート】
【状態:極度の緊張】
【目的:一生の契約】
【準備:完了】
見てはいけないものを見てしまった気がする。
けれど、知らないふりをするには、私の心臓もうるさすぎた。
「少し、場所を変えよう。……重要な話がある」
彼は私の手を引き、エスコートの姿勢を取った。
その手は、かつて国境の森で私を馬車に乗せてくれた時と同じように、大きく、温かく、そして少しだけ震えていた。
「はい……。お供します」
私は彼の手を握り返した。
これから交わす言葉が、どんな契約書よりも重く、そして甘やかな拘束力を持つことを予感しながら。
新しい時代が始まる。
国にとっても。
そして、私たち二人にとっても。




