第8話 人材の差が国力の差
轟音ではなく、整然とした足音だけが響いていた。
国境の平原。
展開した帝国軍は、まるで精密機械のように動いていた。
「第四部隊、配置完了。補給物資、予定通り到着」
「魔法障壁班、リンク接続よし。エネルギー充填率一二〇%」
司令本部のテント内。
飛び交う報告は、戦場の怒号というより、忙しいオフィスの業務連絡に近い。
「……完璧だな」
中央の席で、ジークフリート様が戦況図を見下ろして頷いた。
「イリス。君の配置した兵站ライン、一分の隙もない」
「ありがとうございます。ですが、これは私一人の力ではありません」
私は手元の通信機――魔力で声を届ける魔導具――を撫でた。
これは、あの路地裏で保護した天才少年、ルカ君が開発した試作品だ。
彼の発明のおかげで、広大な戦場でもリアルタイムの連携が可能になった。
それに、物資が滞りなく届くのは、財務部に配属されたハンスの手腕だ。
彼が王国の横領ルートを解析し、逆にこちらの調達ルートを最適化してくれたおかげで、兵士たちは温かい食事をとれている。
「敵軍、動きました! 中央突破を図るようです!」
監視役の兵士が声を上げた。
スクリーン代わりの水晶板に、王国軍の動きが映し出される。
「……愚かだな」
ジークフリート様が冷ややかに呟いた。
王国軍の陣形は、素人目にも無茶苦茶だった。
防御力の低い火魔法使いを最前列に並べ、盾を持った重装歩兵をその後ろに置いている。
「魔法こそ最強」というジェラルド王子の妄信が、そのまま配置に表れていた。
私は『神眼』を発動し、遠く離れた敵の本陣を視た。
【名前:ジェラルド・ヴァン・アルカディア】
【状態:錯乱/現実逃避】
【指揮能力:崩壊(G-)】
【部下の信頼度:ゼロ】
「陛下。敵の魔法部隊は、魔力切れを起こしかけています。連日の行軍で休息をとらせていないようです」
「ならば、こちらは『魔力吸収盾』を持つ部隊を前に出せ。一発撃たせて防げば、あとはただの案山子だ」
陛下の指示が、通信機を通じて即座に現場へ伝わる。
◇
戦いは、一方的だった。
いや、これを戦闘と呼んでいいのか迷うレベルだ。
王国軍が放った火球は、帝国軍の展開した障壁に吸い込まれるように消滅した。
反撃を恐れて立ちすくむ王国兵たち。
しかし、帝国軍は剣を抜きもしない。
代わりに放たれたのは、「匂い」だった。
風魔法部隊が、後方から漂ってくる匂いを、王国軍に向けて送り込んだのだ。
それは、炊き出しのシチューと、焼きたてのパンの香り。
「……え?」
「なんだ、このいい匂いは……」
王国兵たちの動きが止まる。
彼らの装備はボロボロで、頬はこけていた。
満足な補給を受けていないのは明らかだ。
そこへ、拡声魔導具を使った陛下の声が轟いた。
『王国の兵士たちよ。聞け』
威厳ある声が、平原を圧する。
『我が軍は、無益な殺生を好まない。お前たちの主は、お前たちに十分な食事と休息を与えたか? その命に見合う対価を支払っているか?』
王国兵たちが顔を見合わせる。
彼らの頭上に浮かぶ【忠誠心】のパラメーターが、急速に低下していくのが見えた。
代わりに上昇しているのは【空腹】と【不満】だ。
『帝国は、働く者には正当な対価を払う。投降する者には、今すぐ温かい食事と、安全な寝床を保証しよう。これは慈悲ではない。雇用契約の提示だ』
その瞬間だった。
ガチャン。
一人の兵士が、武器を捨てた。
それを合図に、ガチャン、ガチャンと、武器を捨てる音が連鎖していく。
「飯だ……! 飯をくれぇ!」
「もう嫌だ! 給料も出ないのに死にたくない!」
雪崩のような集団投降。
戦意喪失による自壊だ。
血を一滴も流すことなく、勝負は決した。
「……さて。大将はどうする?」
ジークフリート様が、水晶板の隅に映る情けない姿を指差した。
ジェラルド王子だ。
彼は総崩れになった自軍を見て、真っ先に馬を返し、逃げ出そうとしていた。
「おい! 僕を守れ! 盾になれ!」
叫びながら味方の兵士を鞭打つ姿は、あまりにも醜い。
誰も彼に従う者はいなかった。
むしろ、部下たちが冷ややかな目で彼を見送っている。
「放置で良いでしょう」
私は静かに言った。
「彼は自分の国へ逃げ帰るしかありません。ですが、兵に見捨てられ、負けて帰った王子を待っているのは……」
「針の筵、か」
「はい。彼自身の無能さが招いた結果です。私たちが手を下すまでもありません」
かつて私を追放した男。
今、彼は誰からも必要とされない「裸の王様」となって、荒野を逃げ惑っている。
胸にあった古い傷が、完全に癒えていくのを感じた。
「終わったな」
ジークフリート様が立ち上がり、私の腰を引き寄せた。
司令部の兵士たちが、私たちを見ないふりをして忙しそうに作業に戻る。
(彼らの適性には【空気を読む(A)】が追加されていた)
「見事な采配だった、イリス。君がいなければ、こうも鮮やかには勝てなかった」
「いいえ。陛下が彼らに『選択肢』を与えたからです。死ぬか、食べるかという」
「ふん。人材獲得競争に勝っただけだ」
彼は悪戯っぽく笑い、私の額にコツンと自分の額を合わせた。
「これで邪魔者はいなくなった。……帰ったら、祝いが必要だな」
「祝い、ですか?」
「ああ。二人きりでな。……覚悟しておけ」
耳元で囁かれた甘い低音に、戦場の緊張とは別の意味で心臓が跳ねる。
頭上の文字が【溺愛:制御不能】になりかけているのを見て見ぬふりをして、私は彼の胸に身を委ねた。
完全勝利。
それは、武力ではなく、人と人との繋がりの勝利だった。
帝国の旗が、風にはためいている。
新しい時代の到来を告げるように。




