第4話 スパイの転職活動
「陛下、侵入者を捕らえました」
報告が入ったのは、私が執務室でルカ君の研究予算申請書(皇帝決裁済み)を整理している時だった。
ジークフリート陛下は眉一つ動かさず、ペンを走らせている。
「どこの手の者だ?」
「王国です。書庫に潜入しようとしたところを拘束しました」
「……王国の鼠か。処刑でいいだろう」
冷徹な声。
陛下の適性【冷徹な断罪(S)】が発動しかけている。
私は慌てて立ち上がった。
「待ってください、陛下! 一度、私に会わせてください」
「イリス? だが、危険だぞ」
「王国の人間なら、顔見知りかもしれません。それに、私の『眼』なら嘘も見抜けます」
陛下は少し考え込み、不承不承といった様子で頷いた。
「わかった。ただし、俺も同行する。お前の安全が最優先だ」
◇
地下牢は、石造りの冷たい空気に満ちていた。
鉄格子の向こうに、一人の男が座り込んでいる。
やつれた顔。ボロボロの衣服。
けれど、その姿に見覚えがあった。
「……ハンス?」
私が名を呼ぶと、男が弾かれたように顔を上げた。
「イリス……様? 本当に、イリス様なのですか!?」
ハンス・ミラー。
かつて王国の財務省で働いていた文官だ。
地味だが計算が早く、真面目な青年だったはず。
私はすぐに『神眼』を発動した。
【名前:ハンス・ミラー】
【適性:財務管理(A)/統計分析(A)】
【現在の目的:亡命(切実)】
【精神状態:王国への絶望/空腹】
「スパイ……ではないようですね」
私が呟くと、ハンスは鉄格子に縋り付いた。
「違います! 私は機密を盗みに来たのではありません。帝国の採用試験を受けに来たのです!」
「採用試験……?」
「はい。王国はもう終わりです」
ハンスは涙ながらに語り始めた。
イリス様が追放されてから、王城は機能不全に陥ったこと。
ジェラルド王子が「気合でなんとかしろ」と精神論を振りかざし、現場が崩壊していること。
給与の未払いが続き、まともな食事すらとれていないこと。
「書庫に忍び込んだのは、帝国の採用規定や応募方法を調べるためで……。不法侵入は謝罪します。でも、もう王国には戻りたくないんです!」
悲痛な叫びだった。
彼の適性を見れば、財務省の中核を担える人材だ。
そんな彼をここまで追い詰めるとは。
私は陛下を振り返った。
「陛下。彼を雇用したいのですが」
「……本気か? 不法侵入者だぞ」
「有能な財務官です。現在の帝国財務部は人手不足。彼なら即戦力になります」
私はハンスの頭上に浮かぶ【適性:財務管理(A)】を指差した(陛下には見えていないけれど)。
「それに、彼の知識は貴重な『情報資産』です。王国の現在の経済状況、資金の流れ、破綻の兆候……全て頭に入っています」
それは、スパイを拷問するよりも遥かに効率的に、敵国の情報を得られるということだ。
陛下が口元に手を当て、ハンスを値踏みする。
「……なるほど。情報を吐かせた上で、労働力として搾り取るわけか。悪くない」
言い方は悪いが、合理的だ。
陛下はハンスを見下ろし、告げた。
「ハンスと言ったな。不法侵入の罪は、情報提供と労役で相殺する。我が国のために働く気はあるか?」
「あります! 骨が折れるまで働きます!」
「骨が折れては困る。ポーション代がかさむからな。……採用だ」
鉄格子が開けられた。
ハンスはその場で平伏し、号泣した。
◇
その後の手続きは迅速だった。
ハンスは「特別採用枠」として財務部に配属された。
給与は帝国の規定通り支給されるが、最初の半年は監視付きの試用期間だ。
彼が提供した情報は、衝撃的だった。
「王国の国庫は、あと半年持ちません」
会議室でハンスが提出したレポートを見て、ベルンハルト宰相が青ざめた。
「ジェラルド王子が、見栄のために無意味な公共事業を乱発しています。一方で、税収は激減。優秀な商会が次々と撤退しているからです」
「予想以上だな」
ジークフリート陛下が、冷たい笑みを浮かべる。
「自滅か。手出しするまでもない」
「はい。ですが、問題がひとつ」
ハンスが申し訳なさそうに言った。
「私の脱走が成功したことで、他の文官たちも動揺しています。『帝国に行けば、正当に評価されるらしい』という噂が、水面下で広まっておりまして……」
つまり、これから亡命希望者が殺到する可能性があるということだ。
「歓迎しよう」
陛下は即断した。
「来る者は拒まん。ただし、審査は厳格に行う。イリス、頼めるか?」
「はい。私の『眼』ですべて選別します」
犯罪者や無能な怠け者は送り返す。
けれど、ハンスのような不当に扱われている才能なら、いくらでも受け入れる。
それが帝国の国力となり、王国の寿命を縮めることになるとしても。
◇
数日後。
財務部を覗くと、そこには生き生きと働くハンスの姿があった。
顔色は良くなり、新しい制服も板についている。
「イリス様! 見てください、この計算効率! 誰も邪魔しないし、予算も通るんです!」
「よかったわね、ハンス」
「はい! ここは天国です!」
数字の海で泳ぐ彼は、水を得た魚のようだ。
かつて王国の薄暗い部屋で、死んだような目をしていた彼とは別人のよう。
「……また一人、救ったな」
いつの間にか背後にいた陛下が、私の肩に手を置いた。
「君が来るまで、俺たちは人材をただの駒としか見ていなかったのかもしれん。だが、今は違う」
彼の掌から、温かい信頼が伝わってくる。
「君のおかげだ、イリス」
「いいえ。彼らが自分の足で、ここを選んだのです」
私は首を横に振った。
けれど、胸の奥が熱い。
祖国が衰退していくのは悲しいけれど、私はもう、ここで生きると決めたのだから。
その時だった。
情報部の伝令が、血相を変えて飛び込んできた。
「陛下! イリス様! 緊急報告です!」
「どうした?」
「王国のジェラルド王子が……イリス様の居場所を特定しました! 『帝国が我が国の重要資産を盗んだ』と、外交ルートを通じて抗議文が届いております!」
重要資産。
それは、私のことだ。
ゴミと呼んで捨てたくせに、今さら資産扱いとは。
陛下がスッと目を細めた。
その頭上に、【感情:激怒(S)】の文字が浮かび上がる。
「……盗んだだと? 拾ったのだ、ゴミ捨て場からな」
低い声が、部屋の温度を数度下げた。
「返答を書くぞ。イリス。法務官を呼べ」
「はい、陛下」
戦いの合図だ。
剣ではなく、ペンと法による戦争。
私は覚悟を決めた。
もう、誰にも言いなりにはならない。
私の価値は、私が決める。そして、この人が認めてくれる。
それだけで、私はどこまでも強くなれる気がした。




