第3話 路地裏の原石
「……イリス。これは視察だ。決してデートではない」
「はい、陛下。そう伺っておりますが」
「ならばなぜ、俺たちは手を繋いでいるのだ?」
「陛下が『迷子防止だ』と仰って、私の手を握られたからですが」
帝国の城下町。
賑わう大通りを、私たちは並んで歩いていた。
ジークフリート陛下は、目立たないようフードを目深に被っている。
それでも隠しきれない威圧感(と色気)に、すれ違う人々が振り返っていく。
「……そうだったか。まあ、護衛の一環だと思え」
彼は悪びれもせず、さらに強く指を絡めてきた。
大きな掌の熱が、私の指先を伝って心臓まで届くようだ。
これは公務だ。
そう自分に言い聞かせるけれど、心拍数は正直だ。
隣を歩く彼から漂う香木の香りが、思考を甘く鈍らせる。
「さて、イリス。お前の眼には、この街がどう映る?」
彼が話題を戻した。
私は意識を切り替え、『神眼』を発動させる。
街行く人々の頭上には、無数の情報が浮かんでいる。
【パン職人(B)】【商人(C)】【衛兵(C+)】
「皆さん、活気があります。適性職に就いている割合が高いですね。王国の街とは大違いです」
「俺が推奨してきた実力主義の成果だ。だが……まだ足りない」
彼は視線を鋭くし、大通りから外れた薄暗い路地裏を見やった。
「光が強ければ、影も濃くなる。あちら側には、まだ手が回っていない」
スラム街。
どこの国にもある、貧困と犯罪の温床。
けれど、私の眼には別のものが見えた。
「……陛下。あちらへ行ってみましょう」
「危険だぞ」
「何か、強い光が見えるんです」
私の直感を信じたのか、彼は黙って頷いた。
腰の剣に手を添え、私を庇うように前に出る。
路地裏は酷い臭いがした。
腐った水と、絶望の臭い。
痩せこけた人々が、虚ろな目で私たちを見ている。
その一角。
古道具屋の店先で、怒号が響いていた。
「この泥棒猫が! ガラクタばかり拾ってきやがって!」
店主らしき男が、一人の少年を蹴り飛ばしている。
少年は十歳くらいだろうか。
煤と泥にまみれ、腕にはいくつもの痣がある。
それでも彼は、胸に抱えた何かを必死に守っていた。
「泥棒じゃない……! これは、部品だ……!」
「うるさい! そんな鉄くず、金になるか!」
男が棒を振り上げた瞬間。
私の『眼』が、強烈な光を捉えた。
【名前:ルカ】
【年齢:10歳】
【適性:魔導工学博士(SS)】
【才能:革新的な発明(SSS)/万物の構造理解(S)】
息が止まりそうになった。
SSランク。
あの国境の森で、ジークフリート陛下を見て以来の衝撃だ。
いや、特化分野に限れば、陛下すら凌駕するかもしれない。
「止めてください!」
私は叫び、二人の間に割って入った。
「あぁ? なんだお前ら」
店主が睨みつけてくる。
私は怯まずに、倒れた少年へ駆け寄った。
彼が守っていたのは、壊れた時計やランプの部品だった。
ただのガラクタではない。
よく見れば、それらは絶妙なバランスで組み合わされ、独自の回路を形成しようとしていた。
「これ、君が組んだの?」
「……うん。でも、動かないんだ。魔石がないから」
少年の瞳には、知性の光が宿っていた。
この環境で、誰にも教わらずに魔導回路を理解しているなんて。
「おい、邪魔すんじゃねぇ! そいつは俺が買った孤児だ。教育をする権利がある!」
店主が私の肩を掴もうとする。
その手が触れる直前。
「……俺の補佐官に、気安く触れるな」
空気が凍りついた。
ジークフリート陛下が、フードを僅かに持ち上げたのだ。
そこから覗く青い瞳は、絶対零度の殺気を放っていた。
「ひっ……!?」
店主は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
生物としての格の違いを、本能で悟ったのだろう。
「イリス。この少年が『宝石』か?」
「はい。間違いありません。国を変えるほどの原石です」
私は確信を持って答えた。
「陛下。彼を保護したいのです。いえ、正確にはスカウトを」
「方法は?」
「国費による奨学金制度を適用します。彼には教育を受ける権利と、研究環境が必要です」
私は少年に向き直った。
「君、名前は?」
「……ルカ」
「ルカ君。君のその才能、国に買わせてくれないかしら」
「え?」
「君はガラクタ集めじゃない。未来の発明家よ。衣食住と、好きなだけ実験できる場所を用意するわ。その代わり、君の発明でこの国を豊かにしてほしいの」
これは慈善事業ではない。
帝国と彼との、対等な契約だ。
私の言葉に、ルカ君の目が大きく見開かれた。
「実験……好きなだけ? ご飯も、食べられる?」
「ええ。約束するわ。契約書も用意する」
ルカ君は震える手で、私の服の裾を掴んだ。
「……行く。連れて行って、お姉ちゃん」
契約成立だ。
店主には、相応の契約譲渡金(という名の解決金)を支払うことで合意させた。
もちろん、虐待の事実は後で法務官に通報するけれど。
◇
帰り道。
ルカ君は先行させた馬車に乗せ、私たちは再び二人で歩いていた。
「見事な手腕だ」
陛下が満足げに言った。
「SSランクの発明家か。数年後が楽しみだな」
「はい。彼ならきっと、私たちが想像もしないような魔導具を作ってくれます」
「だが……少し妬けるな」
「え?」
見上げると、陛下は不満げに口を尖らせていた。
「君があんなに必死に男を守るとは」
「男って……彼はまだ十歳の子供ですよ?」
「男は男だ。……俺以外の男に、あんな優しい顔を見せるな」
彼は立ち止まり、私の顔を覗き込んだ。
街灯の光が、彼の整った顔立ちを照らす。
その瞳には、隠しきれない熱が灯っていた。
【感情:独占欲(爆発寸前)】
【思考:今すぐ城に連れ帰って閉じ込めたい(理性で抑制中)】
相変わらず、心の声がダダ漏れだ。
でも、その独占欲すら、今の私には心地よかった。
必要とされている。
誰かの一番になれている。
その事実が、かつて「不要」と切り捨てられた私の傷を癒やしていく。
「……陛下は、子供っぽいところがおありですね」
「うるさい。君が魅力的すぎるのが悪い」
彼は乱暴に私の頭を撫でると、再び歩き出し、繋いだ手は、先ほどよりも強く握られていた。
◇
その頃、国境の向こう側。
王国の王宮では、異変が起きていた。
「なぜだ! なぜ書類が回らない!」
第二王子ジェラルドが、執務室で叫び声を上げていた。
机の上には、未処理の案件が山のように積まれている。
「イリスがいなくなってから、何もかも上手くいかない……! あいつ、一体何をしていたんだ?」
彼の問いに答える者はいない。
有能な文官たちは、既にこの国を見限り始めていたのだから。
「探せ! イリスを連れ戻せ! あれは僕の所有物だ!」
王子の怒鳴り声が、空虚な王城に響き渡った。




