レオノールVSヒュドラ
レオノールとアークバルトは首都から少し離れた草原へと降り立った。後ろからもの凄い勢いでヒュドラが迫って来ている。
レオノールがパッと地面へ飛び降りると、複雑な表情をしたアークバルトがその場から離れる。
それを見送ったレオノールは準備を始める。沢山の種を地面にばら撒き、神力と魔力を練り上げる。ポコポコと芽の出る可愛い音がやがてメキメキと音を変え、レオノールを覆っていく。そこに現れたのは樹でできた竜だ。
樹木竜が翼を開くと、風がその巨大な体を持ち上げる。音のない声をあげた樹木竜は、空の上でヒュドラと対峙した。
初手は樹木竜から。
樹木竜の体から太い根っこが伸びてヒュドラへ絡みつく。巻き付いた根からは更に小さな根が出て、鱗の隙間からヒュドラの中へと侵入していく。その時、天が裂けるような咆哮と共にブレスが樹木竜を襲った。猛毒と腐食のブレスだ。
樹木竜の体がみるみる崩れ落ち、大地へ叩きつけられた。そこへもう一発ブレスが決まる。樹木竜は木っ端微塵に砕かれて、大地が猛毒の沼へと姿を変える。
悠然と降りてきたヒュドラが何かを探すように双頭を巡らせたその瞬間、毒沼を免れた大地から伸びた根っこがヒュドラの翼を貫いた。
――ギュオオオオオオオ!
怒りと屈辱の咆哮をレオノールは地面の下で聞いていた。
先程から細い根をこっそりヒュドラへと伸ばしているが、体内に入った瞬間に溶けて消えた。レオノールの根よりヒュドラの毒の方が強いのだ。根からの吸収が攻撃の要であるレオノールにとって、この事態は正直まずい。これはレオノールの攻撃が全く通用しない事を意味するからだ。
でもレオノールは焦らない。
根が駄目なら直接吸収すればいいだけのこと。地面を移動して猛毒の沼へとたどり着いたレオノールは、躊躇うことなくソレを口にした。
――熱い、痛い
体が叫ぶ。
――オイシイ、モット
魂が叫ぶ。
レオノールはひたすら沼を啜った。
顔も喉も見る影もなく溶けていく。剥き出しの歯茎に食道へと続く骨。それでもレオノールは少しでも吸収したくて、何もないがらんどうの喉を抑える。
溶けた部分を補うように根を這わせ、再生と溶解を繰り返す。それは尋常でない痛みだ。そんな苦痛の中でも金と緑の目は爛々と輝き、戦況をつぶさに確認していた。
再生させた樹木竜がヒュドラへ噛みつこうと首を伸ばし、ヒュドラは苛立った様子でブレスを放つ。
何度壊しても、何度潰しても樹木竜は枝を茂らせる。ヒュドラが前脚を叩きつければ、負けじと樹木竜も前脚を叩きつけ、尾で樹木竜を粉砕すれば、再生しながら尾を振り返す。まるでヒュドラの攻撃を真似しているかのように。
実際そうなのだ。レオノールは戦い方を知らない。だから真似をする。そうすれば、時間が稼げるから。
そうして準備は整った。
ペロリと毒を舐め取るレオノールの唇が赤く色付き、白い喉がコクリとソレを嚥下する。喉を押さえていた焼け爛れた手も、今ではぷっくりとした紅葉の手だ。何もかもが元通り。
レオノールはヒュドラの毒を克服した。魔物の毒だったので大分時間が掛かったが、これがもし植物の毒であれは一瞬で片が付いていただろう。
レオノールにとってヒュドラは格下へと成り下がった。
もうヒュドラは樹木竜を傷付けられない。物理での攻撃も毒ももう恐れることはない。樹木竜が体を解き、ヒュドラを覆い尽くす。樹木竜だったものから伸びた大小様々な根がヒュドラを侵し、喰らっていく。哀れな声で鳴くヒュドラの鼻先を、レオノールは優しくなでる。
「だいじょぶ ひとつに なるだけ」
暗闇に浮かぶ金と緑の目とヒュドラの目が合った瞬間、ヒュドラはこうべを垂れた。
バレンシアガは竜の神、全ての竜を統べるもの。その力を引くレオノールも同じだ。ジッと終わりを待っていたヒュドラは、やがて塵となって消えていった。
アークバルトはレオノールの戦闘の様子をハラハラしながら見守っていた。樹木竜を囮に空へと飛ばし、レオノール自身は地面の下に隠れている。
「風と地の魔法か。まだ魔法は教えてねぇのにこれ程まで使いこなすか」
教えて使いこなせるようになるのと、戦闘で使いこなすのとでは全く違う。緊張や恐怖、焦りが魔法の精度を大きく落とすのだ。それをぶっつけ本番で器用にこなしている。さすがの戦闘センスだ。
そこからヒュドラのブレスを誘発し、上手いこと地面へ落としている。ただ……そこからがいけない。レオノールはハクハクと夢中でヒュドラの毒を喰らっているが、顔の下半分と上半身が焼け爛れて溶けている。せっせっと根や蔓を出して再生しているが全く追いついておらず、飲み込んだ毒の半分以上が溢れてしまっている。
「レオノール!!」
踏み込んだ足が大地を割り、伸ばされた手は……拳となって握り込まれる。
「まだだ。まだ手を出すべきところじゃねぇ」
言葉に出して言い聞かせても、溶けかけのレオノールの姿がアークバルトの心を締め上げる。
「許さねぇぞ、人間。この事態を招いたゴミどもが!!」
八つ当たりに周囲のものを破壊し、レオノールの無残な姿を見たくなくて両眼をくり抜く。
「あああああああ!レオノールが!俺のレオノールが!!」
狂ったように愛しい名を呼び、アークバルトは頭を振って狂気をやり過ごす。どれ位そうしていただろうか。アークバルトにとって永遠と言っていい程の時間が流れ、レオノールが笑みを浮かべて立ち上がる。
その姿は傷一つなく、長く伸びた蔓が足下に円を描いている。樹木竜に拘束されたヒュドラがレオノールに頭を垂れ、散っていくのが見える。
ぐらり、とレオノールの体が揺れた瞬間、アークバルトは走り出していた。ぽすり、とレオノールの体を受け止めれば、口からスゥスゥという可愛らしい寝息が聞こえる。
「はぁ、もうこんな思いは御免だぞ」
座り込んだアークバルトが空を見上げれば、暗い藍色から赤へと徐々に色付いていく――夜明けだ。アークバルトにとって長い、長い夜が明けた。
「ふふふ、ご覧くださいバレンシアガ様。御子様ったらあんなに喜んで!」
喪服の女が嬉しそうにクルクルと回り、ふわりと膨らんだスカートは、まるで黒い花の様だ。相変わらず周りには誰もいないにも関わらず、女はそこに誰かがいるかの様に会話を続ける。
「でずが御身を削られても大丈夫だったのですか?」
回るのを止めた女は、心配して祈るように手を組んだが……次の瞬間、弾けるように笑みを浮かべる。
「ええ、ええ、そうでございますね!母は子のために身を削るもの。流石はバレンシアガ様です!」
女はもう1度レオノールのいる方向に目を向けてから、小さな声で囁いた。
「それでは御子様、健やかにお過ごし下さいませ」




