第8話 すれ違い続ける二人
「先日、この辺りであったパレードがどこのパーティーか、ご存じではありませんか?」
ミアはフードを下げて顔を隠し、女性二人組に話しかける。二人組はフードの姿に気が付くと、親切に教えてくれた。
「確か……イルク様のところよね。ダンジョン長期遠征のおかえりパレードだって聞いたけど」
「そうそう、東通りに拠点を構えている」
「イルク様ってとっても優しくて、拠点に押しかけても怒らずにサインかいてもらえるの」
ほら、と言って片方が見せてくれる。彼女の持つ手帳の裏表紙にはよくわからない記号のようなものが描かれていた。これがイルクのサインだというわけか。
「あの人かっこいいものね。貴方も好きになっちゃったの?」
ミアは心中で吐き気がする、と呟いた。しかし表面は口元に笑みを湛えて頷く。
「ええ、まあ……恥ずかしながら」
「なら拠点の場所を教えてあげるわ」
イルクの汚点を知らずのうのうと応援をしている女性たちは、なんとも浅はかだ。普通であれば他人の情報など伏せるべきだろうが、彼女たちは口が軽く何でも話してくれる。
「助かります」
ミアはまだ序盤に過ぎないが、随分精神を削るものだとため息を吐いた。
そしてたどり着いたイルクパーティーの拠点だが……、ミアが考えていた十倍大きい建物だった。庭園にはバラが咲き誇っており、門から建物まで随分と距離がある。しかしながら植木の手入れは杜撰で、とってつけたかのよう。
「親切なお姉さん方、ここまでありがとうございます」
女性二人はひらひらと手を振りながら、頑張ってと応援の言葉までくれた。しかしミアはその建物の周囲を確認する。良さそうな宿か、空き家はないか。
すぐ行動に出るわけではない。下準備を進めて、少しずつ蝕んでいく。イルクパーティーに名前を隠して加入させてもらうことも考えたが、人生の経歴にイルクパーティーと仲良くしていた事柄を残したくない。
イルクパーティーの拠点は煌びやかだが、東通りはそもそも治安が良くないことで有名だ。安い宿屋はすぐに見つかった。しかも拠点と背中合わせの建物だ。
「ちょうどよかった」
ミアはトランクを降ろして一息吐く。突然加わった重さに、板張りがぎし、と悲鳴を上げた。
ローブを脱いで、曇った姿見に全身を映す。髪さえ見えないようにしてしまえば、今のミアはまるで少年だ。ハーフパンツに膝下丈の靴下、白いブラウスに短い黒ネクタイ。
いいところ生まれのお坊ちゃん風だ。拠点へ案内してくれた彼女たちには、ミアが家出をしてきた十二歳ほどの少年に見えただろう。その上昨日、固有魔法を使い過ぎたために声が掠れていて、高い地声を隠してくれた。
これらの服を押し付けてくれた赤髪の女性には感謝しなければいけない。顔はよく見えなかったが、言動から二十半ばほどに思われる。また会うことがあればきちんと礼を言いたいところだが。
「まずは……」
ミアはカーテンに覆われた窓から顔を覗く。不用心にもイルクパーティーの窓のカーテンは引かれておらず、中が少し見えていた。
ミアの目的はイルクパーティーへの報復である。忘れてはならない。
まずは、イルクパーティーの行動サイクルを把握するところからだ。長期遠征から帰って来たということは、しばらくは遠征に向かわないということ。
ミアはトランクの中から金の詰まった麻袋を取り出した。じゃらり、とそれは音を立てて、ミアの手に重さを伝える。
「探される前に調達を済ませないと……」
そしてミアは再びローブを羽織って体型と顔を隠すと、かびの匂いのする部屋を後にした。
「どうしてよっ」
エリシアはギルドのカウンターに身を乗り出して抗議した。
メルバは呆れたようにエリシアを宥めにかかるが、エリシアは半ば我を忘れているようだった。
「なんで成人は失踪から二日経たないと貼り紙ができないのっ⁉」
「規則ですので……」
ギルド職員はエリシアの主張に眉を下げる。
メルバは額を押さえた。これは盲点だった。この調子ではエリシアが心に負担をため込んでしまう。このまま塞ぎこまれてしまうのは、幼馴染みとしても嬉しくない。
メルバが何とか案を絞り出すべく声を掛けようとしたとき、エリシアは項垂れていた首をゆっくりともたげた。
「自分たちでやるしかないってわけね」
「……何をするつもりなんだ?」
「街ゆく人に訊きまくるのよ。ミアを見かけていないか」
エリシアの瞳は燃えていた。この行動力はずっと昔を思い起こさせる。はめられる前、純粋な正義感で動いていた日々を。
メルバはまた空回りしないか不安になったが、それで気がまぎれるならと頷く。
「わかった。あたしも手伝うよ、仲間だしな」
「ありがとう、メルバ。……まずは大通りね」
そうして大通りでの聞き込みが始まった。
エリシアの隈の滲んだ顔に幾人かがぎょっとする表情を隠さなかったが、エリシアは気にする余裕もない。次から次へと人を引き留め、ミアの身体的特徴を伝える。
「銀髪の女の子を見かけませんでしたか?」
「見てないな」
「目を布で覆っているはずなんです。すぐにわかります」
「どこかでくたばってんだろ」
エリシアは道行くほとんどの人に聞いてまわった。
しかしながらエリシアの努力はそうそう実らなかった。すぐにひょっこり、見たと言う報告が上がるわけもなく、エリシアの表情はどんどん曇っていく。
悪い人につかまってどこかに監禁されているのでは。よくない想像がエリシアの脳内を占めようとする。
日も落ちてきて人数が減ってきた頃、懸命に人を探して尋ねようとするエリシアを、無理やりメルバが腕を引いて帰宅させた。
リビングにいたレイノワールは、さらにぐったりして帰ってきたエリシアを見て、目を丸くした。少しくらい気分をあげて帰ってくると思っていたのに、今にも倒れそうな表情になっていたら驚くだろう。
メルバがかくかくしかじかと説明すれば、レイノワールは「すっかり忘れていた」とギルドでのメルバと同じ反応を見せた。
「そうか、少し配慮が至らなかったな」
「あたしもやっちゃったと思ったよ。なあ、レイも手伝ってくれ」
珍しいメルバの頼みだったが、レイノワールは視線を合わさないように顔を背けた。メルバは素っ気ない相変わらずの反応に、むっと頬を膨らませる。
「お前なぁ、エリシアがこんなになってるんだぞ」
部屋の隅に足を抱えて何かをぼやいているエリシアを指さして、メルバは言った。何を言っているのかはよくわからないが、だいたい想像がつく。自分は何もできないとか、役立たずだとか、ネガティブなものばかりだ。
まったくエリシアらしくない。メルバは見ていられなかった。
しかしレイノワールは素知らぬ顔で、長い髪を耳にかけてぽつりと言った。
「見知らぬ人間と話したくない」
「……さすが潔癖のエルフ様だな」
けっ、とメルバが吐き捨てる。煽ってみたが、レイノワールは全く効いていなさそうにティーカップに口をつけた。
「それよりメルバ、ご主人様の方はいいのか?」
レイノワールの言葉に、メルバは眉を曲げる。ご主人様とメルバが呼んだ覚えはないが、その言葉が誰を指しているのかわかる分、腹立たしい。しかし今はそんな話をしている場合ではない。
「あの人はあたしが居なくてもなんとかなる」
掛け持ちしているパーティーのリーダーを思い出しながら吐き捨てる。
「そういうことを言っているんじゃあない」
メルバはエリシアの暗い表情を目の端で捉え、目の前にいるレイノワールを睨んだ。
「面倒な人なんだろう。音沙汰無ければ、厄介に首を突っ込んでくるかもしれないな」
「会ったこともないのに知ったように言うな」
「何を勘違いしているか知らんが、私は《《彼女が》》誰か知っている」
メルバは驚き目を瞠って、ソファから立ち上がった。性別すら誰にも伝えていないはずだ。
しかしながらレイノワールは飄々と知らぬ顔をして、カップのハンドルに指を回した。何もかもファインダーの奥で起きているような顔をしているレイノワールに、メルバは無性に腹が立つ。
気づけば彼女のお気に入りのティーセットを手ではたき落としていた。
がしゃん、と鼓膜を引き裂くような音に場が静まり返る。
「……大丈夫?」
部屋の隅から聞こえた弱々しいエリシアの声に、メルバはやってしまったことを知った。
「メルバ」
レイノワールが名前を呼ぶ。しかしメルバは呆然として、割れてしまったティーカップの破片を見つめていた。
「均衡は容易く崩れるものだな」
エリシアの瞳が揺れる。レイノワールはため息をこぼしながら、白い指先で破片を拾った。あまり細かくは割れていなかったようで、ハンカチにすべて拾いあげると丁寧に包み込む。破片の鋭い部分が触れたのか、ハンカチの刺繍が一部ほつれてしまうのをメルバは目で追う。
「今日は早く寝よう。先に風呂を借りる」
「……ええ、行ってらっしゃい。私も疲れたし……自室に戻るわ」
レイノワールがリビングを去る。続いてエリシアが、メルバを気にしながらも部屋を出て行った。
静かになった室内で、メルバは一人ローテーブルに拳を叩きつけた。