大正解
「どっちが正解だと思う?」
そんな突拍子もないこと云われて、僕としてもどう答えるのが正解か分からない。ひとまず、
「う〜ん」とか、
「え〜?」とか、適当に時間だけ稼いでは居るけれども、なぜだかあんまり話が理解できなくて、そもそも答えようないのが現実であった。
どうせ、彼も痺れを切らして『まあいいや』なんて云ってくれるのだから、ここで慌てて何かを考える必要も、必要性もない。
僕には難し過ぎる話なのだ。
やれ、善悪というのはシェイク・スピアによると云々、やれ、物事にはいつも複数の正解があるから云々、この国の誰もは思考の筋が一直線なんだ云々、と。
たしかに理解は出来る話なのかもしれないが、敢えて、彼の言葉を拝借して彼に対抗してみるとするならば、それは、
「――たぶん考えすぎなんだと思うよ」
だ。
すっかりぽっかり目を目開いて、さも『驚いています』と云うようにこちらを見つめてくるのだから、おおよそ僕が口答えのようなものをするなんて思ってなかったのだろう。
無論、そういうのが得意でないのは事実としてあるが、本当に、彼という人物ほど考え過ぎで人生が辛そうな人物はいない。だからこそ先のことを云ったのだし、実際の問題として『正解』だの『善悪』だの哲学チックな思考ばっかりなのは、それこそ彼の云う『一直線』で、まるで斜に構えたような物の見方も、それだけしか見方がないなら、充分に普通の凡人と同じで一辺倒だと云えるのだ。
――まったく、僕には分からない。
彼は彼自身が云うように頭も良いし、性格もたぶん世間一般的な物の見方とか視点で云えば善い方で、なにより、とてつもない自信を持っている。
そんな彼が僕に『どっちが正解だと思う?』なんて聞く理由がないのだ。
だって、彼は彼自身の頭の中で全ての問題が解決している。
わざわざ僕なんかに聞かなくたって、最初から『どっちが良いのか』なんて分かりきっているのだ。
仮に、僕が彼と真反対の意見を云ったとして、絶対に彼は考えを変えようとは思わない筈だし、むしろ、その意見への反論を勝手に並べて、自分の考えをより強固なものへと進化させてしまう。
そこに、意味はあるのだろうか?
いや、どんな視点を以ってしても『無い』と云える。
――これが、僕の答えとなるのだ。
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もう冬の外の嫌な暖かみを感じる季節。
火照った頭と、かじかんだ手先、夜は炎、静む地平線。




