ある日、ある場所、ある時間
頭が重くて、熱くて、でも次第に線が繋がってゆくような感覚、とでも形容すればよいのだろうか。
私は、ただのしがない、趣味でオリジナル小説やらを執筆してるだけの成人である。
それで、私が先ほどに何を言いたかったのかと云えば、要するに、頭がパンクしそうな感覚から急激に熱も空気もなにもかも、毒素さえをも抜かれてしまったかのような感覚がした故に、それを是非とも書き記したく形容したまでの話なのだ。
一つ。思い浮かぶのは、私がその感覚に襲われる瞬間というのは、総じて何かしらの作品だのなんだのを執筆しようとして、いや実際に執筆を始めて物の数秒で訪れるような、とても些細なきっかけである。
きっとこの先も幾度となく書くであろう「この感覚」について、もし私が文学的にそれを記すのであれば――まるで熱を持った頭の中に、鋭い線を描く冷水をぴちゃり、と貫通させ、そのあとに水がじんわり広がってゆくかのような感覚――であるだろうか。
とにかく、文を書きだすと止まらないのか、他の事を考える余裕がなくなると云うべきなのか、はたまた、それほどまでに文学が、いや否、執筆、それこそが私を没頭させ熱中させている、と云うべきか。
熱中という言葉を書きて思うたのは、熱中という言葉が表すイメージというのがとても身体全体が熱さに覆われて、汗だくになって、ならずとも、頭に熱を帯びるような感覚である。
しかし先にも述べた通り、どうやら今の私は寧ろ、その持っていた熱が急激に冷え込んでゆくような、ある意味で冷静さと、冷たい、そんな感覚で支配されてしまったような気がして、ともするとすこし可笑しな現象であることに気が付いた。
どう考えても、いや昨今はあまりこうやって断定すると敵を作りやすいもので、あくまで私的に考えての話にすれば、熱中という言葉はより特定の物事に対し集中していて、冷静という言葉は、より、広い視野を持った言葉に聞こえる。
たとえば今の私のような、椅子に座り、深夜、たとえば失態を犯したとして、熱で身体を支配されて、さも、いや待てと、私はいったい、何に集中して熱に魅入られたのか、分からない。
しかししかし、まあ、熱に支配されたのは概ねそうといえるのである。
なので、こう書く。
椅子に座り、嗚呼と、なぜだかこの椅子には現代の問題を山積みにしてあるのに背を向けているかのような、やましい何かであるのではないかと思えてきて、あまりいい気分がしない。
私の創作はこうして、たった一つ。
部屋の一つ。机の一つ。明かりの一つ。熱の、冷の、一つ。憂いと侘し淋し、椅子の上。
手よりすこしだけ大きな光る電子機械が、もっぱら私の最近の相棒であり愛しの筆か鉛筆か、それであることは間違いないだろう。