のらりの音頭、やってくぜ
――のらりくらり。
それは僕にとって、謂わば座右の銘。
いつ如何なるときであっても、まるで紙切れのように、ときにそれは花びらのように、汚いときもあれば美しいときもあるような、波乱万丈とも言える生活を送っている。
たとえば。
ある年は、とあるサッカークラブの入団テストを受けた。親に言われて幼いときからサッカーをしてきたけど、正直言ってつまんなかったし、あまり練習はしてなかった。なので、もちろん僕はテストに落ちた。のらりくらり。
またある年は、僕は受験をした。高校受験だ。学校の先生に言われて何度も自習してきたし、親に塾にも通わされて、それで、模試ではいい感じの成績も取れていたので、色んな人から、『この子はきっと大丈夫だろう』、と思われていた。それがつまらなかった。僕は刺激を求めているのである。よって、僕はちょうど試験日とその周辺だけ、明らかに手を抜いていた。勉強しているようでしてないような、しっかり問題を解いているようで解いてないような。よって、もちろん僕は受験に落ちた。のらりのらり、くらり。
僕が失敗をする度に、家族とか親族とか先生とか友人とか、みんなびっくら仰天。
やれ、どうしたの?
やれ、運が悪かったんだよ。
やれ、しょうがないしょうがない。
次に行こう。
はあ、みんな馬鹿だなあ。と僕が言えば、みんな揃って、お前が馬鹿の子なんだよ、とか抜かしてみせる。
言っておくけど、僕は本物の馬鹿じゃない。
僕は、馬鹿を演じているのだ。
ほら音頭、のらり、くらり、のらのらり、くらくらあり、よいしょ!
ね?僕は馬鹿を演じるのがとても上手だ。
誰も信じちゃくれないけれど、僕、この世界で自分の有能をアピールするのは、本当に馬鹿でどうしようもなくて恐ろしいことだと、勝手に思っている。
だって、能ある鷹は爪を隠す、って言うじゃないか。
僕がもしずっと有能なら、僕はそのうち壊れてしまうし、そうなると分かっている。だから、隠す。そして演じる。
これが僕の半面だ。
そしてもう半面はと言うと、僕はたまにとても上手く事を運んでみせるのだ。
たとえば。
僕は高校には結局、行かなかったのだけれど。それだけだと余りにものろまで馬鹿であるので、大学には行った。馬鹿を演じて馬鹿になるのは御免である。なので、必要な資格は半年で取って、そのまま大学も適当に受けちゃったりして、みんなそのときには僕に期待なんてしていなかったけれど、逆にそれが春風みたいに心地よくて、ひゅうぅぅ、と。すらりすらり、大学合格ありがとさん。
さして勉強なんかしなかったし、それは言われなかったからしなかっただけだけれど、それでも意外になんとかなるのが、僕みたいな有能であるのだ。
もちろん、勉強をしなかったんだから、当然努力も苦労も何一つとして経験してないし、そのせいで『大学合格したよ』なんて言われても、僕の心にはちっとも響きやしない。それで一瞬、べつにこの合格証書、破ってみても面白いな、なんて思ったから苦労しないのも有能の辛いことである。
そう思えばやはり馬鹿みたいに馬鹿すれば、嬉しさ悲しさ人一倍、いや二倍だろうか?とにかくエイヤッ!ソイヤッ!ハァアァァァッ!ノラリッ!クラリッ!クラクラリッ!!
人生楽しくなるよ、馬鹿騒ぎ。
良いこと悪いこと全部体験してみて、違い分かって、気がついたら僕は全能みたい。
能ある鷹は爪を隠す。
それは、なんでだろうね?
まさかだけど、最初は能無しだったりして!!
さあ、今日も今日とて行きますか。
のらり、くらり、のらのらり。
ノラリ、クラリ、クラクラリ。
のらりくらり。
のらりくらり。
のらりくらり。
へへ、楽しい今日も、生きてくぜ。