クウネル
ふとした時にはすべて失敗していた。学業も、人と人との人間関係も、スポーツも、趣味も、私という人生含め、すべてが失敗に塗れ汚らしいゴミのようにしか思えない。
学業は、大きく環境の変わった中学校で不登校になり、人と人との人間関係は、ぜんぶぺしゃんこのチリヂリ、スポーツは、最後までやり切ることをせずにあとから後悔(私は年を取り過ぎてしまったのだ)、趣味は、あれもこれも色々取っていたら中途半端に、どうだろうか?いや、考えるまでもなく私は終わっている。
まさにまさに、人生というのが真に一方通行だと知り、私は、絶望した。
今日も、ああ、私はこの年にもなって働かずにクウネルクウネル、まるで食べ物かなにかの名前みたいだけれど、事実、そんなに良いものじゃない。クウネルとは、食う、寝る、であるからだ。それをどうにか可愛くして現実から逃げようとしている私の浅ましさと言えば、ほんとうに自分で自分がいやになってしまうほど。
いつか私は死んでしまうのだろうし、それならいっそ、いまであるべきとすら思う。
しかしだ。世間様がそれを許してくれても、私の数少ない縁がそれを許さない。これは現実の束縛であった。私と、縁で、鎖を繋がれているのである。ああ、鬱陶しいこと鬱陶しいこと。
どんなに引き千切ろうとして、どんなに引き裂こうとしても、常に鎖は硬く、鉄の如し拘束力と強さであった。
――ガチャリ。
音がすればそれは、私を現実に束縛している縁たちが、勝手に侵入してくる音である。
「……あれ、生きてたんだ」
侵入者はそう言うと、どさり、両手に持っていた白い大きな袋を手放し、そこにあるシンクで手を洗い、口を漱いで、ぺっぺっ!としたら、手と口をタオルで拭いた後に私の前、ちょうどリビングのテーブルのある、一抹の席にすら満たない座布団の上に坐り、「――嘘だよ。もう、なにか返事くらいしてよね」、と言ってみせた。
まるで死んでる人みたいで怖くなっちゃう。とも言った。
「あぁ、あぁ……うん」
返事をしてほしいという望みに応え、私は適当に返事をする。
まるで、死人みたいに、というけれど、でも実際に私が返事をしなければ、それは死人であるかもしれない。すでに社会的に私は意味を為さなくて、無意味で、むしろずっと誰かの足を引っ張って生きている。誰かにとって私はいないも同然で、それはつまり死人と大して変わらないのではないだろうか?
私は、自分に価値を見出せずにいる。
何者にもなれない。特別であれない。トップを夢見て、現実を知るほどに空想は広がっていく。それこそ無限大に、暗い部屋のカーテンの向こう側に広がる空みたいに、恋焦がれて、求めて、でも手は空に届きやしない。届かないから、憧れている。
それが未知の世界であるから求めて、焦がれて、止まない雨のよう。
私は、何者かになりたい。私は、特別でありたい。それが叶わなくて、悲しくて、クウネルクウネル。
――私は悲哀の世界に、囚われている。