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サナお嬢様

トントン

「サナさん、私です。入りますね。」


声をかけてからすりガラスの窓を開けると

まず目につくのは、色彩ゆたかなアイリスの花々。

バルコニーの中央にはアンティーク調の丸テーブルが設けられ、その両脇には同じデザインを基調とした、曲線滑らかな肘掛け椅子が2脚備えつけられている。その1つにゆったりと腰かけている、2歳年上の義姉サナさんがいた。


「お花の水やりしますね。」

「…。」

無言を承諾の意と捉え、そそくさと作業にとりかかる。

水やりをしながらも、私の目は自然とサナさんに吸い寄せられた。ーーきれいだなぁ。 


そう、サナさんは島一と謳われるほどに美しい。

腰まで届く栗色の髪に、ふさふさと瞳にかかる長い睫毛。鼻は高く、その肌は透き通るように白かった。

初めて彼女を見た者は、皆口を揃えて"お人形さん"みたいだと称賛した。

確かに、お人形のように見えるだろう。

でもそれは"初めて見た者"にとってだ。


私たちのように、長年彼女と暮らしてきた者にとって彼女は"お人形"のように可愛らしい存在ではなかった。

ただただ異常だった。

まず、彼女は本しか読まない。日常生活行動以外の時間を全て読書に費やしている。日常生活行動だって、私たちが声をかけないとままならない。

この館の蔵書はそれほど多くはないので、彼女はきっと同じ本を何百回も読んでいるに違いない。


それに、1番不気味なのがこの表情。他人から見たらニコッと赤子にでも微笑んでいるかのようにみえる、この微笑。

彼女にはこの表情以外の顔がない。

以前サナさんはバルコニーから部屋に戻る際に、前のめりにつんのめって転んだことがあった。

私は急いで彼女の体を起こそうと駆け寄ったが、地面からわずか10㎝上にあった彼女の顔は、

あの口角を少しばかり上げた、遺影の表情そのままだった。


痛くないはずはない。

膝から血が滴るほどの傷を負っているのだ。

私はぞーっと水を浴びさられたかのように、血の気がうせ、叫び出したいのを必死で堪えていた。


「ねぇ」

ビクッ。突然聞こえた霧のようなかすかな声に体が跳ねた。サナさんの声だ。


「どうなされました?」

「ここに座ってくださいません?」


あぁ、またはじまるのだ。あれが。

私は沈む心にムチ打ってサナさんの前に腰かけた。


「見て、これ海なんですって。変よね。波打たない海なんて。まるで池みたいじゃない。これ、写真じゃないわ。…絵。…そう、絵なんだわ。」


これはもう何回も聞いた。私は「そうですね、」と機械的に返事をする。この広い世界のなかには、波打たない海もあるんじゃないか。そう思っても口には出さない。


「ねぇ、知ってる?ある洞窟に二人の青年が迷いこむ話があるのよ。洞窟の入り口に縄をくくりつけておいたのだけど、それが何かの拍子に切れてしまってね。暗い穴の中にふたりぼっちになってしまうのよ。でね、暗い世界のなかでは男も女も関係ないの。2人は恋に落ちるのよ。」


サナさんはまるで目に見えない何者かに優しく語りかけるようにゆっくり話した。


「それは不思議なお話ですね、それで、2人はどうなるんですか?」


「ねぇ、知ってる?ジキル博士とハイド氏というお話。ジキル博士はとても優しい人なの。でもね、夜になると性格がとても残虐になるの。子供だって平気で殺すのよ。残酷だって思わなくって?」


サナさんのふっくらした唇から、彼女の美しさには程遠い言葉がこぼれる。

場違いなあのニコッとした微笑がいっそうその恐ろしいさを掻き立てた。

そして、あの、無知な幼児がキャハキャハ笑いながら、無邪気に虫の体を引きちぎっている、あのなんともいえない、不気味な光景がぴったり彼女と重なって、一種異様な錯覚に襲われた。


私はそれに耐えられなくなって、フッと視線を机の上に逸らしてしまった。

あ、いけない。っと思って目をあげようとした時、1つの缶箱が視線に入った。

それはスパンコールのようなキラキラした装飾が施された、まるで宝石箱のような箱だった。


すると突然にゅっと白いものが視界を横切った。

サナさんの手だ。


「これ、お食べになって?」

そう言って宝石箱をカポッと開けた。

そこには10枚ほどのクッキーが入っていた。


彼女が自ら何かを勧めてくるのは初めてだった。

いつもサナさんの一方的な会話が突如始まったかと思うと、10分もしないうちに、彼女はまた本の世界に戻ってしまうのに。


「もらってもいいのですか?」

私は思わずバッと顔を上げて聞き返した。

「…。」彼女はジッと私を見つめるばかりで返事はない。

私は少し戸惑いながらもそっとクッキーを指先で摘まんだ。


口に広がるバターの甘味。外はサクッとしているのに中はホロホロで、クッキーというよりはスコーンに近いなと思った。おいしい。

強ばっていた顔が思わず綻ぶ。


「おいしいです。」

飲み込んでから素直に感想を言ってみた。

「…。」

しかしサナさんは私の声などまるで聞こえない素振りで、先程と変わらずじーと私を見つめているだけだった。

「え、えっと…。」


私は困惑の眼差しでサナさんを見た。


見つめ合うこと10秒。

あ、そういうことね。

不意に私はサナさんの視線の意図を理解した。

もっとお食べなさいってことかな?

私はそーっと箱にてを伸ばし、2枚目のクッキーを口に運んだ。


「お、おいしいです。」

「…。」

サナさんの視線はまだ私の目に向けられたままだ。


私は続けて3枚、4枚、5枚とたべ続けた。

その間もじーとサナさんは私を見ていた。


心臓が早鐘を打つ。どうしてそんなに見るの?

なんでもいいから何か言ってほしい。


どうしたらいいのかわからない焦燥感と見つめられることによる緊張感で、呼吸がはやくなった。

脇の下がじわっと汗ばむのを感じた。


6枚、7枚、8枚。

無言で食べ続ける私。

それを無言で見つめるサナさん。


空気が鉛みたいに重くなっていく。

次第に周りに咲き乱れるアイリスの花さえも、サナさんの顔のように見えてきて、四方八方から矢のような視線が、私の体を貫いた。


9枚目。

うまく息が吸えない。それに喉も乾く。口の中が小麦粉の砂漠状態だ。

水。水が欲しい。あぁ、あのじょうろの水が飲みたい。

全神経を嚥下機能に集中させて、なんとか10枚目を飲み込んだ。


「…ごちそうさまでした。」

「…。」

全て食べきったにも関わらず、微動だにしない視線。どうして?私は半ば半泣き状態で彼女を見る。


すると彼女の目がスーッと私の顔から胸元へおりた。私もつられて下を見る。


「あっ!」

机の上には粉々に散らばったクッキーの残骸があった。

「す、すみませんっ」

恥ずかしい。体内の血液が発火したかのように熱くなる。無言で注意されたことが一層羞恥心を底上げした。急いでかき集めながら上目遣いでサナさんを見上げると、彼女はもうすでに本の世界へと帰っていた。


私は一刻も早くこの場から出たくて、

飲み物のおかわりを尋ねた。


「ピーチティーがいいわ。」

私はピーチティーと頭に書き留めてじょうろを手に取り、早足ですりガラスの窓へと急ぐ。


そしてピシャリと窓を閉める。と同時に

一気にじょうろの水を飲み干した。








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