表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

彼女の声が生きろと言うから

作者: そら

死ネタです。とあるファンタジー世界の出来事。


(お前がいないのに。俺だけで生きてけってのか)

「当たり前でしょう。私がいなきゃ生きてけないとでも言うつもり?」


生き残った男と、男の背中を押す彼女の声の話。






砂埃が舞い上がり、ガラガラと塔の壁が崩落する音が響く中で、俺は瞬きもせずに彼女を見つめていた。


このままここでじっとしていれば、じきに重い石造りの天井が落ちてきて、諸共に瓦礫の中に埋もれることになるのだろう。


それでもいいと思った。

もう、立ち上がってここを出る気力が湧いてこない。


俺が座り込んだ足元のすぐ近くに、煤で汚れた彼女の顔がある。

眠っているような穏やかな表情。青くさえ見えるほどに白い顔色。色を失った唇。そして、体の下に広がる液体からは錆びた臭いが漂っている。


もう、彼女に呼びかけても答えてはくれない。輝くようにきらめいていた瞳も、二度と見ることはできない。


もう、何もしたくなかった。

ただ、彼女のそばに、ここにいたかった。


不意に、声が聞こえた。

「何をしてるの。立って。急いでここから出て!」


もちろん、目の前の彼女は動かない。

でも、頭の中に、彼女の声が響いた。目を怒らせて、腰に手を当てて俺を見据えている。


「死ぬなんて、許さないわよ。あなたは生きなきゃだめなの。分かってるでしょう」


彼女が生きていたら、きっとそう言っただろう言葉であり、口調だった。


懐かしかった。ほんの少し前まで当たり前に聞いていたのに、もう聞けないのかと思うと、胸が軋んだ。

視界が滲んで、涙が次々に頬を流れていく。


(お前がいないのに。俺だけで生きてけってのか)

「当たり前でしょう。私がいなきゃ生きてけないとでも言うつもり?」


俺の心の呟きに、彼女はふんと鼻を鳴らして強気に笑ってみせた。


まだ、俺の心は衝撃に麻痺したままだ。

それでも、俺の記憶している彼女が、座り込んでいることを許してくれない。


崩落音と地響きが次第に近づいてくるのが分かる。崩壊がこの部屋に到達するまで、それほど時間の余裕はなさそうだった。


そうなったら。彼女はどうなる。

この部屋に力なく横たわっている彼女の体は。


俺の右手も右足も、傷が深くてまともに動かせない。多分、今の俺は自分の体を動かすだけで精一杯だ。

彼女を抱えては、行けない。


魂はなくても、これは彼女の体だ。

ほんの少し前まで、動いて、笑って、生きていた。

俺が何と引き換えにしてでも守りたかったものだ。


それを。

ここに置いていくのか。


瓦礫に押しつぶされると分かっていて、置いていくのか。


そんなことをするぐらいなら。

最後まで彼女を守りたかった。最後の最後まで、彼女と一緒にいたかった。


「何、馬鹿なこと言ってるの。私の体と心中したって仕方ないでしょ。そんなことを私が喜ぶと思うの?」


思わない。

彼女なら怒るだろう。彼女は一度怒らせると長引く。さすがに命を捨てたとなれば、永遠に、向こうの世界で再会しても許してくれないかもしれない。


葛藤できる時間は限られていた。崩落の音と振動がいよいよ大きくなっていく。


袖でぐいと顔を拭う。

すぐにまた視界は滲んだが、それもまた袖で拭って、嗚咽が漏れないように奥歯をぐっと噛みしめた。


左足に体重をかけて、ふらつきながら立ち上がる。


ここから出ても、そこに待つのは彼女のいない世界だ。

何よりも大切な彼女をこんな場所に置いて、それでも、俺は行くしかない。


彼女がそうしろと言うからだ。


もう、いないのに。

それでも、俺の中の彼女が、ここで死を待つことを許さない。


右足を引きずりながら、じりじりと庭を目指す。

振り向きたくなる度、足が止まりそうになる度、彼女の怒鳴り声が飛んできて、心が引きちぎられたように痛んだ。

噛みしめた歯の隙間からガラガラの掠れ声が漏れた。


「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……」


ただひたすらに前だけを見て足を進めている内に、ようやく庭に出た足が草を踏む。

そこで倒れ込みそうになったが、彼女に叱咤されて、瓦礫が崩れてこない場所まで移動する。


その時、背後から最大級の音と地響きが伝わってきた。

彼女を飲み込んで塔が崩壊したのだと分かったが、俺は振り向けなかった。


見たくなかった。

彼女がいなくなってしまったことを確かめたくなかった。


再び、涙が溢れてくる。


「全く、情けないんだから」


彼女が呆れたように笑う。

彼女のその笑い方が好きだった。彼女が笑ってくれるならなんでもできると思っていた。


「あなたがちゃんと生き抜いたら、そうしたらその時は迎えに行ってあげるから。がんばりなさいよね」


……嘘だ。

多分、彼女はこんなことは言わない。

俺が彼女に縛られて生きることを彼女はきっと望まない。


だから、これは、俺の願望だ。

彼女を忘れたくない、一緒にいたいと思う俺の心が作り上げた彼女の声。

でも。


(これくらいの贅沢はいいだろ。お前が待っててくれると俺が勝手に思うくらい)


そうでも思わないと、歩き出せない。彼女がいない世界に、一人きりではまだ立てない。

だから、今だけ。彼女が思い出になるまでの何年か。


(その間は付き合ってくれよな)


仕方ないわね、と笑う姿が脳裏に浮かび、俺は煤と涙でぐちゃぐちゃになった顔に無理矢理に笑顔を浮かべて、それから



生きた。






お読みいただきありがとうございました。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ