金曜日の夜の過ごし方の一例
お風呂から出たとき、彼は窓辺の椅子に座っていた。「何が見えるの?」と問いかけると、窓から目を離さないまま、「月しか見えない」と彼は応えた。どのくらい見続けていたのだろう、退屈しないのだろうか。そんなことを考えていると、おもむろに椅子から立ち上がってベッドに横たわった。私もベッドに向かい彼に身を寄せた。彼の手をそっと握り、さらに彼に近づいた。彼の髪から数年前と変わらない匂いがした。どちらからともなく唇を交わした。
窓からはもう月は見えなくなっていた。会話のなくなった部屋で、ふたりの荒い息遣いが聞こえていた。そのまま微睡んでいると、不意に彼が声をかけてきた。
「これからも上手に隠し事したままでいてね」
思いもよらない言葉にどきっとした。
「それなりに長く君と一緒にいるし、今は同棲してるんだから、さすがに気づくよ」
突然の展開に驚き、思わず問い返した。
「わかってるんだったら、なんで私なんかと一緒にいるのよ。あえて泳がせて仕返しでもするつもりだったってこと?」
慌てているからか、少し強い言い方をしてしまった。
「仕返しなんてするわけ無いじゃん」
私の感情とは対照的に、彼は穏やかな声のままだ。
「だったら、なおさら私と一緒にいる理由がわからないわ。さっさと別れて他の女に乗り換えればいいじゃん」
声色を変えず彼は続ける。
「彼女と一緒にいる理由が『好きだから』以外にあると思う?」
なんと言うべきかわからず黙ってしまう。
「それに今更別れたら、あまりに報われないじゃん」
「どういう意味?」
「高校の時から一緒にいたいから入りたかった部活も諦めて、同じ大学に行くために必死に勉強して、結婚も早いほうがいいだろうと思って一生懸命働いてたのに、結局別れるなんてかなしいじゃん」
唖然としてしまった。なぜこんなにも真剣に自分と向き合ってくれる人をないがしろにしたのだろう。
「君は隠し事が上手だから、ずっと確証がもてないように振る舞ってくれてるよね。だから、これからもそのままでいてね。そうすれば気にしなくて済むからさ」
彼の言動に、おかしな苛立ちをおぼえた。
「なんでそんなに穏やかでいられるのよ。君は被害者で酷い目に遭わされているるんだから、もっと私に怒ったらいいじゃない」
自分がその酷い目に遭わせている張本人なのになにをいっているのだろうと、少し可笑しかった。しかし、彼は淡々と続けた。
「僕は怒ってないからこのままでいいんだよ。それに無理して今日解決しようとしなくていいじゃん。何も為さないまま眠るのも金曜日の夜らしくていいでしょ」
そう言ってスマホで時間を確かめた。待ち受け画面には二年前の私が映っていた。
「おやすみなさい」
彼は私に言ったのだろうか、それともスクリーンに映った彼にとっての「愛しの彼女」の偶像だろうか。明日から彼とどんなふうに一緒に暮らせば良いのだろうか。これから彼にどんな顔を合わせれば良いのだろうか。何もまだ答えは出ない。でも今晩はもう寝よう。彼の言う通り、金曜日の夜なんてこんなものだろうから。