捕食者の本能!
コガさんが石に足を取られて躓く。
「あっ……!」
転んだ!
やはり、助けたほうがいいだろう。
俺は術の準備を始める。
オカダが俺の動きを手で制す。
「まあ、そのまま見とけよ。ゼンゾウ。ここで戦えないなら、コガちゃんはこの先、どうせ生き残れない」
「だから、そのために手助けをしてあげたいじゃあないか!?」
彼女の置かれた状況は複雑だ。
血液パック事件で危険視されていること。
戦闘への意欲が低く、任務での貢献が見込めないこと。
どうしても評価が低くなってしまう。
成果を上げないと、どのみち未来がないのだ。
吸血鬼を雇う……世間から隠すリスクは公儀隠密にとっても大きい。
「いや、コガちゃんだって吸血鬼だ。本能で戦い方はわかるんだって!」
コボルドが彼女に迫る。
倒れたまま、彼女は目をぎゅっとつぶっている。
彼女は体をかばうように手を差し出す。
「こ、来ないでっ!」
「ガウッ!」
コボルドの棍棒がその手を打ち払う。
ごきっ、と手の骨が砕けるようなイヤな音。
「きゃああっ!」
腕が折れたようだ!
もう限界だ! これ以上放置はできない!
しかしオカダが俺の肩をつかんで離さない。
「放せ!」
「待てって! もうちょい!」
コガさんはぶらりと垂れ下がる腕をもう一方の手で押さえる。
絶望したような、悲痛な叫びをあげる。
「ああああっー!」
「ガウッ!」
だがコボルドはかまわずに、いや、ますます勢いづいて彼女に向かっていく。
コガさんが腕を押さえながら立ち上がる。
先ほどの表情とは一転――怒りの表情だ。
見開いた目は赤々と輝いている。
「こ、こんなっ! よくもっ!」
コガさんがコボルドの顔面に折れた腕を向ける。
腕はぶらりと垂れ下がり、血が滴っている。
「よくもよくもよくも……!」
すると、腕から滴っていた血が動き始める。
まるで逆再生されるように腕を這い上っていく。
そしてその血が手の先で渦巻き、集まり――
「ああああっ!」
コガさんの手から刃と化した血が飛び出す。
それは、すぐそばまで近づいていたコボルドの首元へと命中する。
刃がコボルドの首を切り裂く。
「ガハッ!?」
コボルドは喉を押さえ、力なく膝をつく。
その傷口から噴水のように血がほとばしり出る。
返り血を浴びたコガさんは目を見開き、呆然と座り込んでいる。
「ああっ……」
「はやく飲め! 消えちまうぞー!」
オカダが声をかけると、コガさんはコボルドに飛びかかる。
「そ、そうだ……血ィ……! お、おいしいっ……!」
倒れたコボルドに覆いかぶさり、血をすする。
食事だ。
吸血鬼の本能とはこういうことか!
戦いの中で、捕食者としての本能が目覚める。
誰に教わるでもなく、戦い方がわかるのだ。
血を刃物に変えるスキルなんて、さっきまでなかったはずだ。
彼女が隠していたとは考えにくい。
必要に応じて手に入ったというのか。
少しして、コボルドが塵になって消える。
後には魔石が転がっている。
コガさんは名残惜しそうに、地面を手でまさぐっている。
こぼれた血も塵になって消えていく。
「はあ……はあ……。ああ、消えちゃった。もっと……!」
立ち上がったコガさんが口元をぬぐう。
その口元には鋭い牙が伸びている。
顔は青白く、返り血に染まっている。
血の汚れが塵となって風に流されていく。
その下に現れた顔はさっきまでの自信のないコガさんとは違う。
「これでコガちゃんも一人前ってこった! な。大丈夫だったろ。ゼンゾウ?」
「ヒヤヒヤしたわ! こういう手順なら、もうちょい先に説明しといてくれよ」
説明が足りないんだよな、みんな!
コガさんが俺のほうを振り向く。
らんらんと輝く赤い瞳を向け、彼女が言う。
「ああ! もっと……血を!」
その瞳から感情は読み取れない。
悪意はない。敵意もない。
もっとなにか原始的な衝動。
欲求……ごちそうを前にしたような飢え。
俺を見て、そう感じているのだ。
コガさんが息を荒げ、なにかを言おうとし――
オカダが手を叩きながら前に出る。
「へいへい! コガちゃん! ゼンゾウを食うなよ!?」
「あ……。ご、ごめんなさいゼンゾウさん!」
はっとした様子でコガさんが俺に頭を下げる。
「いや。気にしないでくれ。すまないが、俺の血はやれない。もちろん他の人間も食べちゃダメだ」
「人間を食うのはナシって約束で俺たちは生かされてるんだぞ。忘れんなよ?」
オカダは軽い様子で言う。
だがその目は厳しい。
もし彼女が俺を襲おうとしたら、オカダが処理する手はずになっている。
移動中に逃げようとした場合も同じだ。
コガさんがしどろもどろに弁明する。
「は、はい。忘れてたわけじゃなくて……気づかなくて……!」
「まあ、血に狂うのはよくあることだ。だから、もし人間を襲いそうになったら、俺がぶっ飛ばしてでも止めてやるから心配すんな!」
コガさんがぎょっとした顔で身を引く。
「は、はい。ぶっ飛ばす、んですね……」
「俺がそうなったらぶっ飛ばしてくれ!」
「そんな役目はやりたくないから、二人とも我慢してくれよな。ほんとに頼むぞ」
オカダは吸血衝動への耐性も持っている。
飢えには強い。
なによりオカダは冷徹なカミヤの配下として、生き延びてきた。
機を見るしたたかさがある。
だがコガさんは違う。
吸血鬼になったばかりで不安定。
能力もまだ未確定だ。
振れ幅が大きすぎる。
面談を重ねた御庭でさえ、安全だとは判断できなかった。
だからこうして現場での行動を見ている。
たしかに、さっきの彼女の変わり様は劇的だった。
これが血を前にした吸血鬼というものか。
オカダが飄々としているので、あまり意識していなかった。
考えてみれば、他の吸血鬼はもっと貪欲で、刹那的だった。
人間を人間と思わないような高慢な生き物。
「はい……落ち着きました。でも、これが私の力……。吸血鬼の力なんですね!」
そう言う彼女の口元は笑うようにつり上がっていた。




