復讐はドブの香り!? その5
暴食が犬塚さんに言う。
「その手……もう放せとは言わん。触れているところから食ってやる!」
犬塚さんは暴食の腕をつかんでいる。
その手から血が噴き出す。
暴食のスキルは手のひらに限定されない!
触れていれば発動できるんだ!
それでも、犬塚さんは手を離さない。
「ぐっ! だけどその前に、この腕はもらうよォ!」
暴食をつかむ腕とは逆の手で、ナイフがきらめく。
「ぐっ! 貴様……!」
ナイフは食われることなく腕に突き立っている。
攻撃が通った!
おそらく能力の制限は、サイズだ!
弾丸は小さい。
手に持った武器は体と一体だから大きい。
一度に大きなものは食えないんだ。
犬塚さんの手もそう。ゆっくりと、少しずつだ。
犬塚さんは手を離さない。
ゆっくりと食われている手から血が流れている。
犬塚さんのナイフも暴食の腕をえぐっている。
「あああっ! らあああッ!」
「ぐおおっ! 離れろっ!」
お互い血を流しながら腕を引きあっている。
膠着状態だ。
そして、俺はフリーだ。
卑怯とかそういうことは考えない。
俺は刀を振る。
「くたばれっ!」
「貴様ぁっ!」
動けないのなら、そのまま斬る!
ミネウチだけどな! トドメは犬塚さんのものだ!
暴食の体から激しく血が噴き出す。
な、なんだ!?
俺は斬っていない!
俺が斬るよりも早く、暴食の腕がちぎれたのだ!
「おまえ……自分で腕を!?」
暴食は犬塚さんに拘束された自分の腕を食いちぎったんだ!
同時に俺の刀もかわされてしまったってわけだ。
暴食は俺をいまいましそうに見る。
「ぐっ! この女ひとりなら、食えたんだがな! ここは退く! 貴様の顔は覚えたからな!」
負け犬めいた捨て台詞を吐くじゃないか!
だけど……覚えないでほしい!
血の噴き出る腕を押さえながら、暴食が身をひるがえす。
「待てっ!」
「獣よ!」
追おうとする俺を動物が阻む。
そいつを斬り倒すと、もう暴食の姿は通路の先に消えている。
犬塚さんが走っていく。
「ちィ! 見失ったねェ! だけど匂いを追えば……!」
「血の跡もある! 追うぞ!」
通路には暴食が流した血が残っている。
かなりの出血だ。
これなら追いつくのは難しくない。
「な、匂いが……ない!」
「血の跡も途切れているぞ……?」
周囲を見回しても、奴の姿はない。
この先は駐車場へ続く階段だが、先へ向かった様子もなさそうだ。
「ど、どこ行ったんスか!?」
「しゅ、瞬間移動でしょうかー?」
長距離を移動するスキルってことか?
そんな便利な能力、ダンジョンの外で使えるか?
それに――
「――そんな強力なスキルがあるなら、もっと早く使ってるはずだろ?」
「そうですねー。暴食さんはなんどか、逃げようとしてましたし」
「そうっスよ! そんな力あるわけないっス!」
漫画の忍者はよくドロンと消えるけど……あれってチートだよな。
敵陣の奥深くからでも生還できる最強能力だわ。
……欲しい!
犬塚さんが通路の壁を指さす。
そこにあるのは小さな扉。消火器と書かれた金属の扉だ。
「ここで匂いが途切れてるねェ」
「中に隠れるには狭い。まさか……」
「中からダンジョンの匂いがするよォ!」
「ダンジョンの……匂いだって? 別のダンジョンがあるのか!?」
今回の悪性ダンジョンは洋服店の試着室から広がっていた。
この場所は違う……。
トウコがじれったそうに言う。
「とにかく、開けてみればわかるっス!」
「気を付けてくださいね!」
俺は小さな扉に手を伸ばす。
「警戒しろ! 開けるぞ……!」
扉が開く。中には――
「転送門、ですね?」
「小さくなってくっス! 急がないと閉じるっスよ!」
黒く揺れる転送門は目に見えて小さくなっていく。
犬塚さんがいらだたしげに壁を叩く。
「くそっ! アタシは中に入れないんだよォ!」
犬塚さんは普通のダンジョンには入れない。
これは悪性ダンジョンじゃない!
俺たちは入れるが……。
「どうしますか、ゼンジさん!?」
「はやく追いかけないと逃げられるっス!」
入ってヤツを追うか?
それとも追跡を諦めるか?
「……やめだ! 犬塚さんが入れないなら、深追いしてもしかたがない!」
転送門が小さくなって、消える。
「あー! 消えちゃったっス!」
「いいんだよ。得体のしれないダンジョンに入るには準備が足りない。危険すぎる!」
「あいつを殺るのはアタシだ。ムカつくが、これで匂いがとぎれてる理由がわかった! 隠密能力だと思っていたけど、奴はこうやって移動してたんだねェ……!」
現場に残された匂いから追跡できない理由が分かった。
「ダンジョンを使って移動しているってわけか……」
リンは首をかしげている。
「でも、どうやってですか? 転送門って動かせるんでしょうかー?」
「うーん。俺たちのダンジョンの入口は動かせないよな」
トウコが消火器ボックスの扉を開け閉めする。
中には消火器があるだけで、もう転送門は消えている。
「あたしの冷蔵庫みたいに動かせる箱ならできるんじゃないっスか? だけどこの扉は動かせないっスねー」
「扉だけじゃなく、この空間ごと切り抜いてはめ込んだ……とか?」
「そういう細工の痕跡はないねェ……匂いはまわりと馴染んでいる」
「そんなことまでわかるんですか? 犬塚さん」
「ああ。匂いってのは薄れたって、すぐには消えない。まるで歴史みたいに染みついているのさァ」
「すげーっスね! 匂いを嗅ぐ能力とか、なめてたっス!」
舐めてたことを自白するな!
怒られるぞ!?
犬塚さんはため息をつく。
「まあともかく、奴はもういない。匂いもしっかり覚えた。どうやって姿を隠しているかもわかった。逃がしたのは惜しいけど、得たものは大きかったねェ!」
犬塚さんは獰猛に笑う。
気持ちは萎えていない。
それどころか、これまで以上に復讐の炎は燃え上がっているらしい。
手のひらからは血が滴っている。
ひどい状態みたいだが、痛くないのかな?
「犬塚さん。とりあえず血を止めよう」
「あたしが応急処置するっス! 包帯持ってるっス!」
犬塚さんは頷いて、手を差し出す。
「ああ、ありがとうよォ」
「うぇー! これは痛そうっス!」
トウコが犬塚さんの手に包帯を巻いていく。
外だからスキルは働かないが、なにもしないよりマシだな。
「手助けは無用だなんて言ったけど、あんたらにはずいぶん助けられちまったねェ」
「いいんだ。あいつは俺たちにとっても倒すべき相手だった」
とりあえず、危険は去った。
逃がしたとはいえ、情報は得たし、痛手も与えた。
そしてなにより、俺たちは無事だ。
さあ、帰ろう!
 




