うるおいの時間。約束があるって素晴らしい!
マスクをしている前提ですが、表情を読み取れる謎。
目元や雰囲気、声色から察しているのでしょう。
オトナシさんはピンク色のマスクをしている。
俺は黒色マスクだ。
ヒゲが伸びていることもバレないだろう。
マスク越しでも表情はある程度分かる。
だけど、生の表情が見られないのはもったいないな。
まずは昨日いただいた肉じゃがのお礼をする。
「昨日の肉じゃが、うまかったです! ちょっと泣きそうになったくらい!」
「えっ! そんなに……?」
「そりゃもう! 味といい、あたたかさといい、最高でした! ごちそうさま!」
「わあ、そんなに喜んでもらえたなら……私もうれしいです!」
俺は思いつく限りの賛辞を贈る。
俺の語彙では伝えきれない。でも、こういうのは気持ちだ。
おいしかった。ありがとう。
そういう感謝が伝わればいいんだ。
オトナシさんは喜び半分、恥ずかしさ半分といった表情だ。
その顔を見て、心が温まる感じがする。
ああ、うるおう。癒される。
これだよ。俺に足りないのはうるおいだ。
オトナシさんの癒し成分が俺の心を満たす。
「そういえば朝の時間の約束してませんでしたね。すみません、オトナシさん。もしかしたら、お待たせしてしまったんじゃないかと……」
いつもはゴミ出しのタイミングで話していたからな。
ゴミ出しなら大体八時前くらいだ。
収集日じゃないと、タイミングを合わせにくい。
毎朝何時、みたいに約束すれば……毎日会えるじゃないか。
探索で荒んだ心を癒してくれる。
心のオアシス、オトナシさん。
「……いえ。私もうっかりしてました。なので、今日はサンドイッチにしてみました!」
じゃじゃーんと、弁当箱を取り出すオトナシさん。
少し恥ずかしそうに頬を染めているのが高ポイントだ!
「おお、いいですねサンドイッチ! 弁当にもできますしね」
「あ、今日はお仕事ですか?」
あ、やべ。
家から外へは出ないんだ。
弁当ってなんだって話。
ダンジョンへ潜っていることは、秘密だ。
バレるわけにはいかない。
「いや、お仕事ではないです。……ちょっと、やりたいことがありまして」
「……? そうですか。やりたいことができるっていいですよね!」
よかった。深く追及しないでくれた。
ええ子や!
どうも歯切れが悪くなってしまう。
仕事を辞めたとはまだ、言っていない。
別に言わなくてもいいことなんだけど、なんとなく気が引ける。
前に「仕事を頑張っている姿を尊敬している」みたいなことを言われたんだよな。
今は働いてないでーす。なんて言えるだろうか。
失望しました! とか言われたら泣いちゃう。
「うん、まあ。有休もたまっていたから。長期の休みを取ったんですよ」
嘘ではない。有休は申請している。
そして有休はあふれて消えるほどに持っている。
これまでほとんど使ったこともなかった有休休暇……。
言葉の上だけでも役に立ってくれたな!
そうか。有休制度って今日このために存在していたのか!
「お休み取ってるんですね。……無理は良くないですから」
「そうですね。無理は良くない!」
笑顔でうんうんと頷く俺。
毎日、ダンジョンの中で無理をしているとは言えない。
「無理はよくないですよね……」
彼女の表情は少し暗い。
何か言いたいことがあるのだろうか。
やっぱり、待たせてしまったんだろうか……。
無理して気にしていないふりをさせてしまったか。
「……オトナシさん、どうかしました? もしかして、待たせてしまったから?」
「い、いいえ。時間は約束していないので、勝手に早起きしてただけです。そうではなくて……」
待ってたーッ!
でも、それは関係ないっぽいな。
オトナシさんは言いよどんで、うつむいてしまう。
「そうではなくて……?」
彼女は迷ったような表情を浮かべていたが、意を決して口を開いた。
「じゃあ、今度……。その、相談に乗ってもらえますか? あ、お時間のあるときで」
「相談ですか? 俺なんかでよければいつでも。今からでも聞けますよ」
何か困っているなら、力になりたい。
解決できないことでも、話を聞いてあげるだけでもいい。
「……よかった! でも、今日はちょっと。考えをまとめないとすぐには話せないので……」
「じゃ、準備ができたら声をかけてくださいね。遠慮はいりません」
そういうと、彼女の顔色は少し良くなった。
何か込み入った話なんだろうか。
今はそれを無理に聞くことはできない。
彼女のタイミングを待つしかないだろう。
「あ、そういえば。明日の時間決めましょう。八時でどうですか?」
「はい。その時間で。明日はなにを作ろうかな……」
そういえば、明日は俺も一品作ろう。
仕事ではしょっちゅうやっていたことだ。
作ってもらってばかりでは悪いしね。
「あ、明日は俺も何か作りますね。タマゴ料理にしようと思いますが、嫌いじゃないですよね?」
「あ、クロウさんは飲食店にお勤めでしたね。わあ、それは楽しみです。じゃあ私は野菜を使った料理を考えておきます」
そう答えて笑う彼女の表情は、明るいものに戻っていた。




