標準治療と先進治療……命の選別!?
広がろうとするダンジョンと、食い止めようとする世界の力。
その境界線には、実際に壁があるわけじゃない。
「……なら、閉じ込められるとは言っても、外へ逃げ出せるってことですか?」
「運が良ければね。一般人は壁が見えないから、どこに逃げればいいかわからないんじゃあないかな」
「でも、運よく壁のほうへ逃げるか、端まで走ることができれば助かりますよね?」
「うーん……難しいだろうね。境界線を通り抜けたときに認識阻害を受けるからね」
「一般人が認識阻害を受けるってことは記憶を消される……?」
御庭は頷いて言う。
「だから境界線を越えるとぼんやりと立ち止まってしまう。そこに広がってくるダンジョンが追い付いてくる」
「エグっ!」
なんだよそれ!
せっかくダンジョンから逃げても、世界が邪魔をするってこと!?
一般人は守るべき対象なんじゃないのか?
「世界の隠蔽しようとする力は無条件に働いてしまうからね。ダンジョンのことを知った人間は記憶を書き換えられる。悪性ダンジョンは大きな異常だから、記憶の修正もかなり派手になる。ごっそり記憶を消された人間は、逃げ出そうと考える理由を失っちゃうんだ」
「隠蔽強すぎる……。必ずしも世界は味方じゃないってことか……!」
ダンジョンは異物だ。
世界はこれを排斥する。
ダンジョンに関わった人間もまた、汚染される。
世界はこれを除染する。
「そうなんだ! だから逃げられずに閉じ込められる。まず助からない。――だけど、彼らにだって味方はいる」
「そんな正義の味方みたいな奴がいるのか……」
なんだ。よかったわー!
だったら、そいつが助けてくれればいいよね!
御庭がドヤ顔で言う。
「いるじゃないかここに! 僕たちだよ! 異能者とダンジョン保持者は認識阻害を受けないから、境界を越えて出入りできるってわけさ!」
「おお! おおぅ!?」
俺たちだったーッ!?
「つまりこれが僕ら公儀隠密の仕事ってわけさ! やる気出てきただろう?」
御庭は俺をじっと見る。
思ったよりも重い仕事だった。
だけど、やらなきゃならない仕事だ!
そもそも俺は最初からやる気なんだ。
尻込みするつもりはない!
俺は頷く。
「ああ、これはやりがいがありそうだ……!」
「中の人々を導いて、外へ連れ出す。そうすれば命を助けることができる! 記憶が消されるから感謝されることもない。忘れられてしまう。命を賭けて、人知れず戦うわけさ!」
「まさに忍者の仕事ってわけですね!」
これが人々を守るってことか。
いい仕事だな、公儀隠密!
「でしょ!? クロウ君ならわかってくれると信じていたよ!」
御庭が笑顔で俺の肩をバンバン叩いてくる。
「ちょ、痛いですよ」
おう、陽キャめ。距離感が近いわ!
「ほらね、ナギ君! クロウ君を誘って正解だったでしょ?」
「――そうですね」
ナギさんは真顔で――いや、少しだけ笑って頷く。
冷静美女のチラ見せ笑顔だ!
いいものを見た!
「えーと、囚われた人を助ける方法はわかりました。外に連れ出せばいい」
「うん。そうだね。外に出して安全な場所に送り届ければ解決だ。前後の記憶は忘れちゃうから、僕らの正体もバレない」
認識阻害の力をうまく使うわけだ。
「外に出てからまた広がったダンジョンに迷い込んじゃうことはないんですか?」
「ある。だから外側に待機させる人員でフォローする」
自宅がダンジョン領域内にある場合とか、また入ってきてしまう。
それは人手でフォローする。
「ダンジョンがどんどん広がったら被害は大きくなりますよね。じゃあ、どうやって潰すんですか?」
悪性ダンジョンの潰し方は持ち主のなれの果てを殺すことだ。
これは前に聞いた。
具体的な方法を知りたい。
御庭が大きく息を吸い込んで語りはじめる。
「それにはいろいろと方法があるんだけど――」
「あ、三行でお願いします。短く!」
聞いておきたいことだけど、話が長すぎるんだよな。
「うん? 飽きちゃった? じゃあ短くするね」
「はい」
「探す。倒す。脱出する!」
うわ。三単語で答えよる!
満足げな顔やめろ!
「えーと、終わり? シンプル過ぎません?」
「じゃあ補足しよう。ボスがダンジョン領域内にいたら倒す。いなければダンジョン領域の中心から出てくるのを待つ。急ぐ場合はダンジョン内に入っていく」
御庭は早口で言う。
「いや、話す速さは普通でいいですよ!?」
「そう?」
「……探す工程もいろいろとありますね」
「で、見つけたらボスを倒す。倒し方は個体ごとに違う」
俺の知ってる範囲でもボスモンスターの能力や姿かたちはそれぞれ違う。
倒し方はそのときごとに違うだろう。
「ボスは元人間……ダンジョン保持者の変異した姿ですよね。これを殺すんですね」
「そう。ボスはもう元には戻らない。僕らはモンスターとして扱う」
御庭は表情を曇らせながら言う。
俺はダンジョン保持者のことも助けたいと言った。
「モンスター扱いですか……。なんで戻せないって断言できるんですか?」
トウコは変異しかけていた。
あのまま行けばモンスター……ボスのような個体になるんだろう。
だけど俺の経験値を与えることで元に戻った。
ダンジョンだって悪性化せずにすんだ。
死んでも復活できるダンジョンという条件はつくけど、元に戻す方法はある。
これは御庭が知らなかった新しい方法だ。
なんで試す前からできない前提で話すんだ?
俺は少し不満げな表情で言う。
御庭の表情は曇ったままだ。
「クロウ君のやり方でも戻せない。それはもうわかっている」
「もう試したとでも?」
「試したんじゃない。――戦いの中で命を落とした仲間がいる。だけど、敵は弱まったり人間に戻ったりはしなかった……」
「……ああ、そうか。戦って死ぬこともあるんだ。それは……」
御庭は暗い雰囲気を払うように手を振って言う。
「ああごめんごめん。辛気臭くなるね!」
「いや、こっちもすいません。考えればわかることでした」
俺は目を閉じて、戦って死んだ仲間……先人に思いをはせる。
ダンジョンは危険だ。悪性ダンジョンならなおさらのこと。
戦って死ぬことだってある。
俺がこれからやる仕事はそういうものだ。
御庭たちはずっとこれをやってきたんだ。
軽く扱うことはできない。
御庭は続けて言う。
「ダンジョンを潰すには危険が伴う。だから悪性ダンジョンでは元人間……あえてモンスターと呼ぶけど……モンスターを助けようとしないでほしい。もうさんざんやってきたことだ。先人の知恵。積み上げた経験だ。助ける方法はない。確立された手順なんだよ!」
「セオリーですか……」
病気の治療で考えるなら、標準治療だ。
この標準は、妥当とか並みの方法という意味じゃない。
有効な方法。安全な方法。最良の治療方法なんだ。
俺のやり方は最新治療かもしれない。
だけど症例は少ないし、安全でもない。
限られた状況で偶然うまくいっただけかもしれない。
「仲間が死んだ場合だけじゃない。モンスターは悪性ダンジョンの中で、人々を殺す。だけど、元に戻ることはない」
「……そうか。悪性ダンジョンのなかで元人間だったボスモンスターは人を襲う。殺す。だけど、それで人間に戻ったケースはないんですね?」
ダンジョンのボスモンスターになってしまった時点で、もう人間に戻るすべはない。
「そうだ。トウコ君のケースは初めてのケースだ。悪性化前の段階だったこと。そこにクロウ君がいたこと。命を捧げたこと。死んでも蘇れるルールのダンジョンだったこと。いろんな条件がかみ合ってはじめてできたことだと思う」
「そうですね。トウコが復活できなくなってすぐ、変異の途中で俺が間に合ったからできたことだと思います」
「だからこれは奇跡なんだ。毎回できる保証はない。狙ってやるようなことじゃないんだよ!」
「確かにそうだけど……俺はトウコがもう一度そうなったとき、やっぱりやると思う」
「……それを止めはしない。だけど、だれかれ構わずやることじゃない。クロウ君が死んだら悲しむ人がいるだろう?」
「そうですね。俺は大切な人を泣かせてまで他人を救えない……。だから手の届く範囲。死なない範囲で助けることにします」
命と引き換えに他人を救うことはできない。
できる範囲、自分が死なないように人々を救う。
それが精いっぱいの落としどころだろう。