悪性ダンジョン……それはガンのようなもの!?
普通のダンジョンはダンジョン保持者以外には影響を与えない。
見えないし、入れない。
ダンジョン保持者である俺には、黒い水面のような転送門が見える。
異能者である御庭には見えないし、触ってもダンジョンには入れない。
「――でも、悪性化すれば別だ」
「普通のダンジョンと悪性ダンジョンは違うんですね」
御庭が頷く。
「そう。条件を満たしたダンジョンは、その存在を拡張するんだ。こっち側に広がり、浸食してくる」
「浸食……」
「そのとき、ダンジョンとこの世界は境界が曖昧になってしまう。ガン細胞みたいに、周囲を飲み込んでいく。この状態を悪性ダンジョンと呼んでいる」
普通の状態では、ダンジョンとこの世界は交わっていない。
浸食されていない。
悪性ダンジョンとなると、この世界の側に広がってくるわけだ。
「そのとき、僕ら異能者はダンジョンに入ることができる」
「悪性化すれば入れるようになると」
「そうだね。だけど、基本的には入らずに外側で対処する」
「入れるのに入らない? なんでですか?」
御庭は肩をすくめる。
「そりゃ、アウェイだからさ。不利になる。僕らの能力はダンジョンの中では弱まるからね」
「ああ、なるほど……。俺のスキルもダンジョンの外だと弱くなりますね。その逆ですか!」
ダンジョンの力は外では弱まる。
最初は全く使えないと思っていたくらいだ。
スキルレベルが下がり、ステータスはなくなる。
「正解! つまりこの世界では君がアウェイということになるね」
「なんだか嬉しくないですね……」
現実世界でアウェイってなに!?
俺、この世界で生まれた地球人デスヨ! 人間デスヨ!?
ちょっと寂しいじゃないか。
「なんとなくわかってきました。だから御庭さんたちはホームであるこっち側、この世界の側で迎え撃つわけですね」
「そう! 悪性化すれば、ダンジョンの中身が外へあふれ出る。そこを僕らは叩く。とはいっても、周囲への被害が出そうな場合は乗り込むこともある。不利だなんて言ってられないからね」
なるべく有利なホームで。
状況によってはアウェイで戦うこともある。
当たり前の判断だ。
命を賭けて戦うわけだから、有利な場所で戦うべきだろう。
悪性化すれば、中に入ることができる。でも入らない。
なら、その前段階だとどうなる?
「悪性の前段階……その状態でも中に入れるんですか?」
「あちら側から引き込んでくるんだ。ほら、あの黒い触手だよ。あれで僕らもダンジョンに入ることができる」
御庭は手をうねうねと動かし、隣に座るスーツの女性に手を近づける。
黒い触手のジェスチャーだ。
彼女は無言で身を引く。
あの触手につかまると、ダンジョンの中に引きずりこまれる。
そうすればあの段階でも、冷蔵庫の中に入ることはできたわけだ。
だったら――
「昨日はどうするつもりだったんですか? まだ悪性の前段階でしたよね」
「悪性になる手前、ギリギリの状態だね。僕らはやっとたどり着いたところだった。クロウ君がいたから、状況を見守っていた。悪性化したら介入するつもりだった」
悪性化してから?
それじゃあ遅くないか?
「もっと早く介入して欲しいですね……」
「悪性化してから叩くのがセオリーなんだ。確実な方法だ。中で戦うのは危険すぎる」
セオリーか。
御庭たちの普段の手順。定石。
「セオリー? だけどそれじゃあ、トウコは助けられなかった!」
悪性化してから叩く。
つまり、ダンジョン保持者――トウコが死ぬのを待つことになる。
「戻ってこれないかもしれないんだよ。クロウ君も危険だった。僕はそれを止めようと――」
俺は御庭の言葉を遮って言う。
「――悪性化してから介入すると言いましたね。その場合は――」
「その場合、トウコ君を殺すことになっただろうね」
御庭はすまなそうな顔をする。
俺は苦い顔で頷く。
「ああ、そうか。前に聞きましたね。殺す以外方法がないと思っていたんですね……」
「クロウ君のやり方は想像もしていなかったからね」
ダンジョンの持ち主が中で死ぬ。
これが悪性ダンジョンになる条件らしい。
悪性ダンジョンを潰す方法は、その持ち主を殺すこと。
だから御庭たちが介入していたら、トウコは死んでいた。
そんな解決方法じゃ、俺とは相容れない。
俺は口調に非難の色をにじませる。
「不利だから入らなかったんですか? そうだとしても、できることはあったんじゃないですか!?」
どうして早く助けてくれなかったのか、と考えてしまう。
これは我儘だと分かってはいるが、言わずにはいられない。
御庭は悲しそうな表情で言う。
「そうだね。できることはあった。例えばクロウ君と一緒にダンジョンへ入るとかね。だけど、状況は複雑だったんだ。部下を死地に追いやることはできない。わかってほしい」
彼らの任務はダンジョンの害を防ぐこと。人々を守ること。
ダンジョンの持ち主を救うことじゃない。
助ける優先順位がある。選別だ。
変異したダンジョンの持ち主は……異物として排斥される対象なんだ。
ダンジョンがガン細胞だとすれば、その持ち主も侵されている。
腫瘍は外科的に取り除かれる。切って捨てられる。
周囲を……普通の人々を守るために。
御庭たちが間違っているわけではない。
人々を守るための手順、標準治療だ。
落ち着け……頭を冷やせ。忍べ。
これは八つ当たりだ。
感情に任せて当たり散らしてもしかたがない。
俺は頭を下げて言う。
「……ちょっと、意地の悪いことを言いましたね。すみません」
「いや、クロウ君の立場なら当然のことだ。僕らももっとうまくできていればよかった。すまなかったね」
御庭は静かに頭を下げる。
「いえ……悪気はなかったとわかっています。それでも……俺はダンジョンに殺される人間を助けたい。持ち主のことだって、助ける方法はあるはずだ!」
「クロウ君……。それは難しいことだ。全員を救うのは理想だけどね。できる範囲でやるしかないんだ」
多数を助けるために少数を切り捨てる。
これは悪いことではない。分かっている。
全部を選ぶなんて、できない。
現実的に無理なことはある。
そりゃそうだ。俺に全知全能の力なんてない。
御庭にも公儀隠密にも、そんな力はありはしない。
だけど――!
「理想論だとしても、俺はそれを諦められない。諦めたくない!」
「……でも、君は不可能だと思うこともやってみせた。トウコ君を救いだした。あれは僕にとっては予想外の出来事だったんだよ!」
「俺はトウコのように、他の人も助けたい。切り捨てて殺してしまうのではなく、救い出してやりたい!」
「クロウ君の考えはわかった。僕ら公儀隠密もやり方を見直す必要はあるだろう。だからこそクロウ君が必要なんだ。僕と一緒に、少しずつ変えていこう!」
「少しずつ……そうですね」
「あらためて、クロウ君。僕と公儀隠密として働いてくれるかな? 手の届く範囲、君のやり方でかまわない。できる限りの人を救う。人目に触れない陰働きだ。忍びの仕事だ。僕らは災害を防ぐ。人々を守る。そういう仕事だ。やってくれるかな?」
御庭は俺に手を差し出す。
俺はその手をとって、答える。
「ああ、やる。やらせてもらう! ……ダンジョンに食われる誰かを救うために!」
結局のところ、やることは同じだ。
トウコのダンジョンは危険だ。俺やリンのダンジョンだって危険を秘めている。
どこかに悪性ダンジョンが現れる。
それを放ってはおけない。
それなら情報は多いほどいい。仲間は多いほどいい。
御庭はうさんくさい奴だが、悪いやつとは思えない。
そう思わされているだけだとしても、俺はそれを信じる。
疑うばかりでは先に進めない。
「よく言ってくれた! じゃあ、これからよろしく頼むよクロウ君!」
「ああ、よろしくお願いします。といっても、条件の細かいところは詰めさせてもらいますが」
やるとは言ったが、無条件ではない。
ひどい条件でブラック労働に逆戻りするつもりはない。
ブラックな忍者とか、最悪だろう。
「もちろんだ。まず、僕はリーダーとして指示することになる。けど上下関係は気にしなくていいからね。僕らは役人でも公務員でもない。忍者だからって、使い捨てにもしない。安心してほしい」
フランクな組織らしい。
忍者として、それはどうなんだろうね。
上下関係は厳しくないようだ。
それはスーツの女性の態度でもわかっていた。
御庭を気遣っているようではあるけど、へりくだった態度ではない。
護衛というか、秘書とか世話女房みたいな雰囲気で俺たちを見守っている。
「組織から抜けると死が待ってるとか、ないですよね?」
抜け忍には死の掟が待っている、とかイヤである。
「ないない。でも抜けないでね!」
こうして俺は、公儀隠密に所属することになった。