冷蔵庫は無理ゲーで! その2
ふわりとした感覚。
俺は――ダンジョンの中に立っている。
洋館のエントランスホールだ。
状況を把握しようと、周囲を観察する。
「……入れた! 今は六ウェーブか? いや……違う」
ボス部屋のドアは閉まっている。
こじ開けて破損した扉はもとの状態に戻っている。
つまり今は、開始直後の状態。一ウェーブ前だ。
俺はトウコを探す。
食堂にとり残されているのか?
いや、食堂のドアは閉まっている。中にはいないだろう。
ダンジョンに入ると、最初はエントランスホールから始まる。
閉まっている玄関ドアの前あたりからスタートする。
なら、そう離れていない場所にいるはずだ。
そして、トウコはすぐに見つかった。
階段の踊り場にいる。
よかった。
しかし、こちらに気づいていない。
俺は手を大きく振って声をかける。
「お、居たな。おーい、トウコ!」
だが、返事はない。
……外に排出されずに、ここに復活したんだろうか?
いつもと違うのは、なんでだ?
もしかして、デスペナルティのせいかもしれないな。
経験値を失いすぎて、外で復活できなくなったとか。
ボスに挑むにはレベルはギリギリだった。
例えばレベルが一定以下だと、外で復活できない仕様があるのかもしれない。
この理不尽なダンジョンならありそうなことだ。
これまでトウコのレベルは二より下がったことはないはずだ。
今回はレベル一まで下がったのかもしれない。
もしかしたらゼロだったりしてな。
だとしても、またレベル上げをすればいい。
俺が手伝えば、どうにでもなるだろう。
トウコはフードをかぶって、こちらに背を向けて座り込んでいる。
妙な胸騒ぎを覚える。
それを振り払うように、俺は階段を駆け上がって肩を叩く。
「おい、トウコ?」
「う……」
反応が悪い。
復活してすぐは意識が混乱することがある。
俺だって、そうだった。
さっきは派手にやられたからな。
腕は斬り飛ばされるわ、胸までバッサリ斬られるわ。
だから、混乱しても仕方がない。
「どうした? まだ目が覚めてないのか?」
トウコがゆっくりと振り向く。
窓から差し込む月明かりにトウコの顔が照らされる。
その顔は血色を失って青白い。ほどんど蒼白だ。
その目はうつろで……ぼうっと呆けたような表情を浮かべている。
「うウゥ……?」
その声も、どこかおかしい。
いつもの明るさも軽快さも感じられない。
「……そろそろ、しゃっきりしたらどうだ?」
俺は空回りする頭で考える。……考えようとする。
うまく、頭が回らない。
そうだ。混乱しているんだ。
俺も混乱してきた。
トウコがよろよろと緩慢な動きで立ち上がる。
その口から涎が糸を引いて垂れる。
「うゥ……アァ」
トウコがよろけながら、近づいてくる。
差し出された腕がぎこちなく揺れている。
「おい……ふざけるのはよせ。ここでゾンビごっこシャレにならないぞ!」
トウコは応えない。
その目はまるで死んだ魚のように澱んでいる。
トウコの生気のない手が俺の首筋に触れる。
ひやりと冷たい感触。
体温を感じさせない、死人のような冷たさ。
死人のような……?
俺はその考えを頭から追い出そうとする。
「そんな……嘘だッ!」
そんなはずはない。
そんなことがあるはずが……。
ゾンビに噛まれてもゾンビになったりしない。
前にふざけてゾンビ映画ごっこをしたとき、そんな話をした。
トウコの体には傷ひとつない。
噛み傷なんてない。
感染なんてしていない。
これはゾンビ化じゃない。
「ウウ……アアア!」
トウコが、トウコだったものが……俺を食らわんと大きく口を開く。
ゾンビのように緩慢なその動き。
押し返すことも躱すことも簡単だ。
足を払って、ちょっと押すだけ。
だが、俺はそれができなかった。
俺はなんとか、その顔を手で押しとどめる。
「ガァッ!」
「――うああっ!」
その手にトウコが歯を立てる。
激痛。血がしたたり落ちる。
――あたしがどうしようもなくなったら……楽にしてほしいっス
あのとき、トウコはそう言っていた。
――そんなときがきたらってことっスよ!
――店長がそうなったらあたしがカタをつけるから安心してほしいっス!
そんなときがきたら。そうなったら。
……今が、そのときなのか。
――お願いするっス! 死ぬよりヤバいことってあるんス。ゾンビ映画と同じっスよ!
俺はあのとき、約束した。
だから、やるべきことを……。
「……できねえよ」
「アァグァ……」
目の前のトウコだったもの……違う。
だったもの、なんかじゃない! これはトウコだ!
トウコが首をかしげるように傾けながら、よろよろと俺に近づく。
俺はこぶしを握り締める。
傷ついた手から血が滴る。
この手は殴るためにあるんじゃない。
命を奪うためじゃない。
――痛みが、俺の思考をクリアにする。
この手は……掴むためにある。
命を奪うためじゃない!
やっと、頭が働いてきた。
あのとき、話した内容を思い出す。
デスペナルティ。失われる経験値。
余剰ダメージ。より大きく奪われる経験値。
このダンジョン固有のルール。
「やるべきことがわかった……だが、これには覚悟がいるな!」
だが、覚悟は最初からしていたはずだ。
手を離さない。トウコを諦めない。
俺は、助けるためにここに来たんだ。
俺が目指すのはこの悪夢からの脱出エンディングじゃあない。
トウコを殺すことなんかじゃない!
そんな結末は認めない。
俺が目指すのは、トウコを連れて戻る結末だ。
――うん! 諦めないって決めたっス! 店長とグッドエンディング目指すっスよ!
そうだ。グッドエンディングだ。それしか認めない!
俺は膝をついて、両手を広げてトウコを迎え入れる。
「ほら、来いよ!」
「ウウ……!」
トウコが俺の首筋に噛り付く。
俺は口からあふれる絶叫を押しとどめる。
俺をむさぼるトウコの背に手を回し、抱き寄せる。
トウコがこうなった原因は、デスペナルティだ。
経験値を失い過ぎた。
その結果が今のトウコの状態だ。
ゾンビのような、モンスターのような状態だ。
経験値が足りないんなら――それを与えればいい。
命を奪うのではなく、与える。
モンスターと人間は経験値の奪い合いだ。
俺は死に、経験値を奪われる。
奪われた経験値は――。
こんな考えが正しいかはわからない。
もし間違っていても、せいぜい俺が死ぬだけだ。
それに、生き返るとわかっている。
打算の死。取り返しはつく。
だから、俺の命ひとつなんて安いものだ。
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