冷蔵庫は無理ゲーで!
「おいトウコ……終わったぞ。 おい!……気絶してるのか?」
いくら呼び掛けても、トウコは返事をしない。
そのとき料理人が塵となったあたりの空間が歪む。
そこに音もなく、黒い水面が現れる。
「出口だ! 目を覚ませトウコ! 出口が出たぞ!」
やはり、ボスを倒せば出口が開く!
トウコは目を覚まさない。
傷はひどいものだが、もう血は流れていない。
クリアしたんだ。外に出れば治るはずだ。
出口――水面がだんだん小さくなっていく。
「まずい! 出口が閉じそうだ!」
俺はトウコをしっかりと抱きかかえて、水面に飛び込む。
ふわりとした感覚。
転送門をくぐるときのいつもの感覚。
だけど、なにか引っかかりを覚える。
俺は冷蔵庫から吐き出され、キッチンの床に放り出される。
背後で冷蔵庫のドアがばたりと閉まる。
「いてて――クリアしたときくらい優しく出してくれないもんかね!?」
だが、俺の軽口に返事はない。
トウコの姿はキッチンにない。
「あれ? 時差でもあるのか? いや、抱きかかえていたんだから……おかしいだろ」
同時に外に出てくるはずだ。
これまで同時に死んだことはないから、なんとも言えないが。
抱きかかえていたなら、そのままの体勢で出てくるのが普通だろう。
どうなってんだ……?
「ひとりずつしか出られないのか?」
転送門のしくみはよくわからない。
俺やリンのダンジョンでは試したことがある。
転送門は、歩いて反対側へ通り抜ける感じではない。
水面に触れた瞬間に引き込まれる感じだ。
扉をくぐるというよりは、瞬間移動のようなイメージ。
触手が伸びて引き込むという違いはあるが、この冷蔵庫ダンジョンも同じはず。
俺が先に出口に触れたことで、俺だけが中に入った?
そんなことがあるだろうか……。
だとしても、手に抱えていたトウコは慣性で出口に触れるはずだ。
ものすごい不運でも起こって、トウコだけが門に触れない可能性……。
そんなこと、ないだろう。
いくらなんでも、それはない。
ランタンもついていた。不運は起こらないはずだ。
しかし、いくらなんでも遅い……。
「なんで、出てこない……なんでだ!?」
まだ、中にいる?
死んだら塵になる。そして冷蔵庫ダンジョンの外に排出される。
あのときトウコの体は塵にならなかった。
死んでいないはずだ。
そのはずなんだ。
じゃあ、トウコはどうなった?
「おい……どういうことだよ! ボスは倒しただろう!?」
俺の声はキッチンにむなしく響く。
返事は帰ってこない。
「助けたはずだ! 間に合ったはずだ! トウコ! 隠れてないで出て来いよ! おい……!」
俺は床にこぶしを叩きつける。
こぶしが傷つき、痛みを感じる。
これは夢じゃない。現実だ。
悪夢は覚めたんだ。
「俺だけ……? 俺だけが外に出たのか?」
冷蔵庫のドアは閉まっている。
これまでは開いたままのドアから、黒い触手がうねうねと伸びていた。
今はその黒い腕も見当たらない。
冷蔵庫のドアを開ける。俺は愕然とする。
ダンジョンの入り口である黒い水面……転送門が、ない。
「な、なんだと……?」
俺は扉を閉めて、もう一度開く。
同じだ。転送門はない。
中には食材や飲み物があるだけ。普通の冷蔵庫だ。
「どうなってる……? 待てよ……。待ってくれ! トウコを返せ、返せよォ!」
俺はドアを開けたり閉めたりを繰り返す。
ダンジョンが……消える?
そんなことがあるはずが……。
まさか……。
クリアしたから消えた?
「いや、こっちか……?」
俺は縋るような思いで、冷蔵庫の下段、引き出し式の冷凍庫を引き出す。
そこには――黒い水面が揺らめいている。
「あった!」
黒い水面は小さな波を立てている。
先ほどまでのように激しく波打ってはいない。黒い腕もない。
俺のダンジョンの転送門と似た状態だ。
「これは……ボスを倒して落ち着いた、のか?」
もしかすると、本来の入り口はこの冷凍庫なのかもしれない。
なんらかの理由でふくれ上がった入り口が、冷蔵庫全体に広がっていたのか?
ボスを倒して、その異常な状態が収まったのかもしれない。
「くそっ! だけど、どうすればいいんだ?」
ここで待っていればいいのか?
いや、死亡から排出までにこんなに時間がかかったことはない。
なら、トウコは中に取り残されていると考えるのが自然だ。
ひとりきりで、中に。
死んでいないが動けない状態。
あるいは、転送門が閉じて出口がなくなってしまった?
そのまま閉じ込められて、六ウェーブがはじまっているのか?
……くそ! わからないことばかりだ!
中と外では、時間の進みが違う。
こうしている間に、中ではどれだけの時間が経つんだ……?
あのとき、トウコはどうみても致命傷を受けていた。
だが、まだ死んでいなかった?
いや……死んでいなかったなら、なんで一緒に出られなかったんだ?
しっかり抱えていたんだ。この腕でつかんでいたんだ。
転移門に入るとき、いつもとは違う感覚があった。
はじかれるような、ひっかかるような……。
……あるいは、中で死んでいる?
それでも、死ねば外に出れるはずだ。
これまでさんざんそうしてきた。間違いない。
それがルールのはずだ!
「ルールと違う状態……?」
死にかけている状態のような、中途半端な状態でクリアしてしまった?
自律分身で宝箱を開けたときのような、未知なるエラーだとしたら?
嫌な予感に、鳥肌が立つ。
一刻の猶予もない!
「考えていてもしょうがない……すぐに戻って、助け出そう!」
悪い考えばかりが頭をよぎる。
考えていても答えは見つからない。
もし中途半端な状態で死にきれていないなら、俺がとどめを刺したっていい!
外に出すことができれば、生き返るんだ!
俺は、引き出した冷凍庫の中、黒い水面に手を差し入れた。