柔らかい時計とリベンジの決意!
「――ダンジョンを突破してやる!」
「――わああ!」
黒く波打つ水面から、トウコが吐き出される。
冷蔵庫へと包丁を突き付けていた俺はとっさに腕を引き、逆の手でトウコを受け止める。
あぶねえ……うっかり刺殺事件だぜ。
外でケガしちゃシャレにならない。
「あ、アザっス! ふうー。今回は結構やってやったっス!」
トウコは息を整えると立ち上がる。
死の衝撃から立ち直るのは俺よりも早いようだ。
俺は結構、混乱してしまった。
つい弱気になったが……慣れ、か。
トウコの表情は明るい。
だが、今となっては危うく見える。
「……おつかれ。無事か?」
「死んだばっかだけど元気っスよ? 生まれたてっス! ――あれ、店長。その包丁……」
トウコの表情が暗く曇る。
俺は気づかなかったふりをして続ける。
「ちょっと借りるぞ。これで初期装備ゲットだな!」
「あ、ああ。そうっスね! ……ところでもう、次がお呼びっス……」
黒い触手が伸び、トウコをとらえる。
ずりずりと冷蔵庫へと引き込まれていく。
触手は俺よりもトウコを優先している。
なにか条件がある。
たとえば、死んだ回数……?
このダンジョンの持ち主だから……?
トウコは外に出られる時間が短くなっていると言っていた。
今ではもう、外に出てすぐとらわれて引き戻されている。
この冷蔵庫に潜り続ければ、俺もこうなる。
関わるほどに、深く囚われていく。
トウコが言う。
「……店長。あたしはひとりでも大丈夫。無理せず、店長は逃げてほしいっス」
「……だから、諦めんなって言ってんだろ! 俺はお前を諦めない!」
「店長……!」
トウコの手を取る。
俺達は再び、冷蔵庫の中に引き込まれた。
洋館のエントランスホールに俺達は立っている。
「……店長も物好きっスね。諦めがわるいっス」
「お前は諦めがよすぎる! 自分をもっと大切にするんだ」
トウコは疲れたような笑い顔を浮かべる。
「だって……ムリなんスよ。欲しいものなんか手に入らない。最初から諦めたほうがマシっス!」
トウコは激しく首を振り、涙が散る。
「欲しいものがあるなら、手を伸ばすんだ! お前が望むなら、きっと……」
「適当なこと言わないでほしいっス! そんな、都合のいいもんじゃないっス。それに、どうせ外に出たって、居場所なんてないっス!」
「居場所ならある! このあと店で話し合いだろ? お前ががんばってセッティングしたんだ。みんなお前を待ってる。急いでここから出て、店に戻ろう!」
オーナーを待たせるのはいいが、店の皆を待たせちゃ悪い。
トウコが意外そうな顔をする。
「店……? ああ、そうっスね。今、何時なんスか?」
「俺がここに来たときは昼過ぎだったから……」
「……まだ昼過ぎっスか。じゃあ、間に合うっスね」
間に合う?
このダンジョンにもぐってから結構な時間が経った。
急がないと、待たせている皆が心配しているはずだ。
「まだ昼過ぎ? そのあと数時間経ったはずだ。急がなきゃ――」
「いや、まだ昼過ぎっス。このダンジョンの中で数時間過ごしても、外じゃ全然時間は経たないっス」
「なに……?」
「よくわかんないんスけど、ここで長く過ごしても外ではあんまり時間が経たないっス」
「この中は、時間の進み方が違う?」
「そういうことっスかね? 知らんスけど」
「マジか……。俺のダンジョンもリンのダンジョンも時間の進み方は外と同じだ。ここは違うのか」
「そうっスね」
なんだと……!
俺は愕然とする。
ということは――。
「トウコ……お前、ここにどれくらいいるんだ? 何回、死んだ?」
「どれくらいって、数えてないっス。電話のあと十回以上は死んだっスね」
「十回、だと……!」
昼頃に店から電話して、俺がここに駆け付けるまでに十回以上。
数十分の間に……。
その間に、それだけ繰り返していたのか。
そしてそれ以前にも何度も何度も……。
「あのとき、電話に出なければ。あきらめちゃえばよかったって思ったんス。期待したってしょうがないって。でも、店長は来てくれた……。待ったかいがあったっスね!」
トウコは目に涙を浮かべながら、笑っている。
「当たり前だろ! ……思ったより待たせちまったみたいだけどな」
「……当たり前じゃないんスよ。店長はいつも、なんでもないみたいに言うっス。だけど、ぜんぜん普通じゃないっス」
「普通だよ。ちゃんと来た。あとは帰るだけだ! このダンジョンをぶっ倒して、外へ出るんだ!」
「うん。そうっスね! じゃあ、リベンジ戦いきますか!」
「おう!」