お前の死を、無駄にはしない!
さっきの戦闘は、反省すべきことが多かった。
一つ一つは俺のミス。
それは肝が冷えるが、ケガには至らないミスだ。
そんな小さなミスがあり得ないほどに連続した。
鏡やダンジョンの雰囲気に呑まれて注意力散漫だった。
ステッキの強度や威力が足りないと思いながらそのまま使った。
慣れないステッキの扱いが悪く、突きがゾンビを貫通した。
バランスを崩した。
ゾンビが体液をまき散らせた。
床が滑りやすくなった。
服を汚され、頭に血が上った。
ゾンビは弱いと過信した。
密集したゾンビに対して【フルスイング】を狙いたくなった。
大振りの攻撃で、足を滑らせた。
体勢を立て直そうと、強く床を踏んだ。
前の戦闘でデブゾンビが吐いた体液で床が溶かされていた。
あるいは爆発の影響で床が傷んでいた。
床を踏み抜いた。
床に足がハマった。
踏み込みとバランスの悪さで、足をひねって痛めた。
この不幸、ミスの連鎖で、あわや重大事故が発生するところだった。
一歩間違えば、死んでいておかしくない。
「あたしが言ってたのはこういうことっス! どうしようもないんスよ!」
「ああ、そうだな。不運はある。だけど、どうしようもなくはない。結局、俺は助かったろ?」
「そうっスけど……」
トウコの表情は暗い。
結果として助かったとはいえ、ギリギリだったからな。
動揺させてしまったか。
「悪い方向に向かっちまったのは確かだ。だけど冷静になれば対策はあった。例えば、すぐに退いてトウコに任せておけばよかったんだ。そうすれば、そのあとのミスは起こらない」
「あの状況で、そんなことできるっスかね?」
たしかに、俺の言っていることは理想論だ。
あとからはどうとでも言える、机上の空論だ。
「……難しいな。頭に血がのぼっていたし、確実に倒せると思ってたからな」
「ホラ、どうせムリなんスよ! あたしは何度も、ああいう状態になったっス! どうやったってそうなるように仕組まれてるから、どうにもならないんスよ!」
そう叫ぶトウコの表情は絶望に染まっている。
何度も、こういう状況で命を落としてきたんだろう。
足掻いたはずだ。助かろうとしたはずだ。
小さな不運は、なんとか回避することができる。
だが、いつまでも逃れ続けることができるだろうか。
いつかは、不運に追いつかれてしまう。
運なんて形のないものと戦うことはできない。
銃やステッキで倒せる相手ではない。
だからって、諦めるのか?
「――違う。戦う方法はある。このダンジョンには不運がある。それは確かだ。床が滑ったり、壊れることがあるって身に染みてわかった。次はもっと気を付ける。それを想定して動くんだ。不運を管理するんだ!」
トウコは激しく首を振る。
「戦う? 管理? ぜんぜんわかんないっス!」
もうすこし、かみ砕いて話してみるか。
「つまり、仕事と同じだ。店で大クレームが起きる前に、いろいろと気づくことがあるだろ? たとえば食器が欠けてるとか。提供前の料理に髪の毛が入ってた、とか。そういうのに気づいて、阻止する。事故の芽を摘むんだ!」
トウコは首を振る。
「ムリっスよ! そんなんで解決できるワケないっス!」
大事故が起こる前に、小さなミスがたくさんある。
重大事故の裏には軽微な事故やもっと小さい出来事が一定の比率であるという。
ハインリッヒの法則だ。
このダンジョンの中では、事故が起こる確率がぐっと高い。
その頻度は異常だ。
そこは、現実世界と同じではない。
だけど、できることはある。
小さな事故、不運に対策していく。
そうすれば、死ぬようなアクシデントは防げる。事故の確率は下がる。
いつも店でやってることと変わらない。
できるはずだ!
「できないだって? ――お前はもう、できている」
「……え?」
うつむいていたトウコが、不思議そうに顔を上げる。
「鏡の破片を踏んだ話だよ。靴が必要だって言ってたろ? さっき床板を踏み抜いたけど、素足だったらどうなってた? もっと大ケガをしていたんじゃないか? つまり、お前の気づきのおかげで俺は助かったんだ!」
頑丈なブーツのおかげで、床板で足を傷つけずにすんだ。
ブーツがなければ、足をひねっただけではすまなかった。
「……あたしの話が役に立った?」
「ああ、トウコのおかげで助かった。ありがとう!」
トウコの目に涙が浮かぶ。
「……そっかあ……無駄じゃなかったんスね!」
「無駄なもんか! お前が死んでまで得た教訓だ。トウコの死を、無駄にはしない!」
……当人の前で、その死を悼むとはレアな体験だ。
足の負傷から階段の転落、花瓶の破片での死。
それは貴重な情報だ。死んで持ち帰った教訓だ。
その体験が、無駄なわけがない!
「……もう生き返ってますけどね! でも、なんかうれしいっス」
自虐的な表情を浮かべていた顔に、明るさが戻る。
「そう、今は生きている。だから過去の自分を無駄にせず、生きるんだ!」
「わかったっス! ……なんか店長、説教くさいっスよ!」
「うるせーわ!」
俺はトウコの頭を、くしゃくしゃと撫でる。
「大事なのは気づきだ。同じ不運に足を取られないように、避けていけばいい」
「――ちょっとはわかったっス。だけど、むずいっスよ!」
「難しいさ。だけど、地道にやるっきゃない。どうしようもないことなんてないんだ! あきらめるな!」
トウコが、やれやれと首を振る。
「……あきらめたら、そこで人生終了っスもんね。店長の言う通りっス。あきらめずに、ここから生きて出てやるっス!」
「おう。その意気だ!」
トウコの表情に笑顔が戻る。
なんとか持ち直したようだ。
不運が続くと、どうしようもない気分になる。
それでもあきらめてはいけない。
戦うんだ!
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