久しぶりに出勤ですか? そんなときはご注意ください!? その2
交通事故にはご注意ください!
ひしゃげたガードレールに、大柄な男がもたれかかっている。
めり込んでいる、と言ったほうが正しい。
男はピクリとも動かない。
大丈夫なわけはない。
そう思いながらも俺は声をかける。
「お、おい! 大丈夫か!?」
その目が開く。
がばりと男が身を起こす。
――な、なに!
なんで動ける! というか、なんで生きてるんだ!
いや、生きていていいんだけど! 無事でいいんだけど!
男は、俺の問いかけに大声で返事をする。
「おう! 大丈夫だ!」
おはようと挨拶したみたいな、軽い返事だ。
そして妙に精力のみなぎった声。ケガ人とは思えない。
声をかけてはみたものの、返事があるとは思っていなかった。
俺は、少し間抜けな声を発する。
「……は? あー、ケガは?」
見た限りはケガ一つない。血も流れていない。
服はところどころ擦り切れているが……まさか、無傷?
正面からトラックに轢かれて、吹き飛ばされたんだぞ!?
地面を転がって、バウンドして、ガードレールにぶち当たったんだぞ!?
大事故でも無傷というケースは稀にある。
だけどこれは……そんな幸運で片付くことじゃない。
「ケガはない! ――なんせ、俺は強えぇからな!」
男は腰に手を当てて、立ち上がる。
――こいつはあきらかに、普通じゃあない!
トラックに轢かれてもケガひとつないという異常事態。
こんなことができるのは、スキルしかありえない。
――そうだ。こいつは、スキル使いだ!
でもなんなんだ?
偶然か? ただ通りすがりに猫を助けただけ?
トラックに轢かれるリスクを冒してまで猫を助けようとする?
そんなお人よしがいるか?
ありえないよな……。
――それとも、俺が目当てか?
いやいや……俺は普通の飲食店の店長。
どこにでもいる普通のブラック社員だ。
あからさまに忍者な恰好で出歩いているわけでもない。
ダンジョンを持っているとはいえ、家の外であやしい行動は取っていない。
ストーカーの時はスキルを使ったけど、家の中だ。
今もほんの一瞬、術を使ったが誰にも見られない一瞬のことだ。
俺がスキル使いだとバレて……目の前に現れた?
ない。ないはずだ!
なら、なんなんだ?
こいつはいったい……。
さまざまな憶測が俺の脳裏を駆け巡る。
だが、答えは出ない。
腰に手を当てて笑っている男から、悪意は感じない。
なんとなく、男の顔には見覚えがある。
なんだったか。
どこで見たのか……。知り合いということはない。
店に来た客? 違う気がするが……。
なら、直接聞いてしまおう。
「……あんた、なんなんだ?」
あ、ちょっと雑な聞き方になってしまった。
「俺か? ……いや、名乗るほどのもんじゃねえ!」
あ、俺も名乗ってないわ。
忍者……いや、社会人たるもの挨拶は大事だ。失礼だったな!
「あ、俺はクロウと言います。通りすがりの社会人……みたいな者です」
「俺は通りすがりのレスラー……格闘家だ」
格闘家?
あ……どこで見たか思い出した!
体術や格闘技の研究をしていた時に見た動画だ。
名前は確か――
「――もしかして……大河、選手?」
「ん? 俺の名前、知ってんのか。そうかそうか! 兄ちゃん、見どころがあるじゃねえか!」
気をよくして、がははと笑う大男。
正解だ。
そうだ。間違いない。思い出したぞ。
こいつはレスラーの覆面タイガーリヴァーだ。
デビュー戦で覆面が脱げるというマスクマンとしてあり得ないデビューを飾った選手だ。
そのあと総合格闘技へ転向してからも、かなりの戦績を収めたはず。
だが、選手としての彼は表舞台から姿を消す。消してしまった。
交通事故で死んだとか、引退したと聞いた。
あくまでも、ネット上の噂でしかない。
公式の発表はなくて、プッツリと足跡が途絶えてしまった。
その選手が今、ここにいる。
奇しくも、交通事故に巻き込まれるという形で。
「たしか交通事故に遭って引退したって……。ケガはもういいんですか?」
「ああ、そのケガはもう治った。ま、足は一本なくなったけどな!」
笑いながら大河さんは右足をぽんぽんと叩いてみせる。
よく見ればその足は義足だ……。
「足がなくなった!? それじゃあもう……選手生命は……」
「いや、俺はいつかリングに戻る! 今はそのリハビリ期間みたいなもんだな!」
「そうですか。っていうか、今も車に轢かれましたよね!? そこのガードレール、ベッコリとへこんでますよね!? なんでケガひとつないんですか!?」
「そりゃ、俺が強いからだな! トラックよりガードレールより俺のほうが強えぇってことだ!」
がははと笑う大河さん。
強いからって、ケガしないことはないんだけど……。
もしかして、ごまかすためにそう言っているのかな。
いや、これは本気だ。頭が残念な人なのか?
この人はスキル持ちだ。おそらく、防御的な能力を持っている。
体がえらく丈夫だとか、ダメージをすぐに回復できるとか……。
そういったスキルを持っているに違いない。
回避はしていない。間違いなくぶつかって撥ね飛ばされているからな。
「強いから無事!? さすがに無傷なのは説明がつかないんじゃ……」
「こまけえこたぁいいんだよ! 鍛えれば、このくらいなんてこたあねえ! 俺は強い! それだけだ!」
大雑把すぎやしないかな!?
ツッコんでもしょうがない気がする。
スキルだとしても言えないだろうし、言われても困る。
「……そうですね。猫も助かったし……誰もケガしなかった。めでたしめでたしですね」
「そうだぜ! 兄ちゃんも、猫を受け止めてくれてありがとよ!」
「俺をめがけて投げてたんですね。ちょっとギリギリでした!」
俺の腕から、するりと猫が抜けだす。
大河さんの足元にすり寄ると、そのままどこかへ去っていった。
パトカーのサイレンが聞こえてくる。
誰かが通報したのか。
野次馬が集まってくると困る。目立ちたくない。
俺は猫を受け止めた以外は目撃者でしかない。
だけど、大河さんは事故の当事者だ。ケガ一つないのは不自然だ。説明がつかない。
「おっと。のんびりしてると面倒なことになるな。さっさとずらかるか。兄ちゃんも、離れたほうがいいぜ」
「ああ、そうですね」
大河さんが、何かを思い出したように付け加える。
「あ、そうだ。ついでに聞きてえことがあるんだが、いいか?」
「いいですよ。ここじゃなんですから、場所を変えましょう」
俺達は事故現場を離れて、人目につかない路地へと移動する。
「ここならいいですね」
「んで、聞きてえことだ。このあたりで痴漢や下着泥棒が出るらしいって話でな。俺はそれを調べに来たんだが……兄ちゃんはこの辺のひとだろ? なにか聞いたことないか?」
痴漢? 下着泥棒?
下着泥棒はちょっと心当たりはある。
だけどそれを言うとオトナシさんやストーカーの話になっちゃうからな。
「いえ……俺は一人暮らしだし、よくわかりませんね」
「そうか。知り合いとかにも心当たりはないか? どうも、このあたりに多いらしいんだ」
「ちょっとわからないですね。痴漢や下着泥棒があったって話すら聞いたことないです。地域のニュースでもやってないですよね。……なんで、そんなことを調べてるんですか?」
大河さんは困ったような表情を浮かべる。
「なんでかって? うーん。ちょっとしたバイトみたいなもんだな」
「バイト? 探偵みたいなものですか?」
「まあ、そんなとこだな。聞いた話じゃ、犯人はこの辺にいるんだってよ!」
誰から聞いたんだ?
それに、なんでこの辺にいるとわかる?
事件はこのあたりで多く起きている。
だけど、犯人はいつまでも同じ場所に留まらないだろう。
いや、自宅の周辺で問題を起こすものなのかな?
「そうですか。物騒ですね……」
「ま、知らねえならいいや。聞きたかったのはそんだけだ。ありがとよ!」
「はい。お役に立てなくてすいません」
「いや、知らないってことが分かれば、それはそれでいいんだわ。んじゃな、兄ちゃん!」
「はい。それでは」
そうして、大河さんは去っていった。
俺は彼の広い背中を見送りながら考える。
「うーん……痴漢、下着泥棒か……」
たぶん、あのストーカーのしわざだよな。そうとしか思えない。
オトナシさんをストーカーしていた男は、隠密能力を持っていた。
痴漢も下着泥棒もやり放題だ。
オトナシさんを付け回すついでに、そういうことにも手を出していたのかもしれない。
ろくでもないね。
でも彼はもういない。
大河さんがいくら調べても、捕まることはない。
スキルを使うところを見られて、黒いドロドロに飲み込まれてしまった。
この世界から、追放されてしまったんだ。
大河さんはバイトと言っていたけど……。誰かに雇われているんだろうか。
あのストーカーを誰かが探している?
その誰かは、どうしてこの辺にいるとわかったのか。
ストーカーは【隠密】持ちだ。とうぜん、バレないように行動していたはずだ。
慎重な性格ではなさそうだから、ボロを出していた可能性はある。
だけど、俺が目の前で向き合っても姿が見えなくなるほどの能力だった。
簡単にバレるとは思えない。
それを、この近くまで絞って調べようとしている。
俺以外にも、ストーカーと戦ったり、見かけたやつがいる?
あるいは被害者か?
だが、あのストーカーはオトナシさんに固執していた。
だれかれ構わずに執着していたわけではない。ないはずだ。
何か月か、年単位で彼女をストーキングしていたんだ……。
そんなにアレコレ手を出しているとは考えにくいんだよな……。
うーむ。わからん。
いったいどういうことなのか。
つい結び付けて考えてしまったが、あのストーカーとは別口なのかもしれない。
ほかに痴漢や下着泥棒をする別の隠密使いがいるのかもしれない。
スキルすら関係なく、普通の犯罪者かもしれない。
……判断材料がないな。考えてもしょうがないか。
ま、頭の隅にはおいておこう。
「おっと、道草を食っちまったな」
十分に余裕を持って家を出たから問題はない。
約束の時間には少し早いけど、店に行くとするか。
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