久しぶりに出勤ですか? そんなときはご注意ください!?
久しぶりに職場へ行く。人のいる街へ。
ちゃんと準備をしておこう。
準備とは、戦う準備だ。
まだパンデミックは収まっていないが、とりあえず日本は平和だ。
とうぜん、モンスターはうろついていない。
だけど俺は知っている。
ダンジョンは存在する。
モンスターは存在する。
いま、モンスターはダンジョンの中にしかいない。
外にあふれ出てはいない。
俺のダンジョンのモンスターは外に出てこないことを確認した。
オトナシさんのダンジョンだって、同じだった。
――だけど、いつまでもそうだろうか。
俺は安心できないでいる。
スキルは外では使えない――と思っていた。
だが、ストーカーは外でもスキルを使った。
いまでは俺も、わずかだが外でスキルが使える。
スキルは存在する。
そして、外でも使えるんだ。
この現実世界に、不思議な力は存在している。
なら、モンスターだって……わからないじゃないか。
少なくともスキルを持つダンジョン持ちが存在することは確かだ。
強力な人知を超えた力……それを手にした人間がどうなるのか。
その力をどう扱うのか……。
ダンジョンやスキルのことは世の中では知られていない。
知られないようにする力が働いている。
平和に見えるこの世界も、ダンジョンやモンスター、あるいはスキルを持った人間に脅かされるかもしれない。
考えすぎかもしれない。
だけど、いちおうの対策はしておこう。
……せざるを得ないんだ。無関心ではいられない。
というわけで、外で使える武器や装備を身に付ける。
といっても、クナイとかバットを持ち歩くわけにはいかない。
逮捕されてしまう。
それとわからない装備でなくちゃね。
持ち運べる武器……忍具を用意した!
懐にも忍ばせられる護身用のアレだ。
「というわけで、ウォレットチェーン!」
秘密道具のように取り出したのは、シンプルな長さ一メートルほどのウォレットチェーンだ。
鎖である。その先端にはゴツいカラビナを付けている。重い。
そう……これはまぎれもなく鎖分銅だ!
刃物でもない。あからさまな武器でもない。
だから、おとがめを受ける心配はナシ!
もちろん、振り回しながら歩いたりしない。
昭和の不良や世紀末のモヒカンじゃないからな。
普段はウォレットチェーンとして使うだけだ。
「さらに……防刃てぶくろー!」
これは通販で売っている手袋だ。
見た目には防寒用の手袋に見える。色は黒。
今は冬なので、ちょうどいい。
武器というよりは防具、手を保護する目的だ。
さすがにこれ以上の武装をして街へ出る必要はないだろう。
クギを持って歩くのも変だし……。
「ま、こんなもんでいいかな。さあ、約束の昼には少し早いけど、家を出るか!」
俺はオトナシさんに声をかけて、家を出た。
店へと歩いていく。
駅前にある飲食店、ファミレスが俺の職場だ。
いちおう俺は、有休取得中の社員という身分のはずだ。
俺の家は駅から少し遠い。それでも歩いて通える範囲。
街に人気はまばらだ。
パンデミックは収まらず、人々は自粛を強いられている。
俺は家にこもってダンジョン生活だから、あまり影響はない。
店は大打撃を受けているけどね。
だから俺が行くハメになっているとも言える。
駅近くの国道を歩いている。
もうすぐ到着だ。
一匹の子猫がのんびりと歩いている。
平和な街の風景だ。
「――ん?」
前からトラックがやってくる。
猫はびくりと身を震わせると、足を止めてしまった。
――マズい! このままだと轢かれるぞ!
心臓がバクバクと脈打ち、意識が加速する。
俺から猫までは遠い。
だが、体は勝手に動いていた。
遠すぎる。間に合うか!?
思考の速さに比べて、体は鈍く、重い。
頭ばかりが空回りしている。
踏み出した足は思うように俺を前に運ばない。
まるで重たい水が絡みついているかのようだ。
スローモーションのように、トラックが猫へ迫る。
間に合わない!
――その時、何かが道路へと飛び出す。
俺よりも近い距離にいた誰か。その男が、車道へ飛び出していく。
その動きには迷いがない。
だが……あれでは、ダメだ!
あのコースは……片道だ。間に合ったとしても……!
猫を助けてから身をかわすだけの余裕はない。
無謀だ! 死ぬぞ!?
「あぶないっ!」
俺の叫びをブレーキの耳障りな音がかき消す。
アスファルトを噛んでタイヤが焦げる。
だが、止まらない。トラックは止まれない。
衝突は避けられない!
男が身を投げ出して、トラックの前に躍り出る。
そして動けずにいる猫をつかんで――投げた。
男は轢かれる前に、せめて猫だけでも助けようと思ったのか。
男が俺に向けて投げたのか、ただのとっさの行動か。
それはわからない。
だが、男の命がけの行動を無駄にはできない。
放物線をえがいて、猫が落ちる。
地面に叩きつけられては大ケガをしてしまう。
俺は両手を差し伸べて、前へ飛ぶ。
「――届けッ!」
だが、届かない。
わずかな距離、手が届かない!
くそ! また間に合わないのか!
いや、まだだ! まだできることがある!
「――分身の術ッ!」
俺はとっさに【分身の術】を発動させる。
いつもとは違う、妙な手ごたえ。術が発動する。
俺の腕に重なるように分身の腕が現れる。
――届いた!
猫を引き寄せ、分身を消す。誰にも見られないほどのわずかな時間だ。
猫を抱きとめて、アスファルトを転がる。
猫は無事だ。
受け身を取ったので、俺も無事だ。
――男は!?
迫るトラックの巨体の前に立つ男。
もはや身をかわす時間は残されていない。
――笑っているのか……?
衝突。
どん、と鈍い音が響く。その音は、やけに大きく響いた。
トラックにぶち当たった男の体が吹き飛ぶ。
勢いよく撥ね飛ばされ、アスファルトに叩きつけられる。
勢いは止まらず、跳ね上がってさらに転がっていく。
そのまま、道路わきのガードレールにめり込んで止まる。
ガードレールがひしゃげて、大きな音を立てる。
男は動かない。
男をはねたトラックがスピンして、ガードレールにぶつかってとまる。
金属のぶつかる派手な音が響く。
そして大きなエンジン音と共にトラックはすぐに走り出し、この場を後にする。
ひき逃げだ。逃げやがった……!
「……な……なんてこった」
俺は、その場に立ち尽くした。
腕の中で猫が身じろぎし、にゃおんと鳴いた。