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積み上げたものが崩れ去るのは一瞬です!?

 オトナシさんの部屋のチャイムが連打される。

 ドアを叩く音と、騒がしい声が聞こえる。


店長(てんちょ)ぉー! 無視しないでほしいっス!」


 オトナシさんがドアを開ける音がする。


「……どちらさまですか?」


 まずい! ややこしいことになりそうだ!


 俺はあわてて衣服を整える。


 扉の外からトウコの声が聞こえる。

 職場のバイトで、しょっちゅう俺に相談を持ち掛けてくる女子高生だ。


「あれ? ……店長の家っスよね? お姉さん、誰っスか?」


 誰っスか、じゃないわ!

 間違った家に突撃しておいて、なんなんだ。


「テンチョウさんの家? いえ……うちは違います」


 オトナシさんの返事もなにかズレている。


「あー。えーとですね。もしかして、あたし間違っちゃったっスか? クロウ店長の家じゃなかったスか……」


「クロウさんの家でしたら……お隣ですが……」

「あれ……ということは噂のお隣さんっスか!?」


 俺は確かに職場でたまに隣人の女子大生が美人だとか……そんな話をしていた。

 だがそれを本人に言うのはナシである!


 俺は勢いよくドアを開けて外に出る。


「――おい! 余計なこと言うな!」


 トウコは高校の制服姿だ。

 俺を目にすると、安堵の表情を浮かべた。


 オトナシさんはドアを少し開けて顔だけのぞかせている。

 コミュ障モード発動か!


 表情は不安げというか、警戒した感じになっている。

 俺とトウコを見比べて、どう反応していいかわからないと言った様子だ。

 俺もこんな時、どんな顔すればいいかわからない。


「あっ! 店長ーッ!」

「うおっ!」


 しかし、トウコの反応は速かった。

 俺を見つけるやいなや、両手を広げて俺に飛びついてくる。


 胸に飛び込んでくるというよりは、頭突きに近い。

 俺はその頭をとっさに手で受け止める。


「な……なんで止めるっスか!? やさしく抱きとめてほしいっス!」

「いや、なんとなく?」


 ダンジョンの癖でとっさに防御しなかったら、抱きつかれて押し倒されたかもしれないな。

 ……おかげで、謎の絵面になってしまった。


 トウコは目に涙を浮かべて、ぐいぐい押してくる。

 俺は腕を突っ張って押し返す。

 トウコは手をじたばたさせているが、小柄な体では俺に触れることはできない。


「でんじょぉー! 居たなら出てきてくださいよー! 無視はひどいっス!」

「風呂入ってたんだよ! 離れろ! 鼻水をつけるな!」

「でもー! 最近返事もなかなかくれないし! 今日もずっと無視したっス!」

「俺も暇じゃないからな! 最近はダ……リアルが充実しているんでね!」


 最近はダンジョンにいる時間が長い。

 食事すらオトナシさんのダンジョンの中だから、外にいる時間が短いんだ。

 ダンジョン生活が充実している。ダン充生活である!


 同意を求めるようにオトナシさんのほうを見る。

 って、ドアの隙間(すきま)のオトナシさんは(うつむ)いてしまっている。

 アイコンタクト失敗!


 ……なんかオトナシさんの表情が暗いような……?

 ドアの隙間から、オトナシさんがぼそぼそと小声で言う。

 声が小さくて聞きとりにくいな。

 ちょっと、息苦しそうな感じもしている。


「あ……あの……その……そちらは、彼女、さん……ですか……」

「え? いや、ぜんぜん! こいつは職場のバイトで……」

「秒で否定っスね!?」


 っていうか、なんだその質問は!?彼女はあなたです。オトナシさん!

 なぜそんなに自信なさげなのか。

 俺達はちゃんと付き合っている。疑う余地はない。

 しっかりとした信頼関係が築けている……と俺は思っているんだが。


 あれ? もしかして、ぜんぜん足りてないのか?

 オトナシさんは自信がなくて、コミュ障だからな。

 俺が思うよりずっと……不安定なのか?


 俺としてはちょっと過剰なくらいに……いい感じだと思っている。


 オトナシさんからは俺がモテモテのイケメンにでも見えるんだろうか。

 ありえないことだ。ありえないんだが……彼女の中では俺はどうだろう。


 トウコは軽いノリなだけで、まったくそういう関係ではない。

 そういう対象ではないのだ。


 しかし、コイツは空気が読めない。


「どうも愛人のトウコっス!」

「……!? ……そう、ですか」


 オトナシさんの表情が驚愕に染まり……そのあと、表情が抜け落ちる。


 まったくの無。

 無表情だ。目から輝きが消えている。


 いかん、妙な誤解をされたかもしれない!

 というか、くだらないノリで取り返しのつかない冗談はやめて!?

 オトナシさんはそういうの、耐性ないっぽいよ!?


「いやっ、そういうのではなくて、こいつはただのバイトです」

「ただのバイトだなんて……つめたくないっスか!?」


 トウコがふざけて、俺の腕にすがりついてくる。

 俺は腕を振り払う。

 かわいそうな奴を見る目を向けて、言い直す。


「ただの、かわいそうでアホなバイトなんです!」

「ひでえっス! 的確っス!」


 トウコのこれはただのおふざけだ。

 もともとこういう、くだらないノリを仕掛けてくる奴だ。

 何の悪意もない。悪気もない。距離感の読めない奴なんだ。


 俺も軽いノリでツッコミを返す。

 トウコとはそういう、なんでもない関係。

 ヒロインでも攻略対象でもない。職場のバイトの子だ。

 ……ただの、アホで心配な奴だ。


 そんなやり取りを見るオトナシさんに笑顔はない。

 別に笑いを取れるほどのやり取りではない。

 でも、普通なら愛想笑いくらいは浮かべるはずだ。


 それが、オトナシさんはまったくのノーリアクションだ。


「……そう……ですか」


 ドン引きしたというのとも違う。

 怒っているのでも悲しんでいるのでもない。


 なんだ、この感じ……。すごくマズイ感じがする。

 背筋の寒くなるような感じ。

 ヤバさをひしひしと感じる。


 冗談や軽口が、変なところに深く刺さってしまった感じ……。

 ふざけてないで早くリカバリーしないと!

 いや、ふざけてるのは俺じゃないけど。ふざけんなマジで!


「わかりました……では、私は失礼させていただきます……」


 そう言うと、オトナシさんはゆっくりと玄関の扉をしめようとする。


「あっ! ちょっと、オトナシさん!? わかったって、何が!?」

「あれっ? 冗談っスよ?」


 今、わかりましたって言ったよな!?

 オトナシさんってば、何がわかったの?


 それに、なんだ? この表情は。

 閉まりかけたドアの隙間から見える表情は青ざめて見える。

 氷点下の冷たさとか、好感度がマイナスに突入したのとは違う。


 失望? 絶望? 落胆? ……何かもっと、なじみのない感覚だ。

 例の消えちゃいたい感じか!?


 俺とオトナシさんの関係はまだ不安定だ。

 この数週間で、やっといい距離感を見つけたところだ。

 それは、脆い足場の上に成り立っている。


 俺もオトナシさんもお互いへの付き合い方を確立していない。

 ましてや、第三者が介入した場合の反応は……。


 オトナシさんが部屋に戻って、アパートの扉が閉じ切ったとき……。

 何かが終わるという確信がある。

 扉が閉まり、可能性が消える。終わりだ。


 ただの隣人に戻ってしまうような……。

 あるいは、もっとひどいことになる。

 隣人ですらなくなってしまうかもしれない。


 積み上げてきたものが崩れるのは簡単だ。

 ちょっとした誤解や、すれ違い。

 そんなもので、すぐに台無しになってしまう。



 暴力系ヒロインなら、こんなとき怒ってツッコミが入る。それで場は収まる。

 電撃でもハンマーでもハリセンでもいい。

 怒りのファイヤーボールを食らってもいい。


 嫉妬なり独占欲なりのような感情が読み取れて、ちょっと安心できるくだりだ。

 ……最近、暴力系ヒロインって絶滅危惧種らしいけど。


 ツンデレ系でも、似た展開になる。

 べ、別にアンタが誰としゃべろうが好きにすればいいのよっ。

 みたいなセリフを吐いて、あとで仲直りすればいい。


 良妻キャラみたいにほほ笑んでいるけどひきつっているとか。

 無言の圧力を伝えてくるみたいな(暗黒微笑)

 その場は笑っているけど、ため込んで後で爆発したり。

 あとで説教してきたりする。


 どの場合でも、たいていは丸く収まる。


 だけどオトナシさんのリアクションにはそういう感じがしない。


 オトナシさんが近いのはヤンデレだろうか。

 病んでいて、デレている……。

 その点、あてはまる。


 でも、いわゆるヤンデレではない。

 ヤンデレはもっとこう……我が強くて攻撃的なイメージだ。

 邪魔するものは排除して、自分の目的を遂げるような危うい性格。


 オトナシさんがトウコを亡き者にする……なんてことがあるだろうか。


 そういうキャラには思えない。

 ……ないよな?


 もっと儚くて、弱々しいんだ。

 他人を攻撃するような強さはない。

 そっと身を引いて、二度と姿を現さないような……。


 だめだ! 今すぐに、なんとかしないといけない!

 引き止めなければ! 何か言わなければ!


「オトナシさんっ……」

「……はい?」


 言うことは何もまとまっていない。

 とりあえず声をかけるのが精いっぱいだった。


 それでも、ドアを閉めるのを止めて、こちらを見ているオトナシさんの瞳には、少し色が戻っている。

 その瞳は不安げに揺れている。


 どう伝えればいいのか。

 うまい言葉が出てこなければ……詰みだ。


「あっ! やっぱりこの人が隣の気になる女子大生さんですか!? 店長が事あるごとに言ってたひと……」


 俺が何かを言う前に、トウコがオトナシさんに食いついた。

 ちょっと! 空気読んでくれる!?


 いま、俺が何か言わないとすべてが終わってしまうシリアスなシーンなんで……!

 オトナシさんを引き留める気の利いた言葉をひねり出すところなんで!


「……なんて、言ってたんですか?」


 ドアをゆっくりと開けて、オトナシさんが外に出てきた。

 表情は無ではない。


 冷え切っていた感情に、温度が戻ったような……。


「隣の子がかわいいとか気になるとか言ってたっス!」

「……へ、へえ。そうなんですね」


 ――釣れたっ! たやすく引き止めた!?


 オトナシさんの表情からはすっかり暗い影が消えている。

 そして、口の端に笑みが浮かぶのをこらえるようにひきつっている。


 おお、トウコの空気の読まない発言がいい感じに作用したぞ。

 ……でかした、トウコ!


「噂通りのわがままボディっスね! これは店長が欲求不満になるわけっス!」


 グワーッ!

 やらかした! トウコめ!


「おい、余計なこと言うな! ちょっと空気読んでくれる!?」


 トウコはあたし何かやっちゃいました? みたいな表情を浮かべている。

 やっちゃいましたよ!


「欲求不満……?」


 オトナシさんが俺のほうを向いて、問いかけるような視線を投げかけてくる。


 いや、俺も健康な男子なんで……。

 欲望を持て余すこともあったりしてね。


「まあ、店長もオッサンに片足踏み入れているとはいえ若い男っスからね!」

「だから余計なこと言うな!」

「ふふっ。トウコさんは面白い方なんですね」


 オトナシさんが楽し気に吹き出した。

 笑ってくれるなら、いいか。


 最悪の事態は免れたようである。


 かわりに俺の積み上げた大事な物……真面目なイメージはまたも失われてしまったが。

一人称(クロウ視点)のため、他のキャラがしゃべっている場合に割り込むタイミングがむずかしいですね……。

クロウが考えている部分の描写は長文になっていても、ほとんど一瞬の出来事です。

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