天国の余韻と彼女の体温!?
草原に二人、並んで寝そべる。
手をつないで、彼女の体温を感じる。
彼女の形のいい長い指は汗でしっとりと湿っている。
吸い付くように、俺の手の中に納まる。
こうしているだけで心が満たされる。
たくさん話をした。自分のこと。オトナシさんのこと。
仕事と職場のこと。個性豊かなバイト達のこと。店での苦労話。
学校と友達のこと。モデルの仕事のこと。両親のこと。
ダンジョンの話は不思議と、しなかった。
いくら話しても飽きることがない。
会話はずっと途切れずに続く。
聞かされる話は新鮮で、知らない彼女のことをもっと知りたいと思う。
いつまでだって聞いていられる。
俺の話を楽しそうに聞いてくれる。頷いてくれる。
迎え入れて、笑ってくれる。
乾いた土に降りそそぐ雨のように、言葉が心に染み入るようだ。
彼女はアパートの壁が壊れたときに心の壁も壊れたように感じたという。
自由になったように感じたと。
俺も気づかないうちに常識という壁で自分を守ってしまっていた。
彼女の勇気ある告白がそれを打ち破った。
俺は、言い訳をしていたんだ。
年の差だとか、仕事がないとか、ダンジョンだとか。
そうして、彼女に向き合うことができていなかった。
見ないふりをしてしまった。
耐えるとか忍ぶとか自重するだとか、そんなことはもう要らない。
自分の心を解き放ってみれば、こんなにも彼女のことばかり考えていた。
心のままに彼女を求めればいい。
彼女は俺を受け入れてくれる。
ただ彼女と向き合っているだけで、こんなにも心は軽やかだ。
ただ彼女と繋がっているだけで、こんなにも心地がいい。
彼女がそこに居るだけで、俺は満たされる。
とりとめのない話をして、ゆるい幸福にひたっていたい。
特別なことなんて、何も要らない。
ずっと、こうしていたい。
それでも、考えておかなければならないことがある。
消えたストーカーの最期。
何事もなかったかのように帰っていったシモダさんの、異常な様子。
「――オトナシさん。あのストーカーが最後に消えたのは、なんだったんでしょうか」
俺は身を起こして、問いかける。
彼女は少し、むくれたような表情を浮かべる。
俺だっていい雰囲気のまま、寝そべっていたい。
ダンジョンとかストーカーの野暮な話なんてせずに……。
「……もう少し……。いえ、考えなきゃいけませんね。クロウさんは真面目なのが取り柄ですから。立ち止まってなんかいられませんよね!」
それでも、しかたないというような笑顔を浮かべる。
俺は頭をかきながら答える。
「そういうわけじゃ……。いや、俺はやっぱり仕事人間なのかな」
ブラックな職場を辞してからも、俺は毎日ダンジョンへ潜っていた。
結局、働いてしまう。趣味だとしても、お金を生まなくてもそれは変わらない。
コツコツと問題に取り組むのが好きなんだ。
こうして穏やかな時間の中にあっても、考えるのは現実的な問題だ。
問題を無視して立ち止まっていることはできない。
「ふふっ。でもそれでいいと思います。そういう真面目なところがス、ス……」
「スキヤキ?」
「――素敵ですっ! もうっ、なんですかそれ!」
「いや、ちょっと気に入っただけで、意味はない。ごめん」
意味はない。――照れ隠しだ。
くだらない会話で笑いあえるのが幸せってものだ。
俺は表情を真面目なものに戻す。
「あいつが消えたのは、スキルのことをシモダさんに知られたからなんじゃないかな?」
あのとき、ストーカーが口にした断片的な言葉。
――禁則事項
――ダンジョンのことを人に知られてはいけない
――世界から追放
ダンジョンのことを人に知られると、あの黒いモノが現れる。
そうして「禁則事項」を破ったものを「世界から追放」する。
そのように受け取れる。
彼女も、真剣な表情になる。
「それで、あの黒いドロドロが出てきたんでしょうか?」
「そう。あの黒いナニカが現れた原因です。他人に知られたことが問題だったようでした」
「私もそのことは気になっていました。でも……そうだとして……。あのとき、私が……ファイアボールって言っちゃったときのことは……?」
――ファイアボール事件か。
彼女にとっては忘れたい黒歴史だ。恥ずかしげに言い淀む姿もかわいい。
しかし、これは矛盾している。
「たしかに……。街で絡まれたときファイアボールとか魔法とかハッキリと口に出してましたよね。ダンジョンやスキルのことを知られてはいけないルールなら、なんで許されていたんだろう。いや、許されてくれてよかったんですが!」
俺も聞いたし、絡んでいた男たちも耳にしている。
魔法もスキルだろうし、禁則事項を破っていることになるはずだ。
あのとき俺は、オトナシさんが魔法使いだとほぼ確信した。
でも、禁則事項を破ったとは見なされなかった。
彼女は消されずに済んでいる。
「――魔法が出せなかったから? あの人たちには、ばかにされちゃってたし……」
「ああ、そうかも。あのとき魔法は発動しなかったし、相手は魔法使いだなんて信じていなかった。つまり、ダンジョンやスキルの情報が漏れたとは判定されなかったわけだ」
ということは禁則事項とやらは「実際に漏洩したかどうか」をきちんと判定していることになる。
スキルだとかダンジョンだとか魔法だとか……そういう単語を口にしたからといって即座に違反とはみなされない。
それもそうか。
そうじゃなければゲームとかアニメの話をしただけで「追放」されてしまう。
「じゃあ、ストーカーさんの場合は……ダンジョンとかスキルとか言っちゃってたし、シモダさんの前で姿を消しちゃったり……。それに、部屋の中で血まみれのクロウさんが倒れてたり……。だから信じちゃったのかなあ?」
ファイアボール事件とは状況が違う。
――異常な室内の様子。
――目の前で消えて見せたストーカー。
「そうだね。たぶん、説得力があったんだ。ストーカーが姿を消したりと、現実としてはあり得ない出来事を起こして、それをシモダさんが信じた。スキルのことを信じた。だから……じゃないか」
これは重要な情報だ。
条件がわかったかもしれない。
第三者にスキルやダンジョンのことを漏らす。
そしてそれを相手が信じる。
この両方が満たされたとき、禁則事項を破ったとみなされる。
そして、既にダンジョンのことを知っている相手に話しても、漏洩したとは見なされない。
ダンジョンを知る俺にオトナシさんは魔法のことを知られた。
だが、違反とはみなされなかった。
つまりは、スキルやダンジョンのことを知らなかった人が、信じることが条件なんだ。
もっと細かい条件――どこまで許されるのかは知っておきたい。
だが、ボーダーラインを超えてしまえばこの世界から追放されてしまう。
これは試すことはできない。
だから、慎重にならないといけない。
他にも、禁則事項があるのかもしれない……。考えるときりがないな……。
「……そう思うと怖いですね。外でうっかりダンジョンやスキルの話をしちゃったら、あの人みたいに黒いドロドロに掴まっちゃうのかな……」
彼女は形のいい眉を寄せて心配そうな表情を浮かべる。
――そんな彼女もかわいい。
まじめな話をしているのにどうも、デレデレしてしまいそうになる俺。
しゃんとしなければ。
なんだか、オトナシさんはいつもよりずっと魅力的に見える。
まるで内面から光り輝いているかのようだ。
俺の心を直接つかみに来るような感覚。
……俺の心境の変化のせいだろうか。ダンジョンの中だからだろうか。