膝枕されても俺は大丈夫です。そして俺は、大切な何かを失うことに……!
なぜか、俺はオトナシさんに膝枕されている。
……どうしてこうなった!?
少し前。
殴られたケガに気づかれてしまった。
外ではよく見えていなかったようだ。
ちょっとした興奮状態というか、平静じゃない状態だったこともある。
少し口の端が切れている程度で、たいしたことはないんだが。
半泣きになって治療すると譲らず、俺の部屋にまで上がりこんできた。
俺の部屋で救急箱を探そうとして、引き出しとかトイレのドアとかを開けようとする。テンパってる。
クローゼットにも手をかけたので、開ける前に阻止する。
「ここは、開けてはいけない扉です!」
扉の前に立ちふさがる俺。セーフ。
全く普通の怪しくないクローゼットです。ここは。
「え、開けてマズイことでも……? 早く治療しないと!」
危ないよこの子!
なんでこだわってくるの!?
ダンジョンに通じているのがバレたら一大事だ。
「いや、ここにはありませんし。見られたくないモノも入っていたりして……」
「見られたくないモノ……?」
なぜか、問い詰められてしまっている。
してない浮気を疑われているみたいな、変な感じに。
いや、そもそも付き合ってもいないんですけどね!
「ほら、男の一人暮らしですから……女性に見られたくないようなものもあったりして……」
ここで切り札を切る!
エッチな本とか隠してたりして、的なことを匂わせる。
実際には、そんなものはない。……いまはない。
いまはクローゼットにはダンジョンがある。バレるわけにはいかない。
「……えっ。あ……すいませんすいません! なんだか、動転してしまって! クロウさんも男のヒトですし、しょうがないですよね!」
顔を赤く染めてわたわたと慌てるオトナシさん。
クローゼットは守れたけど、何か大切なものを守れなかった気がする……。
俺の部屋には救急箱なんてない。
やっとわかってもらえたようで、彼女は自分の部屋へ戻っていく。
隣の部屋から何かが倒れる破壊的な音がした。
がちゃがちゃと、何かを探すような音がする。
なんだ、大丈夫か?
戻ってきたときには救急箱を抱えていた。
「ありましたっ! 救急箱!」
はあはあと、息を弾ませているオトナシさん。
結構、目の前のことしか見えなくなるタイプなのかも。
というわけで、俺はオトナシさんに膝枕をされながら治療を受けている。
「痛くないですか? しみないですか?」
「うん、まあ。大丈夫」
だが俺の視界は全然大丈夫じゃあない。
顔の傷を治療しようとしている。
とうぜん、俺は上を向いているわけだ。膝の上で。
そうなると必然、二つの山が目に入ってしまう。
消毒薬やら傷薬やらを取るたびに、動くのだ。
かがんだり、身体をひねったりする。
アレが、近づいたり揺れたりするのだ。
気づいていないのかこの子は。まさか、わざとか。魔性の女か。
「なんかぼーっとしてるみたいですけど、熱でましたか?」
「いや、大丈夫……」
俺の理性はそろそろ大丈夫じゃなくなってきます! お熱が出そうです!
心配そうな顔で上からのぞき込んでくるオトナシさん。
ナニカに遮られて、顔は半分くらいしか見えないんだけどね!
彼女の表情は心底心配してくれている感じで、打算や演技ではないと思う。
いや待てよ……。
コンビニで警察を呼んだフリをしたときはなかなかの演技力だったしな。
天然なのか。小悪魔なのか。どっちなんだい!?
わからん。
俺の脳は煮え立つ寸前だ。
彼女が俺の額に手を当てて熱を測る。
「すこし、熱っぽいですが……」
すらりとした美しい手はひんやりと冷たい。
実際、熱が出そうだ。
後頭部に当たる太ももの感触は柔らかく、あたたかい。
なんだかいいニオイもするし……。香水ではなさそうだ。
部屋にまで上がりこんできたし、雰囲気もいいし……これは行くべきか?
行っちゃっていいのでは……?
ディスタンスを縮めるべきなのでは?
がばり、と身を起こす。そして距離を取る俺。
「あっと! そうそう。トイレットペーパーでしたね! 取ってきますね!」
危ない! うっかり濃厚接触に踏み込もうとしかけていた!
理性を保て! 距離を保て! 暴発するな!
「えっ……あ。はい」
オトナシさんは残念そうにも見える。
ただ驚いているだけかもしれない。どっちなんだい!?
どっちにしても退くのだ。撤退だ。
「はい。とりあえず1パック! うちにはまだ予備あるので大丈夫。ケガの治療も大丈夫! じゃあ、大丈夫で!」
なんとかトイレットペーパーを押し付けて、お帰りいただいた。
ドアを閉めて深呼吸する。
ふう。俺は大丈夫だ。落ち着け。大丈夫大丈夫。
混乱してしまった。大丈夫がゲシュタルト崩壊しそうだ。
はぁ……。
変な気分になってしまった。
……クローゼットにしまっていたアレな本が失われたことが悔やまれる。
壁の薄いアパートでは、耳をすませばティッシュを抜く音すら聞こえてしまいそうだ。
俺の生活音だけでなく、彼女のも聞こえてしまうのがたちが悪い。
欠陥住宅じゃないのか。
「壁も床も薄すぎるんだよ、このアパートは……」
壁だけでなく床も薄い。
俺の部屋は二階なので、ちょっと騒ぐとすぐに下の階のシモダさんが怒鳴り込んでくる。
そしてシモダさんは超こわい。
前に部屋でバットの素振りをしたことがある。
騒いですぐに注意するようなシモダさんではない。
しばらく泳がせて、しっかり現場を押さえたうえで正論の説教をするタイプ。
俺が悪いので、ひたすら聞いているしかない。
ほんとなら外で運動するんだけど、外出しにくいご時世。
とはいえ、アパートでやっていいことではない。
そんなわけで、俺は自室に居ながら抜き足差し足、息を殺して生活している次第である。
運動でもなんでも、ダンジョンで思う存分できる。
ダンジョンの中では騒いでも外へもれることはない。
誰からも文句は出ない。
こんなときはダンジョンに潜るに限る。
もやもやした気持ちはダンジョンで解消だ。
「ゴブリン百本ノックでもしてスッキリするか!」
バットを握りしめて、ダンジョンへ飛び込んだ。
ダンジョンに入ってすぐ、ゴブリンを見つける。
情熱をありったけ込めたバットのフルスイングが、ゴブリンをなぎ倒す。
「うりゃああ!」
「グギャァ!」
ゴブリンが塵へ還る。
魔石を回収すると、俺は敵を求めてさらに奥へと進んでいく。
大声で叫んでも、ダンジョンなら誰に聞かれることもない。
うりゃあ、とか言っちゃうぜ。
もはやゴブリンは敵ではない。
バッティングセンター感覚で、ひたすらゴブリンをかっ飛ばす。
何十匹というゴブリンが、俺の持っていきどころのない感情の餌食となる。
身体を動かせば、気分も晴れる。
ダンジョン最高だな!
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ついに日間10位以内に入っている! 9位!
ありがとうございます!




